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2024.06.30
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カテゴリ:報徳
後藤 静香 日めくり 30日


愛すれば
  愛すれば
  話が解る

  愛すれば
  心が通う

  愛すれば
  機転がきく

  愛すれば
  気苦労なし



後藤 静香(ごとう せいこう、1884年8月17日 - 1971年5月15日)は、大分県出身の社会教育家、社会運動家。

蓮沼門三の「修養団」に傾倒し参加。
格言や偉人伝、寓話などをわかりやすく解説した雑誌をいくつも発行。
代表作である詩集・格言集『権威』は100万部を越えて、当時の青年、教育社、労働者に愛読され、熱狂的な支持を得た。

「現代語訳 安居院義道」p.-83

また福住先生も富国捷径の首巻に
「この道を開くに、まず難村取直しより手を下し、専ら衰村挽回の方法を明らかにしたため、その説を聞く者は衰村でなければ報徳に入るべきものではないと思慮するに至って、なおひどいものになると「私はまだ報徳に入るまでの貧乏はしていません」と言う者がある。これはまた駿遠地方の誤解の原因である」と。

  駿州石田村回復方法の事(淡山論集第一編より摘載)
 駿州有渡郡(うどごうり)石田村は戸数三十一戸、村高三百五十六石一斗四升あり。静岡宿を南にへだたること、およそ三十町、南海岸より僅かに十五町、土地は平らで広く水田が多く、当時久能山東照宮の神領に属して、政教が行き届かず村民はぜいたくで家業を怠り産業を治めず、このため次第に借財が増加し、田園の多くは他村へ質地となり、耕作物の収入も、ほとんど村民の所有ではなくなった。しかし村民は平気でこれを憂いとしない。おもうに神領の地で、借財が増加すれば政府が救助する恩典がある。訴訟の事があれば政府が常にこれをかばって、借財を返さなくてもよいことにするとなっている。だから小作人は地主の年貢を滞納し、年々歳々怠納の負債は増殖する。地主は他村に住んでいて、これを責めるが、貧窮し窮迫し、人気もこのようであるのでどうにもできない。債権主はやむを得ずこれを当局に訴えるに至り、数々その厳責を受ける。村民の無残なありさまなのも、またこれを憂いとしないものはいない。
 安政四年の初め、安居院先生が庵原郡鳥坂村にあって、報徳の法を行う。府中宿の片羽町に伏見忠七という人がいた。資産家であり、当石田村に田地を所有し、以前からその困難の状況を知る。また鳥坂村にも田地を所有し、報徳の法によって村民の農業が進んで、借財の返済の道が行われ、風俗は日に改良におもむくことを知って、良法であるとし、その番頭を石田村の庄屋石垣治兵衛の家に行かせた。石垣氏が思うに、また借財の督促に来たのかと。心中大いに拒絶する色があり、それが顔色にあらわれる。番頭が言う、「心配しなくてもよい。今日私が来たのは、決して借財の督促のためではない。極めて良法がある。報徳という。その先生を安居院庄七という。今、現に鳥坂村にいらっしゃる。この法に従えば数年しないで村は回復するだろう。よろしくこの人についてその教えを問い、一村あげてこれに従いなさい。これは主人忠七が私を使いによこしてあなたに告げさせるゆえんである」と。石垣父子は共にこれを聞いて、大変喜んで、詳しくその経緯を尋問し、直ちに村内のおもだった者五十七名を集会し、この事を話したところ、皆大変にこれを喜んで、まだ村民に告げるいとまもなく、翌日直ちに鳥坂村におもむいた。伏見忠七の番頭がこれらの紹介を行い、安居院先生に請願した。
 その時に先生は上座にあった。七人の者は、遠くに見て。彼は、どてら(厚く綿を入れた広袖の着物)を着た老人ではないか、果してあの老人を先生とするべきか、私たちは、だまされたのではないかと後悔した。しかし先生は、直ちに面会を許さない。面会を断るのに「仕法は容易に行うことはできない、彼らが悔悟していないからだ」と。同行の者は皆、眉をひそめ謝罪して帰る。なお再三おもむいて、ようやく面会を許された。
 先生は言った「あなたがたが報徳の道を慕って教えを求めるのは大変賞賛すべきことだ。しかしこの道は容易の事業ではない。まずあなたがたの日常の心掛けを聞こう。あなたがたが天道のために尽すところはどれくらいあるか」、七人の者は答えることができずに黙っていた。先生は言った。「あなたがたが答えることができないのを見れば、今まで天道のために仕える道を尽くしたことが無いものと見える。村が困窮するは当然の事である」と言って他は言われない。七人の者は、終に答えることができないで去った。
翌日また往く。先生は教えるに天道をもってする。翌日また往く。先生は教えるに人道をもってする。日々このように教戒があった。遂に前後十八日を積んで、先生はいよいよ報徳の大意を述べた。七人の者は、一日一回ごとにその説の意義のあることに感じて、深く感化されるに至った。
