4. バーナード・バルーク。
さて今日は株式投資本オールタイムベスト148位 黄金の掟(ジョン・ボイク著、パンローリング、2009年) の第4弾です。 今日は、第2章 バーナード・バルーク から。彼は1870年に生まれ1965年に94歳で亡くなっているのですが、投資で大成功しただけでなくアメリカ政界に進出してフィクサーとしても強大な権力を手に入れました。 ちなみに彼は第二次世界大戦後の1946年に国連原子力委員会の米国代表に選ばれ、「バルークプラン」によりアメリカの核独占による世界平和を唱えました。冷戦という言葉を初めて用いた一人であり、それが戦後の世界情勢を意味する言葉として認められた事実は彼の特権的な地位を証明しているとされています。(この部分ウィキペディアより一部引用) つまり、資金力・政治力・健康力の3つのスーパーパワーを誇った偉大な男だったわけで、我々株クラにとって1つの ロールモデル となる存在です。 そういったこともあって私は以前から「いつかはワイもバルークの様な男になりたいな。」と思って尊敬しているのですが、残念ながら日本語で手に入る書籍でバルークに言及したものはほとんどありません。なので、このボイクの1冊はとても貴重な存在となります。それでは始めましょう。 ウォール街に足を踏み入れてから5年が過ぎた32歳の時点で、彼は320万ドルの財産を築いており、成功者という高い評価を固めつつあった。 35歳のバルークは、だれもが認める投機家であり大富豪であり、かつ資本家としての名声も確立しつつあった。以前の失敗を繰り返すことなく、一生懸命働き、絶えずリサーチと研究を行うことで、若くして並外れた金持ちになったのだ。 バルークは公職に就いたときにウォール街でのトレードを止めたと噂されたが、実際にはマーケットの観察やトレードも行っていた。ただ、すべての時間をトレードにあてることはなくなっただけである。彼自身、株式トレードと国家への奉仕への間でバランスのとれた生活を気に入っていたようだ。 推定によれば、相場が天井を付けた1929年の彼の純資産はおよそ2500万ドル。 彼が自分の生涯を著わした本は、1957年に、「マイ・オウン・ストーリー」という題で出版され、すぐにベストセラーとなった。バルークは充実して満ち足りた、報いの多い一生を送ったのち、1965年に94歳で亡くなった。 うおぉー、カッコいい。これは痺れる、憧れる。ワイもバルークみたいな投資家になりたい。 でも夢ばかり見ていても仕方ないので彼の大成功の要因を分析してみると、 バルークがモメンタム+バリューのハイブリッド型投資家だった ことが挙げられると思います。 具体的に本書から引用すると、 バルークは財務データに明るく、研究対象のファンダメンタルズを解釈するうえで、大いに役立った。今日の言い方に従えば、バルークはテクニカル派というよりは、ファンダメンタルズ派のトレーダーだったといえる。 とあります。 つまり、彼は攻めに強いモメンタム投資と守りの固いバリュー投資の両方が出来たからこそ、リバモアの様に致命的な落とし穴に落ちることなく、栄光に満ちた一生を送れたのではないか?と個人的には推察しています。(続く)