|
カテゴリ:光圀の諸国への旅
笠間稲荷神社東京別社から出た後に、人形町から日比谷線で虎ノ門ヒルズを降りた。
![]() あちこちで工事が行われているので、道がわからなくなったが、東京タワーを目印で無事に愛宕神社を見つけた。 ![]() 京都の愛宕神社が総本社の愛宕神社は、1603年(慶長8年)に徳川家康の命によって創建され、東京都区部の天然の山として一番の高い25.7メートルの愛宕山にあるのだ。正面の男坂の階段は「出世の石段」と呼ばれ、86段で、約40度の傾斜である。実際に階段の高さも普通の階段よりやや半分ぐらい高いかと感じられる。ウォーキングで鍛えているのに一気に登ったもののやはりきつい。 ところで、「出世の石段」は、高松藩士の曲垣平九郎が江戸幕府三代将軍徳川家光の命で愛宕山上の梅花を折りに乗馬のまま石段を上下したことで、家光に「日本一の馬術の名人」と称賛され、全国で名を知られたという逸話が由来で、「寛永三馬術」という講談の元ともなったが、曲垣平九郎はのち結構大変な人生を送られたのだ。務めていた生駒家、その後に務めていた越前のお家も潰れたため、結局浪人となり生没年未詳。ネットでは彼が越前の徳川忠長に仕えたという情報もあったが、徳川忠長は生駒騒動の前にすでに死罪で亡くなったし、越前とも無関係であった。また、越前と言えば徳川家康の次男、結城秀康を家祖とする越前松平家、福井松平家だが、松平忠直の追放は二代将軍徳川秀忠時代だったし、不祥事として挙げられる松平光通の自害で福井藩が潰れたわけでもない。いずれにせよ、曲垣平九郎は出世どころか不運と言ってもよかろう。 ![]() 出世の石段に登ったら石でできた一の鳥居と正殿が見える。 ![]() 主祭神は火産霊命で火の神である。水の神様である罔象女命(みずはのめのみこと)、山の神様である大山祇命(おおやまづみのみこと)、武徳の神様である日本武尊、将軍地蔵尊・普賢大菩薩が配祀。 ![]() 境内末社は、猿田彦神を祀る太郎坊神社、宇迦御魂神を祀る福寿稲荷神社、大國主命・事代主命を祀る恵比寿大黒社である。 ![]() 鯉のいる池や、龍神様の滝が整備中のため、橋を渡って市杵島姫命を祀る弁財天舎へ参拝することができない。 ![]() 境内にも猫が多いようだ。神社側も、可愛がってくださいという旨の告知を出している。御年で目が悪いらしいこの子に撫でることを許されたのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.10 02:23:18
コメント(0) | コメントを書く
[光圀の諸国への旅] カテゴリの最新記事
|