津和野カトリック教会と乙女峠マリア聖堂
津和野は島根県の西の端の山間にあたり、山口県にはみ出したような位置なので、山口県と勘違いする人も多い。「萩-津和野」という観光エリアとして確立しているからかもしれません。最初の写真は、津和野の町の中で一際目立つ、津和野カトリック教会。山間の小さな町に、こんな立派な教会があるのには、それなりに訳があります。かつて、1868年~1872年にかけて、津和野でキリシタン迫害が行われました。大政奉還が1867年ですので、まさしく、明治維新の激動期の出来事です。ごく簡単に説明しますと、明治初期、長崎浦上に住んでいたキリシタンに対して大きな弾圧、迫害が行われ、そのうちの3000人余りが日本各地に流罪となり、そのうち153名が津和野に送られ、拷問に近い過酷な改宗勧告が行われ、結果として、36名が殉教した、という内容です。その悲劇を繰り返さないようにと、昭和6年にドイツ人シェーファー神父が建てたのがこの教会です。教会には珍しく、畳が敷いてあるのが印象的です。畳に落ちるステンドグラスの光も印象的。ほんとに、美しい教会です。ただ、その背景にはとても悲惨な過去があったということも事実。もともと日本というのは多神教の国なので、いろんな神様や仏様を拝むことにはおおらかな民族だと思いますが、それが逆に、一神教の思い詰めたような一途や頑強さは、かなり恐ろしく感じられたでしょう。なにしろ、キリスト教を信じるということは、他の神仏を一切否定する、ということでもありますから。教会は津和野の町中にありますが、殉教地というのは、津和野駅の裏側の山の中にあります。そこには、戦後建てられた「マリア聖堂」があります。長崎に行けば大浦天主堂は外せないと思いますが、そこは、日本最古の現存する教会で、1865年に建立されたもの。江戸時代の末期には、幕府もやむなく欧米列強に開国しましたが、その中で、フランス人の礼拝所として作られたのが、長崎の大浦天主堂です。新しくできた教会に、日本人がやってきて、「私はキリシタンである」と告げました。これが「長崎の信徒発見」で、当然のことながら、教会の司祭はびっくり。なんと、秀吉によるキリシタン迫害、さらに、禁教されていた江戸時代を超えて、代々こっそりとキリスト教を守り続けた人々がいた、ということです。それも一人二人ではなく、数千人単位です。この出来事は、おそらく、バチカンだってびっくりしたでしょうね。奇跡的な出来事です。ただ、教会の存在に勇気づけられた隠れキリシタンの皆さんが、「隠れること」を嫌い始めたためか、キリシタンであることが発覚し、1867年からの迫害にさらされることになったようです。その流れの一つは、この津和野まで来たということでしょう。このキリシタン迫害も、1873年に終わり、キリスト教の禁教は解かれます。欧米各国から、キリスト教迫害に対して強い抗議があり、そのままでは国際社会に認めてもらえないと判断したからとのことです。