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テーマ:道産子の日常生活(24)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
数日前、北海道のローカルテレビ番組で桜木紫乃さんのインタビューを見た。
私は彼女の作品も読みやすいしベタベタしていないのが好きで、結構読んでいると思う。 また、地元の図書館行事で桜木紫乃さんの対談も聞いたので、その人柄もとても好きだ。 今朝、昨日のブログへのコメントへのお返事を書きながら、 ふと先日のインタビューの時の彼女の言葉を思い出した。 彼女は釧路出身で現在は江別に住んでいる道産子だ。 北海道出身の土着作家(?)は何人もいるけれど、 桜木さんは現在活躍している女性作家の筆頭に近いと感じている。 なぜ筆頭と感じるかというと、彼女の書く小説の主人公である女性は、 私にはみんな道産子の特徴を持っているように思うからだ。 彼女は、インタビューで「北海道の女性をどう思いますか?」のように聞かれて、こう答える。 「北海道の女って、男を立てないよねー。だーい好き!」 それを聞いて私は思わず吹き出してしまった。 自分では自覚していなかったけれど、確かに私も男性を立てたりしないなーと。 もちろん、仕事上で立てた方がうまく回ると思う人には、 内心少々アカンベーをしながら立てることはよくあった。 つまり、その分だけ相手をバカにしているわけでとても失礼なのだが、 「嘘も方便が世の常」と割り切ってきた。 しかし、ここは譲れないと思い、どうしてもこの人に納得してもらわなければというときは、 失礼にならないように私なりに気を遣いながら主張するようにしてきた。 「失礼にならないように」は礼儀であり、男性を立てているわけではない。 それは、男女でも年齢差があっても、地位の上下には基本的に関係ない。 こんな姿勢を、きっと桜木さんなら「それでいいのよ」と言うだろう。 それと、もう一つ気に入った言葉は「逃げてもいいのよ」。 私の記憶では、「現状がこのままじゃ自分がダメになる」と思った時には、 新しい自分の未来に向かって踏み出すというような印象。 「逃げる」といえば後ろ向きに感じるけれど、 今の環境を捨てて不確実な未来でも自分の力を信じて踏み出すということだろう。 うん、そうだ、道産子女性は踏ん張れて見込みを感じる間は本当によく頑張るけれど、 見込みがないと思ったらあっさりとそれまでの経歴も家族も捨てるようなところがある。 「家族」と書いたけれど、実際は「夫を捨てる」ことの方が多いだろう。 北海道の離婚率が高いのは、道産子女が男を立てず、逃げることができるからかもしれない。 それと、やはり笑えたのが、 「北海道の人って、家族はあっても家系のない人が多いじゃない?」。 これも至言だ。 家系に縛られないと、とても身軽だ。 あと、ご実家のラブホテルを高校生の時から家業と思って手伝っていた時を語った時、 「ラブホテルで恥ずかしいとは思わなかったわね。仕事だと思っていたから」と言い、 「昭和の女って本当によく働くのよ」と言ったこと。 彼女は私より15歳年下だが、ひょっとすると釧路は漁業の町だし、 周囲の友人たちもみんな、それぞれの家業の手伝いを 子どもの頃からしていたのだろうと思った。 みんな生きてゆくために親を手伝うのが当然と、 私たちの世代の多くも思っていたはずだ。 それも、道産子女の特徴の一つかもしれない。 農業・漁業・商業が開拓時代からの道民の職業の大半を占め、 サラリーマンは少なかっただろう。 特に明治・大正・昭和初期の時代の開拓期は、 「男だから、女だから」なんて言ってられなくて、 女も男同様の力仕事もしていただろうし、それに加えて家事育児をこなしていた。 「女は家事育児をするのが当然」と思っている夫たちだって、 それに加えて家業を男同様にこなす妻を見ていたら、 「男の方がエライ」なんて言えなくなるだろう。 そのせいもあってか、私の見る限り道産子夫婦は「かかあ天下」が多いように思う。 私の実家も、祖父母、両親がそうだったし、当然我が家もかかあ天下だ。 それを一言でいえば、「北海道の女って男を立てない」ということになるんだろう。 桜木紫乃さん、大好きです。 私も道産子女の特徴を持っているように思うので、ご同類ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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