人生は思いがけないことが起きるものだ。
今年の大震災のような天変地異もあるけれど、
本人には全く非が無くても、理不尽な出来事に巻き込まれてしまうことも多い。
しかし、どう考えても本人の自業自得ではあるが、
それまでの人生の中では考えられない
「気の迷い」というか「ふとした出来心」で、
それまでの努力と、それに伴う信頼をたった一瞬で失うこともある。
さほど親しくはないけれど、旧知の地元の文化人とも言える人が、
「どうしてそんなことを?」ということをしてしまった。
堅実に、実直に、育ちゆく子ども達を指導していた人だった。
名声を望むタイプには思わなかったけれど、
努力の割に、周囲の人の信頼は得ても、脚光を浴びることは少なかった人生を振り返り、
ふと、何か見えるものが欲しくなったのだろうか。
直接の仲間達はどのように対応するのだろう。
もしも私が彼の友人ならば、どのように声をかけるのだろう。
100のうちのたった一つの汚点なのだから、
気にするなと言うのだろうか。
それとも「本当はそんな人だったのか?」と、その人を見る目も変わるのだろうか。
正直なところ、あまりその人と親しくなくて良かったと思う。
今は脳梗塞のリハビリ中だというその人が、気の毒でならない私でもある。
人生の落とし穴、あるいは罠は、決して外部にあるだけではない。
自分自身の内部に息をひそめているのだろうと、
人間というものの複雑さを、あらためて考えている。
私の中にも、落とし穴の種はあるのだろうか。
願わくば、そのようなものに落ちることなく、平穏な心で終えたいものだ。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月28日 14時54分37秒
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る