3664758 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

おしゃれ手紙

全58件 (58件中 41-50件目)

< 1 2 3 4 5 6 >

お出かけ

2014.11.24
XML
テーマ:関西(15)
カテゴリ:お出かけ
kaki201411 11月24日(祝)。
暮れてゆく秋を見ておこうと、夫と和歌山へ行った。
あえて高速道路を選ばず、細い山道の峠を越えて行く。
途中、家も途切れた所に2軒の店がある。
その家のそばにあった柿の木。
たわわに実をつけているが、実が小さく、商品価値のない柿は、誰もとらないようだ。
こんな柿の木が山のあちこちに残っている。
輸入物の珍しい果物よりも、日本で、地元で出来る果物を食べるの方が二酸化炭素の排出が少ないからいいのにな・・・。
sannmonn
根来寺に行った。
根来寺

室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。
また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた
織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦いにおいて徳川方に通じ留守の岸和田城を襲ったほか南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻めを招くこととなった。
生産地となった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが各地で敗れ、天正13年(1585年)、秀吉軍は根来寺に到達。
大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。
根来寺における戦いでは寺衆はほとんど抵抗を行わなかったため焼き討ちの必要性は薄く、炎上の原因は、秀吉による焼き討ち、寺衆による自焼、兵士による放火など多説あるが、定かではない。
大坂の陣で豊臣家を滅びた後、徳川家康によって秀吉が鶴松を弔うために建立した祥雲禅寺が根来寺に寄進された。
江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと一部が復興された。

monn
この写真は、上の写真の反対側からうつしたもの。

今回で2回目だけれど、なんか、すごい歴史のあるお寺。
さあ、中に入ってみよう。
靴根来寺
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・・・・・・






Last updated  2014.11.27 01:25:45
コメント(0) | コメントを書く
2014.11.07
カテゴリ:お出かけ
アール・ヌーボーの華、アルフォンス・ミュシャ館に、11月3日、友人と行ってきた。
ミュシャが有名になったのは、偶然だった。

パリの人気女優だった、サラ・ベルナールの舞台のポスターを描く人がいなく急きょ、ミュシャに依頼した。
出来あがった、ポスターを見て、サラは大喜び。
パリっ子にも大人気になり、一夜にしてミュシャは、売れっ子画家となった。
以後、サラ・ベルナールの専属画家となった。

先日、次女のアパートに行ったが、部屋に、額に入ったミュシャの絵が2枚かかっていた。

昨年3月に亡くなった友人■も、ミュシャが大好きで、飼っている猫に
ミュシャと名付け、ミューミューと呼んでいた。

19世紀の終わり、アール・ヌーボーの時代に突如、有名になった画家、アルフォンス・ミュシャ。
21世紀の今もその華麗なタッチは、人々の心を虜にする。
   アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて花開いたアール・ヌーヴォーの代表的画家です。
ミュシャは、現在のチェコ共和国で生まれ、パリの舞台女優、サラ・ベルナールのポスターを制作して一躍有名になりました。

ミュシャの作品はしなやかな曲線と美しい色彩が特徴で、異国趣味や古典古代を思わせる装飾様式のほか、日本など東洋の美術の要素もみられます。
また、『明星』や『みだれ髪』などを通じて日本にも大きな影響を及ぼしました。

アルフォンス・ミュシャ館では、ミュシャの初期から晩年期にまでわたる作品を展示し、生涯にわたる創作活動を紹介しています。

靴堺市立文化館内 アルフォンス・ミュシャ館
■住所  〒590-0014 堺市堺区田出井町1-2-200
 ベルマージュ堺弐番館2F~4F
 堺市立文化館内
■ TEL 072-222-5533
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・・・・・・
      






Last updated  2014.11.10 21:01:15
コメント(0) | コメントを書く
2014.10.29
カテゴリ:お出かけ
有名人と関係のある今井町。
明治天皇も明治10年に今井町に来た。
miti
この道端は、カーブをしているが、こんなカーブのある道は、ここのみ。

