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モノスキー日記

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 梨木健太郎@ Re:7号食※ を再開しました。(11/07) だれも見んし、コメントも他にはないね。
 中居正郎@ Re:7号食※ を再開しました。(11/07) びっくりのアップ~だれもみんよね。
 よきん@ Re[1]:緊急事態宣言 !!(10/19) 銀線名人ぬかしんぼさんへ (^O^)ア(^○^)ハ(…
 よきん@ Re[1]:緊急事態宣言 !!(10/19) 銀線名人ぬかしんぼさんへ 一年近く返信…

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2007年07月30日
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中学2年生で退学になった氏が、幾多の挫折、紆余曲折を経て
現在は、多くの子供たちに希望と勇気を与える塾を開いておられます。
福山北準倫理法人会でのモーニングセミナーの講述録です。

☆━━━…………‥‥‥ 講話 ‥‥…………━━━☆
       テーマ「つまずき、寄り道、回り道」
フジゼミ塾長
              藤岡 克義 様

皆様おはようございます。
私にとってもこの場(モーニングセミナーの)は知らない世界です。(笑い)
昨日は参議院選挙でしたが、大学時代の友人が国会議員をやっている関係で、
応援していました。今日は仮眠だけしてやってきました。

こういう場で話すのは初めてです。

話すテーマをお願いしますと言われました。
ふと、自然に頭にうかんだのでテーマを「つまずき、寄り道、回り道」
としました。

私自身もそうだったですし、若い子に対して、
つまずいたり、寄り道をしたりしても長い人生の目で見れば
それはそれでいいのではないかと教えています。

金田さんから紹介があったように思い切り、人生をつまずき
寄り道、回り道をしてきました。やらなくてもいい経験もしました。
でも、そのおかげで、いろんな人に出会えたのは事実です。

中学2年生の時に、暴力事件で辞めてくれといわれて退学になりました。
義務教育だったのですが、やめて別の中学へ行きました。

高校も同じく退学になりました。ふたつの学校へ行ったのですが、
両方とも半年ほどしか通っていません。

両親はものすごく心配し、母などは2日に1度は泣いていたようです。
親を追い詰めてしまっていたようです。

荒れていた時期は17歳ぐらいまでですが、そのころはまだ親の気持ちを
考えることは出来ませんでした。

将来どうするんだといわれたのですが、正直将来のことを考える余裕も関心もなく、
その日一日をどう暮らしていこうかぐらいしか考えていませんでした。

悪いことをして家に帰る時、親がああ言うだろうと思いながら帰ります。
言われなくても空気で分かります。表情や背中でわかります。
そして想像通りの展開になります。

そこに座りなさいと言われ、説教をうけます。
そういうことを繰り返しているとだんだん家には帰りたくなくなります。
親の泣く姿も見たくありません。こうしてだんだん、家には帰らなくなりました。

16歳の時のことです。友人たちと車を乗り回していて交通事故にあいました。
その事故の影響で、右の目は見えません。
そんな大きな事故にあっても、すぐにまじめになろうとは思いませんでした。

よく広島の暴走族の話がでますが、暴走族の仲間は
18歳を過ぎても暴走族をやっているとかっこ悪いと思っています。
そのころ、やっと将来のことを考えるようになりました。

17歳の時に私を買ってくれる人がいました。ある仕事をしていたのです。
決して自慢できるような仕事ではなくて警察に隠れてやるような仕事です。(笑い)
その社長が僕を買ってくれるということが嬉しくて頑張ろうと言う気になりました。

19歳の時、社長が「君にはこんな仕事ではもったいない。こういう世界に
居るのはもったいない。大学へ行くか、せめて高校を卒業して、
なにかをやったらよい」というのです。

