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テーマ:平和憲法(55)
カテゴリ:政治・政治家
ロシアのウクライナ侵攻で、憲法論議が熱を帯びているような気がする。
私は日本の憲法は世界に誇れると考えているので、理想を現実に合わせて変えることには強い危惧を感じている。 とりあえず、今日の各社の社説を読み比べてみよう。 まだまだ他の新聞社説もあるが、とりあえずこれだけ。 憲法記念日 新たな時代へ課題を直視せよ 読売 変化が大きい時代だからこそ、国家の基本である憲法に立ち返り、新たな課題に取り組んでいくことが大切である。幅広い観点から、国民的な議論を深めたい。 74回目の憲法記念日を迎えた。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という基本原理は国民に根付き、戦後日本の礎となった。その理念を守り、後世に引き継ぐことは私たちの責務である。 だが、憲法が制定以来、一切手を加えられていない現状は望ましい姿ではない。多くの国は時代の変化を踏まえ、条文を改めている。日本でも必要な課題があれば、改正を議論するのは当然だ。 現実との乖離ないか 新たな感染症が蔓延まんえんし、国民の命や生活を脅かしている。隣国である中国は軍事大国化し、東シナ海などで緊張を高めている。情報通信技術が高度化し、人工知能(AI)が人間の仕事の一部を担うようにもなった。 そんな時代が来るとは、憲法制定当時には想像も及ばなかったはずだ。そして、今後も変化し続ける日本社会や国際情勢に、70年以上前に制定された憲法が適切に対応するのは困難である。 現実と憲法の間に乖離かいりが生じていないか。憲法改正を避けることを優先するだけでは、解釈に無理が生じ、「法の支配」が形骸化する恐れがある。 憲法の条文を見直して改正案としてまとめ、国民に提案する責任は立法府にある。 時代の変化を、国民も敏感に感じ取っている。憲法に関する読売新聞社の世論調査では、憲法を「改正する方がよい」と答えた割合が7ポイント増の56%に上昇した。 新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態への認識が深まったことや、一方的な行動を続ける中国への警戒感があるのだろう。 大災害や感染症拡大など緊急事態の対応については、59%が「憲法を改正して、政府の責務や権限に関する規定を条文で明記する」を支持した。「個別の法律で対応する」は37%にとどまった。 現行憲法には、緊急事態に関する規定がない。非常時の議論を怠ってきたために、コロナ禍での政府の対応が後手に回ったと受け止められているのではないか。国民の意識変化も踏まえ、与野党は論点を整理しておく必要がある。 各党は具体案を明確に 自民党が2018年にまとめた憲法改正の条文案は、議論の有力なたたき台となろう。 その主眼は、自衛隊の根拠規定を憲法に明記し、一部に残る違憲論を払拭ふっしょくすることだ。現行の9条1項、2項を維持しつつ、自衛隊の保持を規定する条文を追加することを提案している。 中国や北朝鮮が東アジアの平和と安定を脅かすなか、日本の安全保障を担う自衛隊の存在をはっきりと憲法に位置づける意義は大きい。自民党は改正の内容や狙いを十分に説明し、国民の理解を得る努力を続けなければならない。 自民党案は、大災害の発生時に政府が国民の生命や財産を守るため、緊急政令を制定できるという規定や、国会議員の任期を延長できる特例を盛り込んでいる。 私権を無原則に制限しないように、どのような歯止めを設けるべきか。また、感染症蔓延やテロを緊急事態の対象に加えるかといった課題もある。多角的に検討を重ねてもらいたい。 国民民主党も昨年末、改正の論点整理を公表している。インターネット空間でも個人の尊厳が守られるよう、個人の尊重を規定する13条の改正を提唱した。 デジタル技術は、家庭や教育をはじめ社会全般に浸透している。巨大IT企業は、国境を超えて膨大な個人情報を収集し、経済や言論活動にも国家権力に匹敵するほどの影響力を及ぼしている。 憲法の観点から、規制の方向性を考える意味は小さくない。 審査会は本格討議を コロナ禍で浮き彫りになった国と自治体の連携不足や、衆参両院の役割分担と選挙制度のあり方など、検討課題は山積している。 国会の憲法審査会で、論議が停滞しているのは残念だ。 自民、公明両党と日本維新の会などが18年に提出した国民投票法改正案は、改正公職選挙法に合わせた内容であるにもかかわらず、立憲民主党などが採決に反対してきた。