明治天皇の一行が明治10年に馬車で今井町を訪れた時、特別に道にカーブをつけ、
通りの家の軒先を切って、馬車に当たらないようにしたのだそうだ

 明治10年といえば、西郷隆盛の西南の役(えき)。
明治天皇は、この今井町にある称念寺に泊まっていた時、その事を知った。

みんな大慌てで、今井町を発った。
当時は、鉄道などなかったので、馬車で堺まで。
堺から船で大阪へ。
大阪から川船に乗って京都へ行き、御所に陣を張ったのだそうだ


しかし、慌てていたので、明治天皇一行は、多くの忘れものをした。
その中のひとつが、風呂!!!
持ってきた明治天皇の専用の風呂を置いて帰ったのだそうだ

今も、その風呂は、今も称念寺にあるが見ることが出来るのは写真のみ。
靴
■アクセス:JR桜井線:畝傍駅  近鉄橿原線:八木西口駅
■ボランティアについては■ここ
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・
      






Last updated  2014.11.02 00:17:21
コメント(4) | コメントを書く
2014.10.28
カテゴリ:お出かけ
今井の道
堺と並び称された環濠都市・今井町には、多くの有名人と関係がある。
織田信長と秀吉も今井町に関係がある。

  ●織田信長
織田信長に反抗し、堀を深くし土塁や見通しを妨げる筋違いの道路等を築き
環濠城塞都市となった今井町。
戦争を仕掛けるためでなく自衛のためにつくった要塞都市の一つである。

織田の軍勢と半年あまり戦った。
結局、和睦という形になり、自治権が認められた。


この戦争で、織田信長は来なかったのかもしれない。
けれども、織田信長という戦国時代最強の人と闘った今井町はスゴイ!!
●秀吉
信長とくれば、秀吉。
羽柴なのか豊臣なのかは、分からない(聞き忘れた)。
秀吉の好きなものと言えば、金ぴかと女と花見。
有名な桜の名所、吉野に行く途中、休んだそうだ。
「この家です」と教えてもらったけど、写真をとらなかった。
_| ̄|○

靴 ■今井町■
■アクセス:JR桜井線:畝傍駅  近鉄橿原線:八木西口駅
■ボランティアについては■ここ
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・






Last updated  2014.11.01 00:21:09
コメント(0) | コメントを書く
2014.10.27
カテゴリ:お出かけ
今井の町なみ
*「海の堺 陸の今井」
*「大和の金は今井に七分」
*「金の虫干し玄関まで」
*「今井千軒」
*「今井札」

などと堺と並び称された環濠都市・今井町に、■再び■行ってきた。
前回は、イベントがあって、町中賑やか。
今回は普段着の今井をガイド付で夫と。
ガイドさん付だったので前回、見逃していたもしっかりと見ることが出来た。
今井の環濠
●まず、訂正から
上の写真を前回は、環濠の一部と紹介したが、間違っていた。
環濠は、埋められて右に見える道になってしまったたのだそうだ
車社会の犠牲になった環濠・・・。
うちも車で行ったのだが・・・。_| ̄|○
umanowa
●この輪はなんだ?
見逃していたものも多かった。
通りの壁につけられた、輪があったが、これは馬をつなぐためのものだったという。
umanowa2
その輪も、家の豊かさに応じて変わっている。
また、写真には無いが、馬をとめるための輪の上には、牛の輪もあった。
sewari
●背割(せわり)とは?
今では、役所に行けば、自分の家のきちんとした、土地の面積が記録されている。
そんな制度のなかった、時代(戦国時代以前)には、他家との土地をどうやるか。
それは、家と家の間に小さな溝を掘る。
それが、土地の区切りとなり生活排水を流すために利用された

この「背割(せわり)」は、あちこちに見られた。
   こんな昔が残っている町、今井町では、よく撮影が行われるそうだ。
NHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」■も、今井町で行われたのだそうだ。
靴 今井町へは。
■アクセス:JR桜井線:畝傍駅  近鉄橿原線:八木西口駅
■ボランティアについては■ここ
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・
      






Last updated  2014.10.30 00:29:48
コメント(0) | コメントを書く
2014.10.19
カテゴリ:お出かけ
秋のめぐみ
■10月19日(日)
和歌山県立紀伊風土記の丘■に日帰りで行ってきた。
和歌山県立紀伊風土記の丘は、ボランティアガイドの案内で面白かったのだけれど、写真を撮らなかったので、また次の機会に。

