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テーマ:還暦世代を生きる(113)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
先月末の土曜日、中学時代の同期会が開催された。
四年に一度の同期会も、今回で5回目。 5クラスの担任の先生が全員出席して下さったのには、 私達幹事一同も大喜び。 実は、もう少し早くこのことについて書こうと思ったのだが、 ちょっと忙しかったのと、自分の心の整理がなかなかできなかったことで、 ブログに書くことができなかった。 今回は、「還暦同期会」と銘打って各クラスに呼びかけたのだが、 やはり参加者は似たような顔ぶれである。 それでも、この4年のうちに何人か亡くなったり、 病気で入院したりした人もいる。 一番大きい変化は、「定年退職」の時期を迎え、 第二の仕事についていたり、しばらくは骨やすめと「主夫生活」をしているなど 男性の面々の雰囲気が変わっていたことだろうか。 女性達はますます元気になっている感じであった。 今回は、本州からの幼なじみといえる小学校時代からの参加者があって、 私は、土曜日~月曜日までの三日間、彼らと付き合うことになった。 「心の整理ができなかった」と書いたのは、 その幼なじみたちのこれまでのことや、 今回の再会で知った同級生の現在の状況にとても重いものがあって、 「楽しかった」では済まされない感情が渦巻いていたのだ。 私は小中学校、そして高校生まではいわゆる「いいこちゃん」で通っていたと思う。 そうなるにはそれなりの環境があり、プロセスがあり、 決して良い子ちゃんを楽しんでいたわけではない。 それゆえに、当時の私は自分のことで精一杯で、 周囲のクラスメートがどのような家庭環境にあり、 どのような気持ちで日々を過ごしていたか、想像もしなかった。 それが、この年齢になってはじめて語れるということもあり、 今回は何人かのそのような思いに触れることがあったのだ。 一言でいえば、「みんなよく頑張って生きてきたな」ということだ。 そして、まじめに頑張り続け、我慢し続けてきたことが、 必ずしも幸せな状況につながるわけではないという現実も知った。 同期会に集まるような人たちは、 基本的には現在の生活や心理状態が安定している人がほとんどだ。 しかし、特に私達のクラスは 担任の先生が家庭的に恵まれない子たちを精一杯フォローしていたこともあり、 「先生に会いたい」という気持ちで参加する人が多い。 これは、他のクラスとは違うところだ。 つまり、私は今思えばとても良い担任と、良いクラス集団の中にいた。 それなのに、「いい子ちゃん」を演じ続けることに神経をすり減らしていた私には、 人生のうちで一番苦しかったのが、その中学時代なのだ。 今回も、自分の認識や思い出と、周囲のクラスメートたちの思いのあまりのずれに、 中学生の頃の自分の愚かさを呪いたくなることが何度もあった。 様々な事情で大変な状況にあっても、 思い切って参加してくれて正直に今の思いを語る人たち。 その多くは、中卒で働いたり家業を手伝ったりしてきた人たち。 本当に苦労が多いことだったであろう。 そして、その苦労が必ずしも報われているというわけでもない。 それでも、「おかげさまで何とかやってるよ」と言う笑顔に、 本当に尊敬されるべきは、このように日々を誠実に謙虚に生きている人たちだと思った。 同期会には参加できない友を、幼なじみの5人で訪ねた。 (行く前には、昨年亡くなった友のお墓参りもした) 今は病の中にあり、家庭的にもとても辛い状況にあるその人を訪ねることに、 私は始めは躊躇した。 この5人は男2人と女3人。 実は、思春期から成人の頃にかけて、もう一人の男性を加えて6人で色々あった。 私が異性関係に極端に慎重になってしまったのは、その時の色々が影響していると思う。 つまりは、「思う人に思われず、思わぬ人に思われて」の状態が この6人で複雑に絡み合った。 その時以来私は20年間、男性達とは会うことをしなかったくらいだ。 そんな事情もあったので、私は正直なところ行くのをためらった。 しかし結局は、運転手役の人に強引に連れて行かれたわけで…。 その短い時間は、私には辛かった。 辛抱強く、優しく、努力家でおしゃれで、みんなに優しかった彼が、 どうしてこのようになってここにいなくてはならないのだ。 友達に同情されることは彼の望みではないと思うので、 「会えて良かった」という態度に徹しようと思うのだが、 病気のために十分に言葉も発せず、歩くことも辛そうで、 一瞬見せた笑顔に救われはしたけれど、 私達が帰った後に彼が何を考えたのかと思うと、 どうしようもない切なさが今も続いている。 彼の病気が、長年の家庭的なストレスの影響もあるのではないかと思うとなおさらだった。 それでも、再会の時間を作ってくれた彼らに、今は感謝している。 彼が私に与えてくれた課題は、とても大きいものだったからだ。 これから迎えるであろう老いや病に向き合うきっかけを、 間違いなく彼は作ってくれたのだ。 みんな、本当に頑張って生きてきたのだ。 今回参加しなかった人たちも、みんな精一杯生きてきたのであろう。 辛い季節を乗り越え、「あの時期があったから今がある」とみんなが笑えるなら一番いいのだが、 人生そんなに甘くもないし平等でもない。 理不尽なことが起きるのが現実だし、運・不運も必ずある。 それがこの世だとはわかっているけれど、どうにもやりきれない思いが渦巻く。 まだまだ書きたいことは多いのだが、思いを書きつくせそうもないのでやめておく。 万年幹事の私は、「次は4年後だよね。またよろしくね」の声に 「わかったよー」と返事をし、私なりのこのクラスでの役割を果たすしかない。 4年後、どのような再会があるのかないのか誰もわからない。 私が幹事をやっているかどうかだって、実はわからないことなのだ。 大切なのは、今現在だ。 現在を大切に生きていたら、辛い状況になったって少なくても恥じることはない。 もしも私が寝たきり状態になっても、 みんなを抵抗なく迎えられる自分になることが、これからの私の目標である。 還暦って、やっぱり人生の節目なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年07月07日 10時57分51秒
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