憲法そのものの討議を進める足かせとなっている。 国の最高法規の論議を回避するようでは、立法府は責任を果たしているとは言えまい。与野党は、早期に改正案を成立させ、本格的な憲法論議に着手すべきだ。 (社説)揺らぐ世界秩序と憲法 今こそ平和主義を礎に 朝日新聞 ロシアのウクライナ侵略が、第2次大戦後の世界秩序を揺るがすなか、施行から75年の節目となる憲法記念日を迎えた。 国際社会の厳しい批判や経済制裁によっても、停戦はいまだ実現していない。一方、東アジアでは、北朝鮮が核・ミサイル開発を続け、中国は力による現状変更もいとわない。 日本と世界の平和と安全を守るにはどうすべきか。これまで以上に多くの国民が、切実な思いを抱いているに違いない。単純な解は見つかるまい。だが、力で対抗するだけで実現できるものではない。日本国憲法が掲げる平和主義を礎にした、粘り強い努力を重ねたい ■受け継がれた理想 20世紀は、二つの世界大戦と平和を希求する努力の繰り返しだった。 おびただしい戦死者を出し、銃後の国民をも巻き込む総力戦となった第1次大戦の後、史上初の国際平和機構として、国際連盟が創設された。その8年後には、国際紛争解決の手段としての戦争を否定するパリ不戦条約も結ばれた。 しかし、第2次大戦の勃発を防げず、再び戦争の惨禍を経験すると、より強力な国際連合が結成された。日本国憲法が公布されたのは、その翌年である。平和主義を国民主権、基本的人権の尊重と並ぶ3本柱と位置づけ、第9条で戦争放棄と戦力の不保持をうたった。戦争を否定し、平和を求める人類の理想を受け継いだものだ。 軍国主義とアジアへの侵略、植民地支配に対する反省、唯一の戦争被爆国として核兵器は二度と使用されてはならないという強い思い……。日本自身の歴史の教訓も凝縮されている。 それから70有余年。米ソ冷戦が終わり、グローバル化の進展で世界の相互依存は飛躍的に深まった。国際協調のための仕組みやルールの整備も進んだ。そんな21世紀の今日になって、私たちは再び、独立国が武力で侵され、市民に対する残虐行為が行われるという悲劇を目の当たりにしている。 日本の平和主義の真価が問われる局面だ。 ■「専守防衛」堅持を 憲法に基づく日本の防衛の基本方針は「専守防衛」である。自衛のための「必要最小限度」の防衛力を整え、武力攻撃を受けた時に初めて行使する。その際、自衛隊は「盾」に徹し、強力な打撃力を持つ米軍が「矛」となる。日米安保条約による役割分担とセットである。 第2次安倍政権が憲法解釈を強引に変更し、集団的自衛権の一部行使に道を開いた際も、政府は専守防衛に変わりはないとした。しかし、護衛艦の空母化や長距離巡航ミサイルの導入など、その枠を超える動きは続き、今や「反撃能力」の名の下に敵基地攻撃能力の保有に突き進もうとしている。 厳しい安保環境を踏まえた、防衛力の着実な整備が必要だとしても、平和国家としての戦後日本の歩みの土台となった専守防衛を空洞化させるような施策が、本当に安全につながるのか疑問だ。際限のない軍拡競争を招き、かえって地域を不安定化させることにならないか。 自民党は5年で対GDP(国内総生産)比倍増も視野に、防衛費の大幅増を岸田首相に提言した。武器輸出を拡大するための防衛装備移転三原則の見直しも求めた。危機に乗じて、これまでの日本の抑制的な安保政策を一気に転換しようとする試みは容認できない。 ■努力を続ける使命 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」 憲法の前文の一節だ。日本一国の安全にとどまらず、国際平和の実現をめざすのが憲法の根本的な精神である。 ロシアの侵略を一刻も早く終わらせ、市民の犠牲はこれ以上出させない。そのうえで、このような事態が繰り返されることのないよう、ロシアを含めた国際秩序の再建に取り組む。国連の改革も必要だ。 この困難な国際社会の取り組みに、日本は主体的に参加しなければならない。 憲法に至る平和主義の淵源(えんげん)のひとつともいえる著作がある。ドイツの哲学者カントが18世紀末に著した「永遠平和のために」だ。その条件としてまず、常備軍の廃止や戦時国債の禁止など六つをあげている。 カントは人間の「善」に立脚していたわけではない。逆に人間は邪悪な存在であるとの認識から、「永遠平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである」と記した。永遠平和は人間がつくりださなければならない。それは「単なる空虚な理念でなく、実現すべき課題である」と説いた。 