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カテゴリ:光圀の諸国への旅
楽しい歓談が終わったらもう午後4時に過ぎた。駅まで歩いて戻り、近くの松山慈祐宮へ参拝。
主祭神は媽祖とも呼ばれる天上聖母。松山慈祐宮(Sōngshān Cíyòu Gōng )は1757年に創建。清国統治の時この界隈は錫口(Xíkǒu)と呼ばれた。このため、寺は創建当初に「錫口媽祖宮(Xíkǒu Māzǔ Gōng )」と呼ばれた。後ろが基隆河であり港があったため、この界隈は、媽祖宮を中心に徐々に発展してきた。日本植民地統治時代の1920年に錫口界隈の景色は四国の松山に似てるとして松山へ名を改めた。錫口媽祖宮も松山慈祐宮へ名を改められた。このため、慈祐宮は東京阿波おどり振興協会との国際交流を進めているらしい。 なお台湾の媽祖廟の御神体は基本的に中国の福建省からの分霊だったが、松山慈祐宮は清国統治時代で逆に福建省の仙霞媽祖廟(Xiānxiá Māzǔ Miào)に分霊を請われた。仙霞媽祖廟は文化大革命の時に破壊されたが、1991年に再建。その後、仙霞媽祖廟の関係者はかつて松山慈祐宮から分霊を請ったことを確認することができた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.24 23:05:53
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