フリムン先生との出会い
ランナーズで皆生トライアスロンの記事を見て、しばらくしてからフリムン先生の記事が載りました。フリムンとは与那国島の方言で変人とか気違いの意味だそうで、与那国島の診療所に勤める清水利恭先生です。清水先生は年は私よりふたつほど若いのですが、名大医学部の2年先輩で、アフリカへ渡ってシュバイツァーのような医者になるのが夢でしたので、まず僻地医療を勉強するために無医村であった与那国島へ渡ったのです。先生はマラソンも好きで毎日島中を走り回っていたようです。そしてトライアスロンにも挑戦するようになり、第2回宮古島トライアスロンで初めてお会いし、第3回の時には年代別の表彰で宮古島の舞台に一緒に上がりました(清水先生が1位、私は3位(総合29位)でしたが)。その後も僻地医療の夢は捨てずにフランス語の勉強にフランスに渡り、JICA(国境のない医師団)に入って、アフリカではありませんでしたが、南米のボリビアで僻地診療をされました。その後東京のJICA事務局に帰って来たころに一度東京でお会いしました。そして、2013年頃から蝶の撮影に毎年、清水先生が若いころに10年ほど過ごした与那国島を訪問するようになりました。フリムン先生のことを空港の売店の小母さんに尋ねたら、よく覚えて見えて、その頃は島の人にも慕われていたようです。迷蝶を追いかけて、与那国へ通うようになり、蝶屋が集まる与那国ホンダの西條さんのお宅にお邪魔した時に、トライアスロンをしている西條さんの写真が飾ってありましたので、フリムン先生のことを知っているか訊いて見ました。そしたら西條さんはもともと短距離が得意だったのですが、フリムン先生の影響でマラソンを始めるようになり、サブスリーも達成し、石垣島のトライアスロンにも挑戦したそうです。そしてフリムン先生の失敗談も聞いてきました。ある時に、事故で指を切断してしまった人がいて、その接合手術を沖縄本島の病院に頼んだのですが、何と切断した指を氷水ではなくホルマリンにつけて送ったのだそうで、それ以来島の人の信用は失墜してしまったとのことでした。与那国へ行くと夜の8時に与那国ホンダの西條さん宅に集まって飲むのですが毎回その話で盛り上がります。西條さんはまだマラソンを続けていて毎日ジョギンングは欠かしません。ともあれ、清水先生は私がトライアスロンを始めるきっかけを作ってくれた先生です。
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最終更新日
2018年03月22日 07時30分08秒
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