繰り返される戦争の惨事から立ち上がり、平和を求めてやまなかった先人たちの営みの上に今がある。強い意志をもって、その歩みを前に進める歴史的使命を果たさねばならない。 危機下の憲法記念日 平和主義の議論深めたい 毎日新聞 ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、75回目の憲法記念日を迎えた。 独立国の主権と領土を踏みにじる侵略戦争は、日本の憲法が掲げる平和主義への攻撃である。 米欧も国連も蛮行を止められず、国際協調を基盤とする「ポスト冷戦期」に終止符が打たれた。 欧州の安全保障環境は激変した。軍事的中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)加盟に動き、ドイツは従来方針を転換してウクライナに戦車を提供する。 核兵器使用の脅しをかけるプーチン露大統領に国際社会が圧力を強め、抵抗を続けるウクライナの人々を助けるのは当然だ。 軍事力で大国が他国を圧する「弱肉強食の世界」の出現を許してはならない。 現実を理想に近づける 日本国憲法は「戦争の惨禍」を繰り返さないとの決意から生まれた。「国際平和」「武力行使禁止」は国連憲章と共通する。 懸念されるのは、侵攻を憲法改正に結びつけようとする動きだ。安倍晋三元首相は「今こそ9条の議論を」と強調し、自民党は、国民の権利制限につながる「緊急事態条項」の新設を目指す。 国民的な議論を欠いたまま、軍拡へと走るかのような風潮も気がかりだ。自民党が保有を提言する「反撃能力」は、「専守防衛」の基本方針との整合性が問われる。 侵攻で「力による現状変更」のリスクが突き付けられたのは事実だ。中国の海洋進出など東アジア情勢を踏まえ、憲法の枠内で防衛力を見直すことは必要だろう。 だが、権威主義国家の軍事力増強に軍拡で対抗するのでは、「力の論理」にのみ込まれるだけだ。米軍によるイラクやアフガニスタンの戦争の帰結が示すように、軍事力だけで問題は解決しない。 国際政治学者のE・H・カーは第一次大戦後、理想主義的な国際連盟が機能不全に陥り、2度目の大戦を回避できなかった戦間期の「危機の20年」をこう分析した。 「現実をあまり考慮しなかったユートピアから、ユートピアのあらゆる要素を厳しく排除したリアリティーへと急降下するところにその特徴があった」 いま日本に求められているのは、侵攻が浮き彫りにした現実を直視しつつ、それを「国際平和」という理想に少しでも近づけるための不断の営みだろう。 まず、安全保障の総合力を高めることだ。ウクライナでも国際支援や指導者の発信力が戦局を左右している。防衛力だけでなく、外交、経済、文化、人的交流などソフトパワーの強化が欠かせない。 次に、アジア安保対話の枠組みを作る努力だ。米中とインド、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国などが意思疎通する場は地域の安定に寄与する。日本が主導的な役割を果たせるはずだ。 平和とルールを重視する国際世論を醸成する取り組みも必要だ。ロシアを含む各国の市民が反戦の声を上げている。憲法が前文に記す「平和を愛する諸国民の公正と信義」を再確認する時である。 「これまで『日本だけが平和であればいい』という感覚が強かった。困っている他国の人を助けるという道徳的な義務と両立する平和主義でなければならない」 そう語る国際政治学者の中西寛・京都大教授が注目するのが、ウクライナ避難民の受け入れだ。 「人道」の視点を大切に 政府が異例の受け入れ態勢を取り、これまでに800人以上が来日した。毎日新聞などの世論調査では「もっと多く受け入れるべきだ」との回答が69%に上る。 戦火を逃れた人々に手を差し伸べることは、人道上の責務である。日本はウクライナの人々に限らず、国籍を問わずに積極的に受け入れるべきだ。 憲法は「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」をうたう。戦後の制定過程で9条に「平和」の文言を加え、「生存権」(25条)を盛り込むよう訴えたのは衆院議員の鈴木義男で、米国側の「押しつけ」ではなかった。 いずれも「人間の安全保障」に通じる理念だ。憲政史が専門の古関彰一・独協大名誉教授は「平和は単に『戦争のない状態』ではなく、『人間らしく生存できる』という問題だ」と指摘する。 憲法の平和主義をどう実践し、世界に発信するか。施行75年の節目を、理想追求の原点に立ち返って議論を深める機会にしたい。 <社説>きょう憲法記念日 平和の理念今こそ大切に 北海道新聞 日本国憲法が施行されてきょうで75年を迎えた。 