今回は少し硬い、政治が絡んだドイツケーキ論です。
ドイツケーキの手作り信仰の成り立ちをみていると、
家庭の仕事、主婦の仕事に関しては、
古き良き温かき時代に帰ろうというのが、
如何に単一的な視点であるかがよく分かる。
特にナチス政権下のプロパガンダや、
DR. Oetkerの宣伝政策に明らかだが、
人の好意・善意・愛と徳を巧妙に利用する輩については、
それが最終的に商業目的だったり、
イデオロギー教化政策の一環だったり
その影に搾取や悪行が隠れていても
これを認めるのがかなり難しい。
好きで、愛している人に、喜んでもらいたいから作る。
それ自体は、素晴らしいことなんですが。
そうでしょう、だから作りなさい、それがあなたの義務なのよと
いわれてみれば、
ああそうか。と納得し、母の愛、妻の愛とやらで誰よりも早く起き、
賃金労働もこなし、
更に家でも家事労働をする。
これは、ナチス政権下のみならず、その後1950年代、1960年代にも
西ドイツにまだまだ根強く残っていた考え方です。
政治的には、女性は家庭に戻るよう奨励されましたが、
実際に働きに出ていた女性は年代によって変わりますけれど、半数ほど。
働きに出ていた女性は、好きで出ていたというより、
家計を助けるためだからという方が多かった時代です。
賃金労働をしていようがいまいが、
家庭の仕事は主婦の役目。
それは、
家庭の浮き沈みは主婦の肩に掛かっているという考え方でしたから
これを言い換えれば、
母なる主婦は家庭を守る重要な役割を果たし、
それはとても重んじられていた。ということです。
家庭に関する母や主婦の役割が高く評価されていた、と言えなくもない。
しかし、表面的にそう思えるものについて、
実際にはそれが母という役割を負った人間の犠牲の下に成り立っていたことを忘れてしまったら、
それは、単純すぎる視点としかいいようがありません。
手作りケーキを奨励する宣伝は、
母の愛、妻の愛を高らかにうたい、
家庭の幸福をもたらすもの、
男たちを幸せにし、満足させ、家族の集いに欠かせないものだといいます。
現代であれば、主婦はこれを含めた家事全てをこなす義務があり
旦那と子どもは何もせず、なんて、特にドイツでは
多くに笑い飛ばされるような内容ですが当時はこれが時代の空気そのもの。
女性のもつべき徳であり、モラルであり、理想でありました。
温かき、居心地良い家庭でのんびりゆったりと癒しの時を過ごす。
それ自体は、今でも望まれることではあります。
でも、のんびりゆったりできるには、それなりの努力が必要なわけで。
誰がのんびりゆったりできるんだ?という素朴な疑問もあります。
白鳥は、ゆったり泳いでいるように見えますが、
その下の足はかなり多く水かきをしているとか。
人一人がのんびりゆったりできるために努力をしていたのは誰だったのか。
そこを考えねばなりません。
そのために何かが歪んでいなかったか、
昔を懐古して、あのころは良かったのに・・・と単純にいう前に
視野を広げて確認しなければ。
ドイツケーキのことで、こんなことが考えられるとは・・・?
いや、まだまだいろいろあるんですよ。