この時に当って、石田村の村民は皆言う。「諸君は報徳神に参詣して福を得る方法を伝えられると聞く。どうしてこれを私たちに告げないのか」と。その帰るのを待って、行って詰問する。そこで七人の者は詳しくそのありさまを告げて言った。「私たちは諸君に隠すところはない。先生の言はこのようであったと。実に感服するにたえない。この法に従うならば、必ず村の復興は疑いない。どうか村こぞって先生を招いて、その教えに従いたいと思うが、いかがであろうか」と。
ここにおいて村民は大変喜び、皆、その言に従って先生を招く事を決した。七人の者はまた非常に喜び、時を移さずに鳥坂村におもむいて、先生においで下さるように求めて止まない。
先生はその事情を察して、この村に臨むことを承諾した。そこで時日を期して先生を迎えることを約束して、村に帰った。
 すなわち期日を待ち、行ってこれを迎える。約束の日、約束の時刻より遅延した。先生は大変に戒めて言った。「あなたがたは、今日私を迎えるに、約束の時刻を遅れたことはどういうわけか、私はこれを待って久しい。思うにあなたたちは、帰村の上、村民の評議が変易する所があって遅刻したのであろう。このような状況で、私を迎えても、決して成功しがたい。これはきっと時機がまだ至らないからであろう。神が私を戒めることはこのようである。私がもし行くならば、必ず神意にさからうであろう。私が行こうと欲しても、行くことはできない」と。厳然としてこれを戒めた。迎える者は、大変顔色を失って謝罪し、辞を尽して、ようやく許していただいた。
ここにおいて七人は、先生に従って帰村し、石垣家に招いた。直ちに村民を集めて、日夜報徳の教えを聞いて仕法を求めた。先生はすなわち毎戸の家政を調査して借財償却の法案を立てるも、家の資本は貧窮、借財は累積して仕法を立てるべき所が無いようである。先生はそのために屈せず諭して言った、
「あなたは衣服・家屋を売り払って負債を償却すべきである。あなたは子女を人に託して、あなたは自ら人の下僕となるべきである。あなたの鍋・釜、あなたの膳・椀、あなたの鋤・鍬、これは皆債主の恩沢に依るものであるから、その不要のものはこれを売却して借財を返済する資本にして、必要なものはこれを保存し、常に債主の大恩を思い、決して壊してはならない」と。
その法は、厳重で寛大に処置する所が無く、村民は大変驚いた。あるいは妻女が家に泣くものがあったり、あるいは子を背負って隣村に憐れみを求めるものがあったり、衣服を質にし、家屋を売却しようとするものがあったりして、一村の惨状は語ることができない状況になった。
人気は再び挫折し、報徳社を脱しようと欲して村内の境内に会合するものが過半数、昼夜協議して、大変に不穏な状況となった。石垣氏は大変にこれを憂えて、同志と共に力を尽くし、利害得失を説明し、善法の善法たるゆえんを詳しく懇切に諭した。村民はまた心を改めて、挙げてその教えに従い、二心なくその法を遵守するに至った。
これにおいて仕法帳を調成し、各債主のもとに至って、等しく年賦償還の承諾を求めた。その法は別に奇術があるわけではない。農業の余力をもって日掛縄索(ひがけなわない)の業を勤め、日夜怠らないでこれを積立て負債の返償にあてることに外ならない。また旧来の悪い風習である凧揚(たこあ)げ、雛祭り、その他諸祝儀飲酒の風、一切これを廃し、年賀の礼は役場において一同にこれを行い、各々積縄一房を持参することを例となし、また一年中、毎朝社長が各戸を回り、その積縄を集め、一手にこれを売却して負債償還の元資とするにある。その法は、一村の赤誠に成り、少しも違納するようなことがないということを認めたので、債主は各々これを良しとし、いずれも速やかに承諾しないものはなく、そればかりか農業奨励のために土台金を寄付するものもあり、肥料を寄付することもあり、無利足金を加入するものもあり、借債の督促は急に止み、一村は皆その法のありがたいことを歓喜し、人気は非常に進み、農業を一途に奨励し、積縄の法もまた怠らない、女、子供に至るまで、子を背負って縄をなうにいたる。
これをもって十年で数千金の負債は残らず償却し、なお十年で数千円の社金を積立て得たので、次第に質地を受け戻し、または買戻しを行い、後には遂に他村からの入作地が無くなるにいたる。
安居院先生は、当村に在ること三年、教えを親切丁寧に述べ、石垣氏はよくその教えを遵奉し、法を行うこと、数十年一日のごとく、誠心堅固であったため社員は一致してよくその業を遂げ、復興し、富盛の実功を成就することを得た。
以来その報徳仕法は四方に伝播し、入社するものは、ほとんど三十余村に及ぶ。これを駿河西報徳社と称する。石垣氏が社長である。明治十三年、社中の諸村が力をあわせて報徳舎を石垣氏の邸中に新設した。 毎年六回この舎において発会し、勧業の業は今まで一日も忘れることが無いという。(以上淡山論集一編、摘載)


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*新しく蔵書の図書館は太字

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最終更新日  2024.06.30 00:00:24



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