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モノスキー日記

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 梨木健太郎@ Re:7号食※ を再開しました。(11/07) だれも見んし、コメントも他にはないね。
 中居正郎@ Re:7号食※ を再開しました。(11/07) びっくりのアップ~だれもみんよね。
 よきん@ Re[1]:緊急事態宣言 !!(10/19) 銀線名人ぬかしんぼさんへ (^O^)ア(^○^)ハ(…
 よきん@ Re[1]:緊急事態宣言 !!(10/19) 銀線名人ぬかしんぼさんへ 一年近く返信…

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2008年05月19日
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今朝のモーニングセミナーの会長挨拶です。


福山北倫理法人会 モーニングセミナー
日時:2008年5月19日6:00~7:00
会場:サロン・ド・ロアール

☆━━━…………‥‥‥会長挨拶‥‥…………━━━☆
金田副会長
みなさん、おはようございます。

さわやかな5月ですね。今日もこうして皆様もさわやかに
たくさんの方にお集まりいただきありがとうございます。

5月13日、出会いの名人である森岡ママが天寿をまっとうされました。
(注:森岡まさ子さん)
今日は森岡ママに戴いたスカーフをしてきました。

はがき道で、出会いを戴き20年前からお付き合いさせていただきました。
つらい時にはよく相談に行きましたが、いつも120%の笑顔で抱きしめてください
ました。どんな時も笑顔を絶やさない人でした。

新市の一休さんをご覧になったことがないということで、来ていただきました。
これがその時の写真です。これが遺影として使われていたので感動しました。
この時92歳でした。来ていただいたときには、講演をしていただきました。
いつも青春だといって講演されました。

ママの残された言葉にはたくさん素晴らしい言葉があります。

「会う人も会う人も福の神」

「五つのまめをたべよう」
5つのまめというのは、出マメ、筆まめ・・・・

「こそ丸(こそがん)を飲もう」
なにか面白くないことがあったら、「こそ」という字を手に書いて飲むのです。
あなたがいたから「こそ」というわけです。

葬式には全国から500人の人が駆けつけました。
森岡ママは、遺言を残されました。
住んでいた家は上下町に寄付することにしてあったそうです。

私も、ママを目標に生きて生きたいとおもいます。

今日は私の唯一のボーイフレンド 田原さんが来られています。
どんな話が聴けるか楽しみです。

本日も最良の一日になりますようにありがとうございます。


(2008年5月14日 読売新聞)
森岡まさ子さん死去 県内初民間ユースホステル創設 98歳

 県内初の民間ユースホステルの府中市上下町、「自然の森 MGユースホステル
(YH)」の創設者、同YH名誉ペアレントで「森岡ママ」の愛称で親しまれた森岡
まさ子さんが13日、老衰のため亡くなった。98歳だった。告別式は17日午後1
時、同町上下253の2の翁苑(おきなえん)で。自宅は同町矢野607の1。喪主は
養子、正裄(まさゆき)氏。

 森岡さんは1910年、同町生まれ。上下高等女学校(現・県立上下高)を卒業
後、大阪市内のデパートに就職。広島市内で被爆した元新聞記者の夫、敏之さん(故
人)と59年10月、同YHを開設、敏之さんが67年6月に亡くなった後も、84
年に74歳で一線を退くまで運営した。

 2004年2月、現ペアレントの和知啓子さん(50)に引き継いだ後も、YHを
訪れる若者らの世話を続け、利用者からは親しみを込めて「森岡ママ」と呼ばれてい
た。

 一方で、森岡さんは敏之さんの遺志を継ぎ、平和や出会いの大切さを訴える講演活
動を全国で展開。1988年には県国際地域文化功労賞を受賞、2002年には高齢
を感じさせない活動に対し、内閣府からエイジレス章が贈られた。

 06年10月、日本ユースホステル協会から特別功労者表彰を受けた際には「苦し
い時代もあったけれど、頑張りを認められて感無量」と笑顔を見せた。07年2月に
は自叙伝とも言える「森岡ママは今日も笑顔で丘の上 97歳の青春を生きる」を出
版した。

 和知さんによると、森岡さんは昨年11月、正裄さんの住む秋田市を訪れた後に体
調を崩し、12月下旬から同市内で入院していた。和知さんは「ママは亡くなって
も、いつもそばにいる。感謝の気持ちで送ってあげたい」と涙をこらえて話した。

(2008年5月14日 読売新聞)





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Last updated  2008年05月19日 09時23分52秒
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