テーマ:尼崎で電車の大事故(183)
カテゴリ:社会問題
またしても脱線事故の話。
もう何日もこのテーマで日記を書いているが、 まだ運転士の安否がはっきりしていなかった頃、 「運転士は死んだほうが幸せ」 という意見があった。 私の近くにも同じことを言う人がいる。 本当にそうだろうか? (4月27日の私の日記) misaki 徒然日記(4月28日の日記) ここで書かれた日記が発端だった。 その中でこんな記述がある。 >ある方がおっしゃる通り、 「死んだほうがよかったかもしれない命」 というのは確かにないと思う。 「死んだほうがよかったかもしれない命」 はないのに、「死んだほうが幸せ」なのか? 私には意味がよく分からない。 確かに今回の事故で多くの人が死んだ。 その中で運転士が生き残ったら何を言われるか分からない。 しかし、もうすでに多くの命が失われているのに、 さらに運転士の命まであの世に送る意味があるのか? しかも、ネットは誰にでも読める世界だ。 そこに「死んだほうが幸せ」と書かれたら、運転士の家族はどう思うか? 加えてこの運転士が生きていれば、 今後起こるであろう大事故が防げるかも知れない。 彼だけが知っている、その情報が今後役に立つのではないか? 一般的に言われているJRの運転士にかかる異常なプレッシャーが今回の事故を引き起こす一因になっていたとするなら、 彼の証言は今後に大きく生かせるし、 他の運転士や乗客にとってこれほど役に立つ経験はない。 個の人の日記にはこんな意見もある。 >私だって、亡くなっていればよい、と思ったわけではない。 けれど、過失で殺人を犯した人ですら、批判されてしまう。 いろいろな要因が重なり108人もの命を奪った となると、精神的に自分を責めて、通常の精神状態では いられないだろうということは想像がつく。 >1番言いたかったことは、JRの体制の見直しをきちんとして ほしい、ということである。 この人の言うことを私なりに解釈すると、 「JRの体制の見直しをきちんとしてほしい」 だから「運転士は死んだほうが幸せ」ということになる。 やはり私には理解不能だ。 どうして「JRの体制」が、「死んだほうが幸せ」に結びつくのか? さらにこんなことも言っている。 >自分に力があり、仮に運転手さんの家族や親類の 生活が一転してしまった場合、生活に困らないよう 仕事を探したり、ある程度サポートできる状態でなければ 本当の意味で救うことはできない、と思う。 だから、「死んだほうが幸せ」になるのか? どうして私はこの人の発現が気になるのか? それは、「死んだほうが幸せ」という意見があることこそ、 大きな問題だと感じるからだ。 さらにこの人、人からのメッセージを日記に載せているが、 メッセージを送った人の了解は取っているのか? まさか勝手に載せているのではあるまいな? 逆にこんな日記もある。 JR西日本の事故で(夏江さんの日記4月28日) ***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。 トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.05.10 13:28:02
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