3.11 原発震災をふりかえる
前回、3.11東日本大震災(原発震災ともいわれる複合災害)=一丸となって向き合う必要があった緊急事態に直面して、野党自民党がとった対応のあまりに大きな問題点の「振り返り」をしました。当時の菅内閣への執拗な攻撃〔含む:菅首相が無理やりに原子炉への海水注入を停めさせたという「安倍晋三議員(当時)の発信したデマ」〕と「復興予算を人質にした駆け引き」(予算を通してほしければ民主党の看板政策を降ろせ)それ自体が許しがたいものだと考えています。 そのような攻撃と駆け引きは結局、永年「原発推進政策」をとってきた自民党の責任を民主党に転嫁するものでしかなかったのでは? しかも自民党は未曽有の原発事故に対して何の責任も取らなかっただけでなく、政権復帰後、脱「原発依存」の方針さえなし崩しにして(60年の稼働も可とするなど)あきれ果てた対応を積み上げています。しかし、現在も双葉町の85%が帰宅困難地域のまま(2024.3.9の報道特集)、甲状腺がんの原因を原発事故の影響として東電を相手どった裁判も行われている、にもかかわらず・・・。3.11を機に「未来」を考えていくためには、福島原発事故の徹底した検証が大切になってくると思われるのですが、そのような検証作業のすぐれた営みとして『検証・福島原発事故・官邸の100時間』(岩波書店)をあげることができます。〔読書メーターのレビュー〕この書籍に関する以前の拙ブログ記事を再掲しておきましょう。〔以下、2012.11.28の記事を再掲〕 これは、朝日新聞記者である木村英昭が、大震災と事故勃発の100時間(3月11日から15日までの5日間)首相官邸で何が起きていたかを、主要人物の証言や関係者への徹底的な取材をとおして再現したものです。 もちろん、各人の記憶には曖昧さがともなうわけですが、首相秘書官など関係する人たちがその場のやり取りについて多くのメモを残しており、それらのメモと複数の証言を照らし合わせてその内容を裏づけていくという、実に根気のいる取材と作業を積み上げています。 著者がそのような徹底した検証に取り組むことになった大きな動機は、原発事故に関するマスコミの報道が「大本営発表」と批判されたことです。そのような批判も意識しながら木村は次のように述べます。 例えば事故の検証は、政府や国会の事故調に任せるのではなく、ジャーナリズムの責任で検証していい(・・・)。何か公的なものによりかかって記事の信頼性を確保する手法こそが〈3.11〉を契機にして読者から投げかけられた批判だったはずだ。私たちが直接当事者にあたり、この事故はこうだったという結論を読者に提示すべきで、揺らいだジャーナリズムへの信頼感はそこにしか醸成されない。(300頁) 以下は、私自身の印象に強く残った部分ですが、いわゆる福島第一原発からの東電の撤退問題に関しても、実名のやりとりが以下のように記されています。 元警視総監の伊藤は応接室でのやりとりを鮮明に記憶している。 伊藤「第一原発から退避するというが、そんなことを言えば1号機から4号機はどうなるのか」 東電「放棄せざるを得ません」 伊藤「5号機と6号機は?」 東電「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」 伊藤「第二原発はどうか」 東電「そちらもいずれ撤退ということになります」 その東電幹部は伊藤に「放棄」「撤退」と明言した。政府事故調の「中間報告書」は撤退問題を官邸の政治家側が勘違いしたかのように片づけている。国会事故調も「全員」か「一部」かという問題の立て方から出発している。この問題は全員撤退問題ではないのだ。(…) これは原発放棄事件なのだ。(233)(・・・) 菅に見せられた東電の稟議書の件名はこうだった。 《本部機能移転について(東電側の紙)》 東電は本部機能を福島第一原発に置くことを断念するつもりだった。本部機能といえば作業を指揮する最重要の部隊だ。それを福島第一原発から撤退させるというのだ。(249) 菅や枝野、海江田ら官邸中枢は「東電が撤退する」と聞き、その対応に追われた。(…) 東電は原発のコントロールを諦め、放棄しようとしていた――。これが取材を通じて浮かび上がる事実だ。重ねて言う。この原発放棄事件はこれからの原発の稼働を東電が担う資格があるかどうかを問う、極めて重要な論点だ。(254)(・・・) 原発事故対応の最高責任者は内閣総理大臣である。その首相の座にあった菅には、一切の責任を背負う義務がある。それは言を俟たない。(…) 最高責任者である菅の責任を問うてもなお、今回の事故では、その根底に対応に当たるべき、保安院、文科省、原子力安全委員会といった原子力関連の官僚組織の機能不全が横たわっていたことを見逃すわけにはいかない。そして専門家の責任だ。方針を決定すべき政治家に、適切で十分な情報を与えず、右往左往して口を噤んだのは、事故対応の中心的な役割を担うはずだった原子力に関係する官僚と専門家たちだった。(278) そして、原因企業である東電はどうだったか――。(…)東電社長の清水に会おうと広報課係長の長谷川和弘を通じて取材を申し入れたが、結局応じてもらえなかった。(…) 「俺は二度と過去のことを語ることはない」(清水発言) この事故により県内外へ避難している福島の人たちは今も16万人を超えている。 (279頁 引用は以上) 福島第一原発の事故とその後の経過を通して、電力会社、経済産業省を中心とする官僚、旧来の政治家、多くの「専門家」、そして電力会社からの広告収入をあてにしてきた報道機関が「原子力村」ともいうべき共同体を作ってきたことが明らかになりました。 『検証・福島原発事故・官邸の100時間』から浮かび上がってくるのは、原子力村の住人たちが適切な対応どころか事態の把握さえまともにできず、官邸に必要な情報を上げることも、助言をすることもできなかったという状況です。そして、事故そのものに全く責任をとらないどころか、原発の再稼動と「原発必要キャンペーン」には奔走する「原子力村」。 報道機関のなかから、上記のような「事故検証」(「原子力村」の実態を浮き彫りにする著書)が生み出されたのは注目すべきことです。報道機関や報道人について十把ひとからげに判断することはできないという例でしょう。〔再掲は以上、以下は2024.3.10に付記〕 引用した『検証・福島原発事故・官邸の100時間』によれば、菅首相は東京電力の役員に「撤退などありえない!」と通告したとのこと。また、このルポルタージュの作成者木村英昭は、詳細な検証をもとにこれは「東電による原発放棄事件だ」という結論を述べます。確かに、東京電力の撤退は首都圏に住む全員が避難するという事態=「首都圏機能の崩壊」に直結することを考えると、菅首相が「撤退などありえない」と言い切ったことも理解できるでしょう。 ただし、後で冷静に考えれば実際「撤退は一つの選択肢としてありえた」と思うのです。つまり、事故対応が収拾不可能で「まもなく致死量の放射線が出る」と判断すれば、「たとえ短時間で死ぬことがあっても第一原発に残れ」とは誰も命令できないでしょう。1号機・3号機に続いて2号機の爆発が迫る危機の中、あの吉田所長が「もうだめかもしれない」といったことを考えれば、東電が一時期本気で「撤退」を考えたこと自体を責めることはできない。 しかしながら、撤退を考えていたにもかかわらず、それを事故調査委員会の聴き取りの段階でごまかそうとしたことには大きな問題があります。私が東電を信用できないと考えている主な理由の一つです。なお、2号機の爆発が迫る緊迫した状況については『朝日新聞・吉田調書報道は誤報ではない』に詳しくまとめられています。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など