大学進学をすることなど、私の選択肢から100%消えていました。
でも、その言葉で、そうかそういう道もあるんだと初めて知りました。

大検という制度があって、高校をいかなくても大学も就職も高卒と
同じようになれるんだと聴きました。
それまで、将来のことなど考えたことが無かったと思います。

そういう道があると知って、やってみたいなと思いました。
たまたま近所に呉服屋を営みながら、勉強を教えてくれる人がいました。

中学校1年から学校の勉強にはついていけませんでしたから、
何をやってよいやらどう勉強すれば良いか、分からなくて悩んでいました。

呉服屋に寄ったら、どこの大学にいきたいのか?と聴かれました。
東京に知り合いがいて、たまたま帝京大学という学校を知っていたので
帝京大学に行きたいと言いました。

そうかそれでは、2年辛抱すれば帝京に入れてやろうと言われました。
電流が走るぐらい感動しました。これで大学生になれると思いました。
2年ならこの人についていこうと思いました。

それから勉強一筋になりました。
2年後でなく、1年後に國學院大學に入りました。
大学卒業後、建設会社へ就職しました。

ふと、今の自分があるのはどういうことだろうと思うようになって、
自分のような人のために、なりたいと思うようになりました。

呉服屋のおじさんのようになりたいと思いました。
3年務めたあと、福山に帰ってきました。

ただいま31歳になりますが、27歳の時にフジゲンという塾を始めました。
たいして宣伝をしなかったのですが、うわさを聞いて来てくれます。
今、生徒は30名いますが、半分以上が高校中退です。

公認試験というのがあって、高校大学へ進んでいる子がいます。
4年で何人も大学に送り出しました。

初めて大学生になったのは、当時現役のホステスさんでした。
その子は16歳で中退して水商売に入り、12年ホステスをしていました。
座っただけで2万円とられるような高級クラブです。
そこのカンバンのホステスさんでした。

彼女が28歳になったとき、人生を考えるようになって、昔自分は
保母さんになりたいと思っていたことを思い出したそうです。

カンバンの女の子でしたから、お店を辞められません。
しかも彼女の実家は???の仕事をしていました。
お店、家の手伝い、学校と、彼女は3足のわらじを履いて勉強をしました。
半年で大検、その3ヵ月後に大学その後、保母さんの資格までとりました。

30歳にして子供が3人居るお母さんの話です。
シンナーとお酒におぼれ、15歳で大阪へ行き、
水商売を転々としていた人です。

20歳で子供が出来ました。子供のために看護士をしたいと奮い立って
私のところへ来ました。子育てをしながら、看護学校へも同時に行き、
両方の勉強をしました。そんな風に大検に挑戦しました。
いまも正看護士を目指して勉強しています。

名古屋から現役の暴走族がきました。
暴力団とのトラブルに巻き込まれ逃げてきた子です。
その子は1年半で必死に勉強して、今は國學院大學へ行っています。

他にもいろんな子がいます。

これらの子達はものすごいエネルギー、パワーをもっています。
荒れた子ばかりではなく進学校の子もいます。普通の子達も来ます。
昼間は高校中退の子が中心、夜は現役の中学・高校生が中心です。

どちらかというと中退の子達の方がまじめで真剣です。

夜の部の子達は、親が行けというから来ている子が多いようです。
昼の部の子達は、自分から望んできている子が多いようです。
いろんな経験をしているからだろうと思います。

保護観察中の子もいます。失敗はしているけれど、
いろいろな人を知っているから、パワーがあります。

私は最初の高校を首になったとき、それは島根県の学校でしたが、
親が迎えに来て帰る道、庄原市あたりで降りろと言われました。
家には帰るなと言われました。夜中でした。

朝まで待って、まず山口へ行きました。
地元には帰れなくて、東京へ行くことにしました。
東京では1年ぐらい住み込みで働いたのです。

それまで尊敬できる人というのは、突っ張った人だけでした。
バイクを乗るのが上手とか、喧嘩が強いとか・・・
そういう狭い目でしか世界を見たことが無かったのです。

働きはじめて分かりました。仕事が出来ないとただの馬鹿です。
それに気づきました。

お酒を担ぐ仕事でしたが、ちっとも役に立たないのです。
悔しくて、ビールを3ケースぐらい持てるようになりました。
すると自分が必要とされていることが肌で感じられるようになりました。
仕事で役立つ経験が出来たのが大きかったです。

