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2013年06月03日
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カテゴリ:家族・親族
色々な人のブログを拝見していて、大人になってからの「兄弟・姉妹」の関係での悩みを見ることがある。
子どもの頃の「兄弟(姉妹)げんか」は当たり前なのであるが、それが思春期→大人になっても険悪な状況が頻繁になると、親としては心配なことだろう。
そして、大人になり結婚してからもそれを引きずると、今度は自分自身のこととして悩むことになる。
こうなると、親子・兄弟のみならず、親戚関係のトラブルともなるし、その中で育つ子どもにとっても影響があるので、誰でもできるだけそのような状況にはなりたくないのだが。

私は、子どもの頃の兄弟(姉妹)喧嘩は、親の対応がとても重要だと思っている。
子どもは誰でも親に愛されたいから、自分より兄弟が可愛がられていると感じた時には嫉妬心が湧くのが必定。
子どもの持って生まれた気質によっても違うが、子どもの心は親が自分を大切に思っていると感じた時に安定するものだと思う。

私自身のことを思い返すと…。
私達は三姉妹で、私は長女である。
四歳ずつ年下の妹がいて、私はおとなしいタイプ、次妹はキカン気タイプ、
末妹は甘えっ子と、典型的な三姉妹気質と言えよう。
四歳になって妹が生まれた私は、その時までは一人遊びを楽しむ子だったようだが、
妹ができたとたんにそれまでの両親の部屋から祖母の布団で寝るようになった。
そして、「お姉ちゃん」としてふるまうように言われるようになったはずだ。
しかし、当時の妹にまつわる記憶はほとんどない。
末の妹が生まれた時は8歳になっていたから、
妹のために隣の家に牛乳をもらいに行ったり、
赤ちゃんの妹をおんぶしたり、農作業の両親の代わりに妹達の子守りをしていた記憶がある。
しかし、あまり「世話好きのお姉ちゃんタイプ」ではなかったようで、
よく「お姉ちゃんなんだから…」と言われていた。
自分では一所懸命やっていたつもりなのだが、根がマイペースなので、
気配りはできずに親がハラハラすることが多かったのだろう。

2番目の妹が小学校に入ると、彼女を自転車に乗せて4キロの農道を登校した。
妹は泣き出すと止まらない癖があり、登校間際に何か思い通りにならないと泣きやまず、
自転車の後ろでワーワーと泣き続けることがあった。
そんな時、まるで私がいじめているよう見えるんじゃないかと気が気じゃなかったし、
「泣くんじゃない」と叱るとさらに泣き出す。
そんな時は、心底妹が憎らしいと思ったものだ。
末の妹が小学校近くの季節保育所に通うようになると、その妹の送迎も私だった。
そのこと自体に不満はなかったけれど、
なんだか自分が損をしているような気がするようにもなった。
しかし、昔はそのような状況にある友達ばかりだったから、
仕方のないことと思ってもいた。

ただ、あまりにもそのようなことは当たり前の環境であったせいか、
親もそれを当然と思い、私への「ありがとう、助かるよ」なんて言葉は記憶にないし、
それどころか「もっとお姉ちゃんらしくしなさい」という言葉ばかりが記憶に残っている。
その理由は、私は言われたことはやっていたが、プラスアルファがなかったのだろう。
それに気が利かないタイプの子どもの常として、
よかれと思ってしたことが、余計なこととなって怒られたりもする。
結果的に、そのような状況で私が怒られたりする原因は妹たちなので、
あまり妹たちを可愛いと思えなかったのだ。
人と争うのが嫌いな私は姉妹喧嘩にはならなかったが、
(それに、喧嘩なんかしたら「お姉ちゃんのくせに」と怒られるし)
妹たちと積極的に遊んであげたりはしなかったと断言できる。

下の二人の妹達は、私が相手をしないので二人で遊び、よく喧嘩もしていた。
だから、「喧嘩して仲直り」の体験も豊富だったと思うが、
私にそのような体験はほとんどない。
そんなことから、私は子ども時代の兄弟げんかも必要だと思っている。

妹達に対して、姉らしい感情が湧き始めたのはずいぶん遅かったと思う。
多分、結婚して子どもを育てるようになってからではないか。
私達の姉妹仲は悪くはないが、今は次妹が実家の両親と一緒に暮らしているので、
それなりに気を使いながら接している。
具体的には、できるだけ妹に感謝の言葉を伝えること。
そして、「いつでも必要な時には留守番役を代わる」ということ。
時々、総菜などを「たくさん作ったから」と言って届けることなどである。
妹が「これをやってほしい」という時には、万障繰り合わせるようにすることである。
妹達との関係を悪くしないことが、私のこれからの老後には絶対必要なことなのである。







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最終更新日  2013年06月03日 11時22分50秒
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