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カテゴリ:つぶやき、人間関係
金曜日の夜から、孫達が来ていた。
上の子は、小学校一年生になったばかり。 地方の町の小さな小学校なので、今年の一年生は12人だという。 この町でずっと成長するとするなら、 この同級生は、そつくりそのまま中学三年生まで同級生ということになる。 転入より転出の方が多い町なので、 多少の出入りがありつつ仲間は減っていくことになるだろう。 息子一家にしても、このままずっとその町で仕事をすることになるかどうか、 それは全くわからない。 私の実家で、みんなで小学校の入学式のビデオを見ながら、 私の両親も含めてあれこれと、思い出話や感想などを話す。 (息子は、仕事の関係で現在出張中で不在) 私の息子達の小学校は、確か上の子が5学級、下の子は4学級だったと思う。 だから、入学式をはじめとして、様々な学校行事の時には、 我が子を見つけるだけでも大変だった。 その点、孫の場合は一学級12人だから、 父母席だって余裕があって、子ども達の様子も間近で見ることができる。 新一年生も、一人一人名前を呼ばれて、 緊張しながらも「ハイ」と返事をして立ち上がる。 交通安全の黄色い帽子だって、一人一人が頭に被せてもらい、 「ありがとうございます」というお返事だって、 ちゃんとビデオに入っている。 担任の先生も、この人数ならば丁寧に一人一人を見ることができるだろう。 たとえ引っ込み思案で目立たない子どもだって、 一日に一度くらいは先生が声をかけることは難しくもないだろう。 お勉強だって、どの子が何が苦手だとか、何に興味を持っているか把握できるだろう。 さて、一年生になって一週間の孫に、ジジババ、ヒイジイチャン、ヒイバアチャンは口々に聞く。「学校は楽しいかい? 幼稚園とどっちがいい?」 「うん、楽しいよ。学校の方がいいよ」 「どうして学校がいいの?」 「お勉強ができるから」 (いつまでこの言葉が生きることか。出来るだけ長く生きていて欲しい) 「何が一番楽しいの?」 「給食の時間」 (だろうねえ。多分、これは嫌いなものを口に詰め込まれない限り大丈夫のはず) 「新しいお友達は、できた?」 「うん、○○ちゃんと、□□ちゃん」 (この町は、公立の幼稚園と保育園が1園ずつ。つまり、新しいお友達とは、保育園出身の子) ジジババの質問攻めは、ほおって置くといつまでも続くが、 目下の孫の関心は、外での自転車遊びと、屋内では「ドンジャラ」。 この「ドンジャラ」は、息子達が子どもの頃に誰かに買って貰ったもので、 一時期、家族四人でよく遊んだ「子ども用の麻雀」である。 どこに仕舞ったのか見えなくなっていたのだが、 先月孫達が、私の実家でかくれんぼをしていた時に、偶然押入れで見つけたのだ。 以来、上の子はこれに夢中である。 家に持ち帰りたがったけれど、「これはおじいちゃんの家で遊ぶことにしよう」と決めた。 驚いたことに、これで遊ぶようになってから、 「暗算」ができるようになってしまった。 まだ「算数」はもちろん、足し算も引き算もちゃんと教えてはいないのだが、 ドンジャラの勝敗に点数を数えることの必要性を知ってから、 簡単な計算を勝手にするようになったのだ。 この孫は、この一年くらい「ムシキング」に夢中だった。 そのおかげで「地図」や「他の国々」「他の昆虫」にも関心を持ったことは、 かつて日記に「ムシキングから広がる知識」で書いたことがある。 孫達を見ていると、「面白いこと」が知識の入口だということが本当によくわかる。 (ちなみに、6月で四歳になる女の子は、歌と踊りが大好き。 冬季オリンピックの時には、フィギュアスケートがお気に入りだったようで、 今回も、イナバウアーや片足を上げてのY字ポジションなどを披露してくれた。 テレビでも、ダンス付きの音楽が流れると、食い入るように見つめている) 面白くて楽しくて集中すると、子どもはすごい吸収力を発揮する。 すべての勉強がそのように広がったら言うことはないが、 そんなことは無理な話。 しかし、学校で勉強することが、自分の面白いことともリンクすることがわかったら、 つまらない勉強の時間も少しは我慢できるだろう。 14日の日記の「ゆとり教育、総合教育」で、私が期待したことの一つにはそれがあった。 子どもは「今」を生きている。 いや、子どもには「今しかない。今が全て」とも言える。 小学生に未来の自分が想像できるだろうか? 塾などに自ら通っているように見えても 「良い学校に入学することが、良い人生に繋がる」と親や先生が言うから、 とりあえずそれを信じるしかないという状態だろう。 「大人になったら何になりたいか?」などという質問にだって、 一般的には「夢想」のレベルだろう。 具体的に将来像を描けるとしたら、 身近に「こんな人になりたい」という憧れの人がいる時くらいではないか。 大多数の子ども達は、 「今、面白いこと」「明日やりたいこと」「来週行きたいところ」などの 具体的で実感できる目的のために生きている。 それを一つ一つ大切にしてゆくことが、その子の毎日を充実させることであり、 その積み重ねが「未来」につながってゆくのだと思う。 楽しいこと、面白いこと、嬉しいことがあったなら、 嫌なことも苦しいことも、乗り越えて行ける。 今の我慢が、明日の楽しさにつながると理解できたら、いくらでも我慢するだろう。 今の楽しさや面白さを、リアルに想像できない将来のために我慢しなさいと言われても、 子どもには納得できるものではないと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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