ドイツのケーキ文化論、再び。
今日は、ケーキから少し派生して、
ケーキを作る機会のうち、戦後初期の季節行事と誕生日に関するお祝い事について。
2,3年前に、1950年代の婦人雑誌「コンスタンツェ」をチェック。
そのときは、ケーキに関する記事全て、
さらに当時の女性地位や女性と家庭の関係を示唆する記事をまとめておいた。
この作業に、半年以上を費やしたのだが、
でも、当時は使い方がまだ、分からなかった。
今、戦後初期の話をまとめていて、
あーあーあーと思うことが幾つかある。
この雑誌は1949年12月位から発行されているのだが、
例えば、1950年には、
子どもの誕生日、イースター、クリスマスの行事に向けてケーキを用意しましょう!
という記事があるのだが
1951年から1953年末まで、それがぱったりと姿を消し、
53年末に、アメリカに渡った若いドイツ女性がドイツのおばあちゃんに
ドイツっぽいクリスマスのメニューを送ってくれと頼み、
孫におばあさんが答える形で、ドイツというお国料理はなくて、
地域によっていろんな料理があって、
あと、甘いものがあるという答えを書き、
各地の代表的なメニューのレシピを公開している。
アメリカ移住というモダンな香りを加えることで、
伝統的、悪くいえば古くさいクリスマスの料理を記事に取り込むことに成功したというか。
1954年以降は、
毎年イースター、クリスマス、加えて55年にはアドヴェントのケーキまで加わって、
季節の行事に引っかけたごちそう作りの記事は、毎年毎年豪華になっていく。
1950年には、こうできたらよいというあこがれのようなものがあったのか、
それから数年間は、そのような季節のお祝いは古くさいものと思われたのか
そのあたりは推測するしかない。
なぜ、この空白の3年間が面白いのかといえば。
コンスタンツェという雑誌は、都会の知識層で、
いくらかお財布に余裕がある階級をターゲットにしていた。
当時の女性像として好ましいものは、
職業を持ち、モラル意識の高い、自立していながら、結婚すれば家事を一手に引き受け、
夫となる男性と子どもの幸せのため、二重の負担を喜んでこなすというものだった。
これも、雑誌のそこここに、出てくる。
コンスタンツェは、このモットーに則り、
読者が「あ、いいな」と思う程度に少しモダンで、
だけど社会的風潮からはみ出さない、
そんなスタンスで、当時の社会を牽引する層にとって好ましい女性像を描き出していく。
そういう中で、
この3年間、伝統的といわれるイースターやクリスマスのお祝いの記事がないこと
というより、1954年にしっかり大きな枠組みで復活したことは、非常に興味深いこと。
それから2年後、、56年、「コンスタンツェとケーキを焼こう」というシリーズも始まった。
時代として、女性を家庭へ戻す動きが始まるのも、
男性が戦場や監獄からもどって来始める、このころ。
伝統への回帰が、決してばばくさかったり、古くさかったりするものではないと啓蒙し、
ケーキを自分で焼くのは、素晴らしいことなのだと
雑誌は若い女の子を仮のターゲットに据えて
実際はかなり年齢幅の広い読者層に訴えた。
1956年には、初めて、大人の誕生日パーティに関する話題が出る。
1957年には、子どもの誕生日をどう企画したらよいかという記事が
3号にわたり、年齢別に書かれている。
子どもの誕生日にケーキという習慣は、
戦前、既に裕福な階層にあったものだが、
戦後、景気回復とともに復活。
ただし、大人が誕生日を祝うのは、しばらくあとになって習慣化する。
そんなことをいろいろと書くのだが、
まだ思うように書けない・・・(アウ)。