その節目の年に、ロシアがウクライナに侵攻した。平和を維持するための既存の国際秩序が崩壊の危機に直面している。 憲法は前文で「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」とうたう。 専制的なプーチン政権がウクライナを従わせようとする侵略行為は、日本の憲法の趣旨とは全く相いれない。 第2次世界大戦で日本は2度にわたる原爆投下などで激しい惨禍にさいなまれた。その教訓を踏まえ掲げたのが平和憲法である。 国家権力が戦争を起こすことを許さない。他国と信頼関係を築くことで国民の安全を保持する。こうした決意を胸に、今こそ日本は平和の理念を伝え広げるべきだ。 私たちは2年超に及ぶ新型コロナ禍や、気候変動に伴う災害など地球規模の課題を抱えている。 安心できる日常は自国のことだけを考えていては成り立つまい。求められるのは国際協調である。 国境を越えてだれもが平和のうちに生きる権利を保障する憲法の意義を大切にしたい。 ■紛争解決導く外交を 現行憲法の策定作業を内閣法制局参事官として支えた佐藤功は、東西冷戦下の1955年、次代を担う子どもたちに向け、解説書「憲法と君たち」を著した。 その中で、憲法の最大の意義について、どんな紛争も絶対に戦争によって解決してはならないということを世界に率先して示したことであると説いた。 人類が繰り返してきた戦争は、力に力で対抗することで戦禍を拡大させ、日本も大戦で、一般市民を含めて多大な犠牲を出した。 戦争放棄や戦力不保持を規定した憲法9条は、日本の再軍備を禁ずる米側の意図と同時に、侵略戦争の反省の上に立ち制定された。 そうした憲法の趣旨を踏まえ、日本は安全保障の原則に専守防衛を据え、国際平和の構築へ、国連中心の外交に力を入れてきた。 しかしその国連はいま、安全保障理事会で拒否権を持つ常任理事国ロシアの蛮行に対し、実効性のある措置を講じられていない。 対ロ制裁やウクライナへの軍事支援を強める西側諸国と、中国などロシア寄りの国々との分断は深まるばかりだ。このままでは第2次大戦前の歩みに戻りかねない。 日本が努めるべきは武力による対決ではない。平和外交に徹し、紛争解決へと関係国を粘り強く導いていくことだろう。 ■危機への便乗は禁物 見過ごせないのは、この危機に乗じ、岸田文雄政権が改憲論議を加速させようとしていることだ。 自民党などは衆院憲法審査会で、憲法に緊急事態条項を新設し、緊急時に国会議員の任期を延長することなどを求めている。 この条項の主眼は大規模災害や武力攻撃を受けた際などに、政府の権限をより強化することだ。 緊急時に衆院議員の任期切れとなっても、憲法54条に定めた参院の緊急集会で対応できるとの見解を示す専門家もいる。 ロシアの脅威やコロナ禍への不安をあおる形で、拙速に改憲論議を進めてはならない。 歴代政権は憲法上、集団的自衛権行使は許されないとしてきた。 だが安倍晋三政権が行使を認めた安保関連法を成立させて以降、憲法軽視の動きが強まっている。 自民党は先週、以前は保有を否定していた敵基地攻撃能力について、反撃能力に名称を変えて保有するよう政府に求めた。 専守防衛に反する疑いが強い。国会でただしていく必要がある。 ■国民の命が最優先だ 新型コロナウイルスの猛威はなお続き、国民の命と暮らしが脅かされ続けている。 先の第6波でも、感染力が極めて強いオミクロン株が急速にまん延して医療が追いつかず、自宅で亡くなる人が相次いだ。 憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」について、最大の尊重を国に求める。 ところが政府の対応は、保健所など既存の体制でやれる範囲の対策に終始していなかったか。 憲法が保障する国民の権利を最優先する姿勢でコロナ対策を検証、改善していくことを求めたい。 25条では、すべての国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をうたう。 富める者と富まざる者との格差が拡大する中、コロナ禍が弱い立場の人をさらに追い込んでいる。 新しい資本主義を唱えて誕生した岸田政権は、いまだ具体的な所得の再分配政策を示さない。 改憲論議より、現憲法下でやらねばならぬことを直視すべきだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月03日 09時03分15秒
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