小さな会社でしたが、いろんな人が出入りしました。
自分で会社を始める人など、いろいろな人との出会いがありました。

自分も変わろうと思いました。自分も大学に行けば、
自分も世の中の役に立つと思えるようになりました。

普通に学校へ行って、就職するのが、親の希望でしょうが、
つまづいても許す気持ちを持ってほしいと思います。

大人だったら、失敗をしても許されます。
子供たちは、失敗が許されていないように思います。

うちへ来て高校に行きたいと言う子も、なんでこの学校へ行きたいんだ?
と聞くと、「先生がここしか行けないからと言われたから」と答えます。

先生からは、あんたの学力ではここしかいけないよと言われる。
親からはあんたが悪かったから、勉強しなかったから
こんなところしか行けないと言われる。まるで詰め将棋です。
子供は追い詰められたら将棋盤をひっくり返すしか取る道がなくなります。

学歴と肩書きが付きまとうような一本道しかあたえられないと、
疑問を感じる子がいても不思議ではありません。
親はそういう一本道しか与えませんし、なぜその道しかないのかを説明できません。

うちに来る子達は、お父さんお母さんが立派と言う子供が多いです。
言いにくいですが、うちに来る子供さんの家庭には警官の子供とか
学校の先生とか、会社経営とかそういう家庭の子供さんが多いです。

世間体とかプレッシャーのせいか分かりませんが、
両親は自分で問題を抱えて、それを全部子供にぶつけます。
そして、子供たちを一本道以外の道を与えません。
これでは子供たちはたまりません。

うちの子達は、よそ道にそれたような経験を持つ子供たちばかりですが、
中学1年の基礎的な学力から高校3年のセンター試験を受けられる
ようになるまで1年半もあれば、なんとかなります。
失敗した子はある意味、開き直っていますからやる気がすごいです。

先ほどの3人のお子さんをもったお母さんなどは
「シンナーとお酒で脳が溶けている」と言いながら(笑い)
頑張って大検をパスしました。

一人が合格するとみんなもその気になります。

自分には無理という、思い込みをみんなが持っていますが、
回りが結果を出すと、自分でも出来るのではないかと思うようになります。
自分もやってみようという子がどんどん増えていきます。

今日は経営者の人が多いので、お願いします。
若い子たちの中に可能性を持っている人がいますので、
可能性を見つけて声をかけていただきたいのです。

私も、経営者から声をかけてもらったのがきっかけでした。
これがもし親から言われたとしても私は変わらなかったでしょう。
だから、皆さんは是非、資格をとるとか仕事の仕方など、
可能性を伸ばすような一言をかけてあげてください。

この中では私が一番若いと思いますが、偉そうな話ですみません。
よく聴いてくださってありがとうございます。

☆━━━…………‥‥‥連絡事項‥‥…………━━━☆
 世良事務長
皆様おはようございます。

来週は、倫理研究所の方が来られます。

三原市の10周年の講演テープがありますから
必要な方はお申し出ください。
本日の出席者は24社28名でした。
ありがとうございます。
                    以上
☆..:*:・゜'★,。・:*:・゜'☆..:*:・゜'★,。・:*:・゜'☆..:*:・゜
誤字脱字がたくさんあることと思います。
特に、お名前など固有の名称間違いについては、失礼をお許し下さい。

テープ録音無しの即興メモですから、
ご発言の趣旨と違う場合もあることでしょう。

大変失礼とは存じますが、
大きな心でご容赦くださいますようお願いします。

皆様には、そのような問題を多分に含んでいることを
ご理解戴き、取扱には配慮をお願いします。





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Last updated  2007年07月30日 14時18分43秒
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