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テーマ:平和憲法(55)
カテゴリ:政治・政治家
元自民党幹事長の古賀誠氏のような政治家が自民党にいることが救いだ。
元自民幹事長の古賀誠さん、憲法9条は「戦争の反省と非戦の決意」5/3(火) 中国新聞 ロシアのウクライナ侵攻を受け、自民党は一層の防衛力強化を求める。その流れで安倍晋三元首相(山口4区)は日本の領土に米国の核兵器を置き、共同運用する「核共有」政策を一時提起した。原爆の惨禍を教訓に生まれた非核三原則を揺るがす事態に、「ハト派の重鎮」は危機感を示す。 元自民党幹事長の古賀誠さん(81)。伝統派閥・宏池会の前会長だ。戦火を知る者として広島、長崎の惨状が忘れ去られたかのような議論を憂う。「国際的な緊張が高まると、『保守の右』の人はこれまでも、そう動いてきた。一番心配したことが起きている」 原爆で多くの尊い命が奪われ、深い反省の下に今の憲法は生まれた―。そんな思いが古賀さんの胸に募る。「核戦争には勝者も敗者もない。全人類が終わりを迎える」。今こそ再確認するべき真理だと訴える。 最も届けたい相手は、宏池会を託した愛弟子でもある岸田文雄首相(広島1区)だという。「平和をもっと語ってほしい。被爆地広島の選出なのだから誰も文句は言わない」。かねて、そう注文してきた。 安倍氏らが提起した核共有政策を「政府として検討しない」と即座に退けた岸田首相の姿を「非核三原則を掲げ踏みとどまった。平和を守るのが政治家の仕事。一番大事な点を守った」とたたえる。「あまり岸田さんを褒めることはないのだが」と言い添える。 行商で生活つなぐ母の背中 平和を希求する古賀さんの信条は生い立ちが深く関係する。開戦前年の1940年に福岡県に生まれた。4歳の時、父がフィリピン・レイテ島で戦死。戦後、行商で生活をつなぐ母の背中を見てきた。「戦争で夫を亡くし、苦労した母のような人を二度と出すまい」と政治家を志した。 67年、参院議員秘書に就くと憲法を頭にたたき込んだ。政治家を目指す以上、憲法を学ぶことが不可欠だと考えた。中でも9条には「戦争の反省と非戦の決意が込められている」。80年に衆院初当選。「9条を守り次代につなぐのが使命」との思いで行動してきた。 国連平和維持活動(PKO)への自衛隊参加を可能にした92年のPKO協力法の採決では「9条に針の穴も開けてはいけない」と議場を退席。イラクに自衛隊を派遣する2003年の特別措置法の採決でも「米国が根拠なく始めた戦争だ。大事な自衛隊をなぜ出すのか」と議場を去った。 ウクライナ情勢を受け、自民党はことし4月、敵基地を攻撃する能力を「反撃能力」と改称し、防衛費を大幅に増やすよう岸田首相に提言した。専守防衛に反するとの批判が与野党から上がる。 古賀氏は「軍拡競争が始まったら戦時に戻る。外交以外に平和を保てない」と信じて疑わない。 今こそ、憲法の平和主義を重んじてきた宏池会の出番だと感じる。池田勇人氏や宮沢喜一氏ら宏池会の歴代首相が掲げた「9条堅持」を継ぐことに岸田政権の価値があると思う。 「理想論だと言う人もいるが、何が悪い。理想を実現するのが政治の役割だ」 宏池会元領袖・古賀誠氏が9条「語る会」を立て続けに開く背景2022/5/3 西日本新聞 自民党の古賀誠元幹事長(81)が、ロシアのウクライナ侵攻を機に勢いづく憲法9条の改正論議に警鐘を鳴らす動きを強めている。地盤とした福岡県南部で「語る会」を重ね、改憲に前のめりな党の現状を批判、平和憲法の堅持を訴える。岸田文雄首相を出した「宏池会」(岸田派)のかつての領袖(りょうしゅう)で、自民の一部に影響力を残す古賀氏。党内では夏の参院選を前に、9条への自衛隊明記を掲げる党改憲案と逆の主張を警戒する声も聞かれる。 「平和が今、脅かされている。戦争が近づきつつある国になっている」 4月16日午後、大牟田市の大牟田文化会館。古賀氏は諭すように語り始めた。「自民は保守政党だが、保守がどんどん右に偏っている」「ウクライナの毎日の映像を見ると、大牟田が爆撃を受け、焼けた炎を思い出す。理屈じゃない。戦争はやってはいけない」。声を高めて締めくくると、数百人から拍手が湧いた。 語る会は「政治家の一分 憲法9条は世界遺産」と題して、4月に久留米市や柳川市などで計4回開催。太平洋戦争で父親を亡くし、これまでも著書などで「9条は一切改正してはダメだ」と発信していたが、加速度的に高まる改憲機運に危機感を抱き、計画したという。 古賀氏は2012年に国会議員を退いた後も、20年まで宏池会の名誉会長を務めた。自民の有力支持団体である日本情遺族会の会長も経験、今も多くの会員に慕われている。「9条を心に刻み続けたい」と訴え、9条改正に反対する古賀氏の持論が浸透すれば、参院選で勝利して政権の安定を目指す首相に対し、かつての「後見役」が足を引っ張る形になりかねない。 「9条堅持は古賀さんのライフワーク。気にしている人はいない」。宏池会のメンバーの多くは古賀氏を「過去の人」と捉え、「影響はない」との見方を示す。一方で、参院選で実動部隊となる九州のある自民県議は神経をとがらせた。「改憲が現実味を帯びれば帯びるほど、反発する世論も大きくなる。古賀氏の動きを侮ってはいけない」 自民党内では「古賀氏は過去の人」なのかもしれないが、過去から学ぶことをしなくなった時が一番危ないのだ。 古賀氏に賛同する自民党議員がいることを願う。 私は、憲法九条を守ることは、核よりも強い武器だと思っている。 