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愛知、三重の旅

2020年05月25日
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カテゴリ:愛知、三重の旅


​国内での新型コロナの感染数もかなり減って
多くの自治体で、自粛も徐々に解除がされて
観光施設なども営業を再開したところもあり
斎藤道三ラブな岐阜の大河館や岐阜城も行く
事が出来ますが、犬山城は閉鎖中です




このあたりの違いはクラスター中心で、ここ最近
感染が出ていない岐阜県と、それよりは多い愛知
県の違いなんでしょう。ところで世間では愛知は
違った意味で有名になりました。コロナの陽性を
知っていて、人にわざとうつしてしまった男性
(亡くなられた)のニュースは衝撃的だった




俺はコロナだ!と放言して、業務を妨害する
男性のニュースも、多くは愛知県内だったり
して・・・(汗) ゴールデンウィーク中に
田植えがあって、今年は転勤で息子が愛知県に
行ってしまったので、帰省はさせたくないし
苗を渡す手伝いを私がする事になった




ところが愛知県住みの旦那の弟が、帰省
したいという。田んぼが大変だろうから
手伝いたいのかと思ったら、暇だからと
いうそうで(汗)そんな訳で私が田植えの
応援をしなくても済んだけども。愛知の
車が来たら、近所の人が嫌がるのでは?
なんて思ったけど




逆に車を見て久しぶりだからとしゃべりに
きたりで。それでも気を使って念の為にと
家の中には入らずに、昼は野外で食べると
いうので、舅や姑も外で一緒に食べてるし
(汗) せっかくの気遣いも意味なし




中津川市は感染者がないままだし、新型
コロナも、テレビの向こうの話みたいな
どこか他人事のような部分があるんじゃ
ないかと思う。もともと家からどこかに
行くというのも、私の車でいつもの病院と
床屋位だし




このままおさまればいいが、寒くなってきて
第二波とか来たら嫌だなぁ。冷え込んだ経済
活動も、スグには戻るように思えないし。先が
見通せないので不安が募りますよね。ご商売を
されている方は猶更だと思います




犬山にちなんで、どこもかしこもご城下は
わんこです。わん丸君というらしいです
特技は肉球ハイタッチ。そのちょんまげを
触ると良い事があるんだとか




そして、ご城下で目につくのがハートだ
これは後から出てきますが、お城のすぐ
近くにある三光稲荷の絵馬がピンク色の
ハートなので、それにあやかって




もう、あっちを見ても
こっちを見てもハートです




10年前に来た時には、しけた田舎町
だった犬山は、昨今には若い婦女子が
集まる行楽地になってました




お城からまっすぐ伸びた町筋には
新しい飲食店が、たち並んでいて
楽しくお食事を楽しんでたり




2月上旬に名古屋駅前に泊まる機会が
あったんですが、その時にもホテルの
近くで名古屋モーニングを食べてたら
他の地方からやってきていた女子大生
たちがモーニングを食べながら




今日は犬山に行くと楽しそうに話して
ましたし。地元以外でも犬山の知名度は
かなり上がっている模様




まぁ、うちの場合も久々にお城ではなくて
地元の情報番組で犬山をよく取り上げる
ので、どんな街になったのか一度、見に
行きたいなってノリで出かけた訳ですし




飛騨高山のお醤油味のシンプルなみたらし
だんごがあったので食べてみました。年に
1度は出かけていた高山も新型コロナもあり
ご無沙汰です




同じ岐阜県とはいえ、飛騨地方に岐阜ナンバーで
出かけるのは躊躇しちゃいます。感染者もいない
中津川市ですけども、車のナンバーはクラスターの
起きた地域と同じなので




今日も久しぶりに名古屋に行きたいと、娘とも
話してました。デパートとかも再開をしている
そうですが、違った意味でそちらに出かけるのも
躊躇しちゃいます。人ごみはまだ怖いですから
普段から都会暮らしの方とは、またズレた感覚
なのかもしれない




さてさて、こちらのしぶい建物は旧磯部住宅と
いいまして、平成16年に犬山市に寄贈をされ
保存整備の上で、無料での一般公開がされて
います。元は柏屋という呉服屋さんで、国の
登録有形文化財に指定されていますよ




なにやら由緒ありげな燈籠が街中に
ありました




↑このような由来だそうです。木曽福島に
そういえば、山村代官屋敷ってあったし
ここ犬山も尾張藩だけど、木曽も尾張藩で
あるから関係も深いのかな。山村甚兵衛は
代々、山村家の当主が名乗っていたそうだ




犬山城の真下にあるのが「針綱神社」で、主祭神は
尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)と
言いまして、尾張氏の祖先神で尾張国一宮に鎮座する
真清田神社の御祭神でもある天火明命の十四世孫に
あたり、父の尻調根命(尾綱根命)と共に針綱神社に
祀られています




熱田神宮、(はだか祭りの)尾張大國霊神社、津島
神社、(今は岐阜だけど)千代保稲荷神社と共に尾張
五社に選ばれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除
安産、長命の神として濃尾の総鎮守とされている




犬山城を築城した織田信康(信長の叔父)が安産を
祈願して、自ら彫り上げた木製の狛犬が奉納された
そうだ。さて日本で犬の名が付いた自治体はここ
だけだそうだが、その由来は、犬を使って狩りを
していたからとか、小野に山が多かったので小野山
(おのやま)がいぬやまとなったとか