和歌山県立紀伊風土記の丘へは、うちから高速に乗れば1時間半くらいだけれども下の道を行った。
山越えは風情があるので高速は、もったいない。

途中で農産物を売っている所が沢山あるのも楽しい。
和歌山は、もし鎖国をしてもやっていける数少ない県と冗談で言われている
柿、ミカンなどの果物、米、それに漁業、材木・・・。
なんでも豊かな和歌山県。

柿をしこたま買いこんだ。
富有柿や渋を抜いた柿、あんぽ柿を呼ばれる柿。
それに、渋柿をつるし柿用に買った。

写真は、渋柿、アケビ、白イチジク、あわび茸。
どれも、近くのスーパーでは、手に入れないものばかり!
写真にはないけれど、和歌山産のレモンも!!

さっそく、渋柿をつるし柿にして、2階のベランダにつるした。

里山の秋の風物詩、真っ赤な実のなる柿の木を目でも、たんのうした。
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・
      






Last updated  2014.10.21 15:44:15
コメント(0) | コメントを書く
2014.09.22
カテゴリ:お出かけ
   ラウル・デュフィ(1877-1953)は、ピカソやマティスなどとともに20世紀前半にフランスで活躍した画家です。
彼は1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画《電気の精》に代表されるような、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のスタイルを築きました。

本展は、デュフィが1899年に故郷のル・アーヴルから国立美術学校で学ぶためにパリに出てきたころから晩年に至るまでの作品を紹介する回顧展です。
20世紀初めのパリでフォーヴィスムやキュビスムによって造形の革新を試みる動向のただなかに身を置きつつ、また様々な分野を横断しながら自らの独創的表現の探求を続けたデュフィの歩みを辿ります。

  デュフィは大好きで、過去にも、絵葉書を何枚か買ってしまった。
(今は、老前整理でない。)
どの絵も明るい色調で、すぐデュフィと分かる独特のスタイルがある。

デュフィのことならよく知っているつもりだったが、今回の展示を見て知らないことがいっぱいあった。

■テキスタイルデザイン
*1911年 
当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。
彼との仕事で木版刷りで布地ファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。
彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。
*1912年 
フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。

会場には、彼のデザインした服や布が沢山あった。
■木版画
1907年 
34歳の時に結婚。
生活の為、木版画の制作を始める。
1911年
アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。

■陶器のデザイン
植物を植えることが出来る陶器のデザインや花瓶など。

■家具
エッフェル塔、凱旋門などパリの名所を布にして、家具をデザインしている。

■友人、知人
*ピカソと共にキュービズムの祖といわれるブラックとパリの美術学校で級友。
1920年には住居も近所。
*「ミラボー橋」という有名な詩の作者アポリネールのさし絵をする。
*「美女と野獣」で知られるジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。

他にも、いろいろな人と付き合いがあったようだ。
デュフィの人生は、彼の描く絵のように、幸せな人生だったのだろうと思う。
靴
デュフィ展

■会場■あべのハルカス美術館
大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16F アクセス
■開催期間■
2014年8月5日(火)~2014年9月28日(日)
■開館時間■
火~金 / 10:00~20:00
土日祝 / 10:00~18:00
*入館は閉館30分前まで
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・
      






Last updated  2014.09.23 10:17:52
コメント(0) | コメントを書く
2014.06.19
テーマ:今が旬の話(422)
カテゴリ:お出かけ
 6月11日(水)滋賀県にある■ドイツテイストの「ブルーメの丘」 ■に行き、
醒ヶ井(さめがい)■で■梅花藻■を見た後、バスで一路、ホタルの飛ぶ川へと向かう。

夕方、田舎道を走ると、観光バスが何台も止まっていた。
ホタルよりも多やん。
バスの止まっている場所から少し行った所にお目当てのホタルの飛ぶ場所があるのだが、余り一度に行くと狭い道が混雑するのでバス一台づつの時間差で向かう。
 バスの中でガイド氏が語ってくれたホタルの一生。

*ホタルは約500個生む。(ゲンジボタルに限る)
*一か月で孵化。
*カワニナなど巻貝を餌に10ヵ月暮らす。
*4月になると幼虫が上陸、土手の中の土潜り込む。
*気温が23度くらいになると成虫になる。
ホタル
ホタル(蛍、螢)は、発光することで知られる昆虫である。

