エッセイ 【スバル】
見上げれば満天の星/故郷の夜空のごとし/蛍飛びなば
幼い頃から空を見上げるのが好きだった。
村の高台にある生家の庭から大村湾が見渡せ、それを包み込むように県境尾根が稜線を引き、天と地を分けていた。
夜が更けてくるに従い、波一つ無い海面にも映しだされているのではと見間違うほどに空には星が満ちていた。
単身上京して、一年は慌ただしく過ぎた。
東京の生活にもようやく慣れ、周囲を振り返る余裕が出てきたら、山が見えないのに気付いた。
職場は海に近かったが、ヘドロで臭かった。
そんな時、大学でワンゲルの夏期実習があった。
上京して初めて山に登った。山頂からは見渡す限りの展望が得られた。爽快だった。
このことがきっかけで日曜毎に仲間を募って郊外の山に出かけた。
すぐに一人きりでも登れる自信がついてきた。
北アルプスを目指すようになるのに一年かからなかった。
上高地から横尾まで梓川沿いの平坦な道をゆっくり歩いた。
そこからはジグザグを繰り返しながら徐々に高度をあげていく。
途中水場を過ぎる頃から坂の傾斜がきつくなり、喘ぎ喘ぎ更に登ると涸沢についた。
そこは氷河期のカ-ルの形跡が残っている所で、付近一帯には色とりどりのテントが張られていた。
夜、なにげなしにテントをはい出し、いよいよ明日は穂高に登るのかと、ふいと山頂を抜けて空を見上げたら、故郷で見たのと同じ位の星が瞬いていた。
懐かしい記憶が同時に蘇ってきた。父を早くに亡くし、母と一緒に見上げた星空。
《一番大きく輝いているのが父さん、横に少し離れているのが姉さん、
その上に二つ並んでいるのが母さんの父さんと母さん》
と、いつも言っていた母。
あの時から二〇数年が過ぎ、その母も逝き、親しかった友も逝ってしまった。
私も何時の間にか母が側にいた年齢になった。今でも時々空を見上げる。
そして、今だからこそおもう。青春真っただ中にいる息子、娘に、かってそういう母と子がいたことを伝えたいと。
星満ちて/ひとつひとつ指差せば/亡し父母友の追憶見ゆ
1998.10.24/2002.1.28のいちご通信2号発表