関門海峡の朝
すでに10日あまり前の話になりましたが、関門海峡方面に行ってきまして、その話の続きです。広島から日帰りできない距離ではないのですが、門司のビジネスホテルに泊まって、翌朝は早く起きて朝の散策です。出張でも、旅行でも、日ごろ暮らしていない場所での「朝」の風景には格別なものがあり、人よりも2時間くらい早く起きて、周囲を散策したり、車で回ったりします。泊まったのは門司でしたが、どうも日の出の方向を考えると、下関側に移動した方が景色がよさそうと判断し、暗いうちに車を飛ばして、初めての関門トンネルで海峡の下をくぐって下関に行ってきました。トンネル1本で下関と門司はつながっているのですが、橋を渡るときに比べて、精神的な距離感が近いですね。トンネルを通るのに、200円だか、150円だかで、あっという間です。さて、下関に渡って言ってみたのが、前日自衛隊の護衛艦が停泊していた港。夜にはライトアップもして、昼は見学もしていたようです。「関門海峡を潜水艦が通るとか」「金剛型の方が背が高いので大きく見える」いう話を、ミリタリイオタクらしい人に話しかけられて聞いているうちに、関門海峡越しに朝日が昇ってきました。ちなみに、この護衛艦は「足柄」でした。日の出を見届けて、関門海峡のたもと、壇ノ浦に移動。橋がかかっていることからも分かるように、ここが関門海峡で一番狭い場所で、向こう側まで600mほど。この狭い海峡を朝からたくさんの船が往来していきます。分かりにくいかもしれませんが、漁船の間を大きなコンテナ船が汽笛を鳴らしながら通り過ぎていきます。事故が起こらないのが不思議なくらいですね。実は、関門海峡のたもとに、大砲が並んでいます。これは、馬関戦争を記念するものです。明治維新前の1863年~64年。攘夷をかかげる長州藩が、海峡通るイギリスの船を砲撃。それに腹を立てたイギリスを中心とした欧米列強4国の艦船が下関を砲撃し、戦争となりました。これが馬関戦争ですが、結果として、長州藩は敗れて講和。欧米列強との武力の差を痛感し、単純な攘夷論から脱却して開国に傾倒し始めます。そこから、高杉晋作が、農民を組織化した奇兵隊をつくったり、犬猿の仲であった薩長が同盟を結んだのが二年後の1866年。大政奉還が1867年。時代というのは動き始めると早いんですね。さて、この関門橋のたもとには、地下道の入り口があります。歩行者であれば、無料で地下道を通って、関門海峡の下を通って九州に渡れます。地下60Mまでエレベーターで降りて、あとはまっすぐに780Mのトンネルになってます。人道の上は車が通る車道になっているそうです。本日はこのへんで。