日本ではゲンジボタルが親しまれていて、これが全てのホタルの代表であるかのように考えられるが、実際には遥かに多様な種がある。
日本にすむゲンジボタル、ヘイケボタル、クメジマボタルの3種の幼虫は淡水中にすんでモノアラガイやカワニナなどの淡水生巻貝類を捕食するが、これはホタル全体で見るとむしろ少数派である。
多くの種類の成虫は、口器が退化しているため、口器はかろうじて水分を摂取するぐらいしか機能を有していない。
このため、ほぼ1-2週間の間に、幼虫時代に蓄えた栄養素のみで繁殖活動を行うことになる。


無事につとめを果たした「雌ボタル」は、草の陰で土に頭を突っ込み、身をかくして死にます。
大地に 還 っていくのだそうだ。
   ホタルは、古来より人気のある昆虫。
暗闇の中を舞うホタルは、クーラーのない時代の夕涼みには欠かせない存在だったのだ。
また、はかなさ命故に、人はホタルを愛でるのだろう。
日本の原風景

戦前日本を訪れた多くの外国人が、田園風景に 感嘆し、「こんな美しい国に永住したい」と言わしめた。
その主役はホタルです。
水田には満々と水がはられ、その上をホタルが幻想的に舞い飛ぶ。
日本人にはありきたりの光景が、外国人には息を呑む感動に映ったにちがいありません。

カワニナ 農薬で汚染されていない、土の土手のある川があれば、カワニナが住みそこにホタルは自然に生活できるのに・・・。
滋賀県までホタルを見に行かなくても、近くの川でホタルが見たい。


   「枕草子」
夏は、夜。
月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがいたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
雨など降るも、をかし。
  「蛍」

蛍のたるのやどは 川ばた柳
柳おぼろに 夕やみ寄せて
川のめだかが 夢見る頃は
ほ ほ ほたるが 灯をともす
■おまけ■
ブラジルで開催されているサッカー選手に「山口蛍」という名前の人がいる。
「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という願いを込めて『蛍』と名付けられたのだそうだ。
ホタル前の食事の時の庭
ホタルを見に行く前に夕食。
ローザンベリー多和田■は庭が美しかった。
・・・・・・・・・・・・
バナー
ボタン






Last updated  2014.06.20 20:16:01
コメント(0) | コメントを書く
2014.06.18
カテゴリ:お出かけ
kawanohotori 6月11日(水)■醒ヶ井(さめがい)の町。

kusagasigeru
水がきれいで「梅花藻」や「ハリヨ」のいる醒ヶ井(さめがい)の小さな地蔵川。

中山道
この町は中山道(なかせんどう)が通っている。
町並みは残っていないが古くからある町らしく、探せばアジのあるものが目につく。
郵便局

まず最初に目についたのが、この町には珍しいコンクリートの建物。
しかもデザインもいい!!
これは・・・と近寄って見ると、大丸心斎橋店など多くの名建築を手がけたヴォーリーズのものだった。
旧醒井郵便局局舎(米原市) 1915(国の登録有形文化財)
ウィリアム・メレル・ヴォーリーズ
小学校玄関
もうひとつ目を引く立派な唐破風のある和風の建物。
近くに建物の説明の案内板があった。
この玄関は明治26年に竣工した、醒ヶ井小学校の玄関だった。
よそにあった玄関をここに移築保存したという。
玄関に付属している建物も、大正2年に建てられた「醒井楼」という料理旅館だった建物で、昭和27年からは松尾寺政所として活用されてきた。
小学校アップ
現在は松尾寺の本堂が松尾寺山山麓に再建され、養鱒場の近くに移転した醒井楼とともに観光名所になっている。
それにしても明治期の小学校の玄関が近代和風建築の大正期の料理旅館と違和感なく調和しているのは、どちらも本物だからだろうか。
散髪屋
▲散髪屋さんという言葉が似合うレトロな散髪屋さん。
半鐘
火事の時、打つ鐘の内容を書いたもの。
スピーカーのない時代、火事があれば半鐘で、火事の内容などを知らせた。
麦藁
珍しや!藁ぶき屋根の家。
この家は八百屋さんで、夫はトマトを一箱買った。
どこに行っても買い物する夫。(ノД`)
家の前の様子
道沿いの家の前にも、「和」のしつらえ。

samegainomatinami
昔はこんな建物がが続いていたのだろう。
masimizu  
 しかしなんといっても素晴らしいのは、「古事記」や「日本書紀」にも記されという醒ヶ井(さめがい)の清流、地蔵川。

