テーマ:歩いて愉しむ東京(922)
カテゴリ:フォトグラファー
金王八幡宮の大鳥居前のT字路の少し上の右手に入る道で、この八幡通りから常磐松小学校正門へ通じる道をむかし「桜横町」と呼んばれていたサクラの並木道だったそうです。
その道端にこんな石碑が道端にありました。「さくら横ちょう歌碑」 作者の加藤周一(→→→こちら)は、当時の東京市渋谷区金王町出身の文筆家で、この通りの先にある常磐松小学校の卒業生だそうです。福永武彦、中村真一郎と親しく、共著である「一九四六 文学的考察」が文壇デビューのきっかけとなった方です。 「さくら横ちょう」は、加藤周一が創作した新定型詩のひとつで、彼が実際に暮らしていたこの界隈を詠んだもの。のちに中田喜直と別宮貞雄が曲を付けたことで有名となったそうです。 今ではサクラの並木道の面影はありませんが、その道を。遠くにそびえるあの高層ビルに向かって歩きます。 「國學院大學(→→→こちら)」の渋谷キャンパスになるそうです。ちなみに敢えて旧字体で表記するのが、大学の方針みたいですね。 國學院大學については良く存じ上げないのですが、神社本庁の神職の資格が取れる神職課程がある大学で、また有名なスポーツ選手なども出身者にいるということだけは知っています。 こちらの建物は、学術メディアセンターという建物で中に國學院大學博物館があります。入館料は無料で、大学の収集した考古学や神道に関する資料を観覧できるようです。時間があるときにじっくり訪れたいところです。 道路を挟んだ反対側にもキャンパスがあり、歴史ある大学らしい雰囲気が漂います。 学術メディアセンターの横には胸像と石碑が建てられていました。 きっと、偉い先生の物だと思い撮影しました。 説明板によると、瀧川政次郎(→→→こちら)博士という方の胸像と顕彰碑のようです。 この方は、日本法制史の大家で、研究領域は中国の法制史や政治史、社会経済史、芸能・風俗史などにおよび、遊女の歴史といった戦前はタブーとされた研究にも積極的に取り組んで、100冊を超える編著書を世に送り出している。法実務にも深くかかわり、東京裁判の特別弁護人を務めらられたそうです。 「胸像は生前に親交のあった國松幹平(大次郎)の寄贈である。」と説明板に記されています。 こちらは顕彰碑になっています。 「建立は後継者小林宏(國學院大學名誉教授)、門下の法制史家金指正三、福岡市の石材店店主国松大次郎・良康父子であり、設計は石像美術研究の大家川勝政太郎である」と説明板に記されています。 (渋谷からお散歩のコース) 【つづく】 人気ブログランキング 渋谷からお散歩(その6) 國學院大學 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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