多くの国が核を持っている今、信念として持たないことを決意している態度が、他の国を安心させることは確かだ。 何よりも、ウクライナの戦争を見ていてつくづく感じるのは、 一度火蓋を切ってしまったら、争いの炎は燃え盛るばかりであり、 武器の投入もエスカレートするばかりということだ。 そんな状況にしないのが政治の役割であり、 戦火の中に罪のない人たちを置き去りにすることは、政治の敗北だと思う。 まだ、日本を敵だと本気で考えている国はないと信じたい。 あのロシアや中国だって、隙あらば日本の国土をかすめ取りたいとは思ったとしても、 本気で大砲を打ち込むことはしないだろう。 しかし、敵基地攻撃力を持ち、「日本の国土に侵攻するかもしれない」と 一発でも攻撃弾を打ってしまったら、 それこそ日本はその国に攻撃の大義名分を与え、 大砲・ロケット雨あられの状態になるだろう。 私はそう考えているので、憲法論議は否定しないが、 憲法九条とその理念だけは守ってほしいと祈っている。 久しぶりに内田樹氏のブログを読み、下記の文章に共感。 関連するような気がするので、コピペしておく。 ロシアと日本 衰運のパターン 大阪のとある市民集会で「ウクライナとカジノ」という不思議な演題での講演を頼まれた。はて、どうやってこの「二題噺」を仕上げようか悩んだ末に「ロシアと日本の衰退には共通パターンがあるのでは」という仮説について話すことにした。 ロシアはとうから経済大国ではない。GDPは世界11位、イタリア、カナダ、韓国より下で、米の7%、日本の3分の1である。一人当たりGDPは世界66位。ハンガリー、ポーランド、ルーマニアといったかつての衛星国より下である。旧ソ連は物理学では世界のトップを走っていたが、ソ連崩壊以後のノーベル賞受賞者は5人。平和賞のドミトリー・ムラトフは反権力メディアのジャーナリスト、4人の物理学賞受賞者のうち一人は米国に一人は英国に在住している。ロシアの体制にはもう知的なイノベーションを生み出す文化的生産力は期し難いように見える。 外形的な数値ではまだ日本の方がまさっているけれど、長期低落傾向に伴う社会的閉塞感は両国に共通している。 システムの刷新が行われず、権力が一握りのグループに排他的に蓄積し、イエスマンしか出世できず、上司に諫言する人は左遷され、「オリガルヒ」や「レント・シーカー」が公共財を私財に付け替えて巨富を積む一方、庶民は劣悪な雇用環境の下で苦しんでいる・・・列挙すれば共通点はいくらでもある。 安倍晋三元首相がプーチン大統領に「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」と満面の笑みで語りかけたのは、今にして思えば、あながちリップサービスでもなかったのである。たしかにこの二人の権力者が見ていた未来はかなり似ていた。それは「未来がない」ということである。 ロシアと日本に共通しているのは「未来のあるべき姿」を提示できないという点である。どちらの国でも指導者が語るのはもっぱら遺恨と懐古と後悔である(「あいつのせいで、こんなことになった」「昔はよかった」「あのとき、ああしておけばよかった」といった文型が繰り返される。) その怒り悲しみは主観的には切実なものなのであろう。だが、それがどれほど本人にとって切実であっても、未来を胚胎しないメッセージは他者の胸には響かない。「ああ、そうですか。それはたいへんでしたね」という気のないリアクションしか返ってこない。 そんなことを言う人はあまりいないので申し上げるが、私が「未来」と呼ぶのは、「私たちが味わったような苦しみ悲しみを、誰にも、二度と経験させたくない」という強い思いを足場にして望見される「未来」のことである。 戦争であれ、貧困であれ、疫病であれ、痛みと苦しみの経験を持つ人たちは誰でも「もう二度とこんな苦しみを味わいたくない」と思う。思って当然である。でも、そこからさらに一歩を進めて、「私だけではなく、誰にも同じ苦しみを味わって欲しくない」という願いを持つ人はそれほど多くない。だが、そのような願いをつよく持つ人がめざす未来だけが他者の心に触れる。そのような「未来像」だけが人種や宗教や言語の差を越えた現実変成力を持つことができる。 ロシア人も日本人も戦争という外傷的経験で深く傷ついた。そのことを否定する人はどこにもいないだろう。しかし、そこから引き出した指針はせいぜい「二度とあんな思いはしたくない」という悔いにとどまった。どちらの国も自分たちの痛苦な経験を「世界の誰もが、私たちが味わったような痛みと苦しみを二度と味わうことがありませんように」という祈りにつなげることはできなかった。そのような祈りにつなげることができなければ、かつて傷つき苦しんだ人たちを「供養する」ことにはならないと私は思うけれども、ロシアでも日本でもそういう考え方をする人はこれまでつねに少数にとどまったし、これからも多数派を占めるとはとても思えない。 だから、私はこの両国には残念ながら「未来がない」と思うのである。ごく常識的なことだと思うのだが、メディアを徴する限り、同じことを言う人を見たことがないので、私が代わって申し上げることにした。 もう一つ憲法空語論2022-05-03 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月04日 15時56分35秒
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