醒ヶ井(さめがい)は、この地蔵川と美しい水があるからこそ素晴らしいのだ。

そんな醒ヶ井の水を詠んだ歌がある。

明治28年、北白川能久親王が台湾で熱病にかかり重体。
「水を、冷たい水を」と所望。
その時付き添っていた鮫島中将が詠んだ歌だ。

あらばいま ささげまごしく
醒ヶ井の うまし真清水 ひとしずくだに


「あったなら、さしあげますのに、醒ヶ井の 美味しい水を、一滴も残さずに・・・。」
靴 電車 JR醒井駅下車、徒歩5分
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・
      






Last updated  2014.06.19 09:30:31
コメント(0) | コメントを書く
2014.06.13
カテゴリ:お出かけ
doitu
ドイツ風な「ブルーメの丘」■からバスで「梅花藻(バイカモ)」を見に醒ヶ井(さめがい)まで行く。
清流■「梅花藻(バイカモ)」とは■
中山道を流れる地蔵川のバイカモはキンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。
7~8月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから『梅花藻(バイカモ)』の名が付きました。
夏の最盛期には直径1.5cmほどの愛らしい花が一斉に川面から顔を出します。

バイカモと呼ばれるこの水草は、水温14℃前後の清流にしか育たず、全国でも生育場所が限られています。(滋賀県観光情報より)
baikamonohana

baikamo

araiba
梅花藻の育つ地蔵川は、小さな川。
昔は、ここで普通に大根などを洗っていたのだろう。
川を使うための石段がそこここに見られる。

この川には「ハリヨ」という魚が住んでいて保護地区になっているる。
hariyo

ハリヨ(針魚 Gasterosteus microcephalus)
トゲウオ目トゲウオ科に分類される淡水魚の一種。

年間の水量が一定した綺麗な湧水地や、その周辺の流れの緩やかな河川に限定して生息し、水草の生い茂った水深20-50cmの浅瀬に生息する。
清浄な湧水のあることは生息環境の必須条件で、10-18℃の低水温を好み、水温20℃を超える場所では生息できない。
同属種のイトヨは海と川を回遊する個体群が多いが、ハリヨは回遊せず、一生を通して淡水で生活する。
食性は肉食性で、小型の甲殻類や水生昆虫などを捕食する。

日本では、昭和初期までは滋賀県、岐阜県、三重県に生息地があったが、現在では滋賀県東部と岐阜県西濃地区、岐阜地区の平野部の湧水地のみで生息が確認されている。

靴
電車 JR醒井駅下車、徒歩5分

・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

・・・・・・・
 






Last updated  2014.06.16 22:41:30
コメント(0) | コメントを書く

全58件 (58件中 41-50件目)

< 1 2 3 4 5 6 >

PR

Recent Posts

Category

Archives

Favorite Blog

ALSのイメージを一新… New! KUMA0504さん

映画「鎌倉物語」 New! 七詩さん

朝ごはんとポチレポ。 New! miki♪0319さん

たまには New! yasu07270207さん

私がスキンケアに求… New! memiko.sさん

Freepage List

Comments

天地 はるな@ Re[1]:大寒:氷点下41度の世界(01/20) maki5417さんへ 札幌雪祭りも雪が足りな…
maki5417@ Re:大寒:氷点下41度の世界(01/20) 雪もなく暖かな大寒です。
天地 はるな@ Re[1]:正月の器を仕舞う2020(01/07) maki5417さんへ 年齢を重ねると、健康で…
maki5417@ Re:正月の器を仕舞う2020(01/07) もうお正月も終わりですね。 いいお正月で…
天地 はるな@ Re[1]:「かぎろひ」と「かたぶく」と「かたむく」(01/03) 七詩さんへ 早朝、軽皇子に従って狩りに出…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.