大縣神社の祭神の大荒田命は、針綱神社の祭神の一人
玉姫命の父親にあたり、大縣神社からは針綱神社が
戌亥(いぬい)の方角になり、いぬいがいぬやまに
なったなんて説も。その脇には「三光稲荷神社」が
ありましてウィキペディアによりますと




>創建時期は不明。かつては三狐山(三光山)に
>鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていた
>という。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神
>とされる。神仏習合で三光寺とも称していたが、
>明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社と
>なる。




>1964年(昭和39年)、現在地(針綱神社西)に移転
>する。猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社
>ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した
>存在である。社務所でも三光稲荷神社と猿田彦神社を
>併記している。

かわいらしい桜のおみくじと、ハートの絵馬




またも由緒ありげな燈籠があり




↑このような由来のものであった。しまった~
下調べなく出かけて、めぼしい写真を撮って
ブログを書くにあたって、ネットでどのような
ものだったのか調べているだけなので




今になって、三光稲荷では嬉しい倍返しを
してくれる神社であったのを知った次第だ
拝殿前の銭洗池で、お金を洗うと倍返しに
なるそうで、清められたお金を持っている
だけでも運が良くなるそうだ



さてさて、これは飛騨高山でも見かける
蔵ですね。お祭りの山車でもしまわれて
いるのかもしれません




こちらは、えらく最新式の蔵のようでして
ピカピカな「どんでん館」は、前回で紹介
した共通券を使って、安く見学ができます
犬山祭についてウィキペディアで紹介すると




>犬山祭(いぬやままつり)とは、愛知県犬山市
>にて、毎年4月の第1週の土曜日、日曜日に行わ
>れる、針綱神社の春季祭礼である。2006年
>(平成18年)3月15日には「犬山祭の車山行事」
>として国の重要無形民俗文化財に指定されている




>また車山(山車)13輌は、1964年(昭和39年)に
>愛知県の有形民俗文化財に指定されている。2016年
>(平成28年)12月1日には、「山・鉾・屋台行事」
>としてユネスコ無形文化遺産に登録された。市内に
>あるどんでん館には4輌の車山が常設展示されており、
>祭礼以外でも間近で車山を見ることができ、祭りの
>雰囲気を味わえる。




>針綱神社の祭礼に対して、1635年(寛永12年)より
>下本町、魚屋町からの練り物が出されたことに
>始まったとされている。1641年(寛永18年)には、
>同・下本町により「車山」が出され、からくりが
>奉納された。




>車山は、1644年(寛永20年)より魚屋町、後には
>1649年(慶安2年)の頃、犬山城主成瀬隼人正正虎に
>よって奨励されたこともあり、他の城下各町村に
>おいても出されるようになった。「車山」とは他
>地域の祭における山車や曳山のことで、他では
>2層が多いが、犬山では3層の構造となっている。




>これは「犬山型」とも呼ばれ、下層がお囃子所、
>最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と
>呼ばれて最上層のからくりを動かす層となって
>いる1日目を「試楽(しんがく)」、2日目を
>「本楽(ほんがく)」と呼ぶ。




>城下町であった13の(縦横の通りの1ブロック毎に
>下本町、中本町、魚屋町、寺内町などの名称がある)
>各町より、犬山では「車山」と書いて「やま」と
>呼ばれる13輌の山車が曳き回される。「試楽」では、
>車山が針綱神社へ向かい、からくりを奉納する。




>その後1年分を表す365個の提灯に載せ変え、早い
>町内では18時30分から21時30分ごろまで提灯に
>火を点して町内を巡る。夜の部については「夜車山
>(よやま)」と呼び分けている。「本楽」は針綱
>神社で神事が行われ、13町の車山と共に3町(内田、
>坂下大本町、鵜飼町)の練り物も同神社へ集結する。




>また、曳き手(手古衆)達が力を合わせ
>車山の一方を持ち上げ一気に半回転する
>ことは「どんでん」と呼ばれる。そんな
訳で「どんでん館」では本物の山車を見物
することが出来る




その次にはからくり展示館(文化資料館
別館)も見学をしに行きました。なんだか
門からして、いい感じです




からくりと言うと、やっぱり茶運び人形が有名
ですよね。からくりについてウィキペディアで
紹介させていただくと

>語源については、「糸を引っ張って動かす」と
>いう意味の「からくる」という動詞の連用形の
>名詞化といわれ、16世紀後半頃から用例が確認
>されている




>日本のからくりについての記録は、『日本書紀』の
>斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が最古の
>もので、この指南車についてはこれより古く『三国
>志』にも記述がある。これは台車の上に立つ人形が
>車輪の差動を利用し、車がどの方向に進んでも常に
>南の方向を指し示すというものである。




>平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、桓武
>天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を
>作ったという説話が記載されている。また巻二十四
>第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)が絵師百済
>河成を驚かせるため、四方に扉がある堂を作り、
>いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ違う
>場所の扉が開く仕掛けを作った説話も記載されている。




山車からくりは
>祭礼の際に曳かれる山車・車楽などに、からくり
>人形を載せたものである。山車の内部に囃子の演奏
>者と一緒にからくり操作者が乗り込み、曳行時や
>宮入り時に囃子の演奏に合わせてからくり人形を
>操作し、披露・奉納する形が一般的である。




>元和5年(1619年)に名古屋東照宮祭が始まって
>以来、名古屋を中心とする中京圏に集中的に分布
>し、主に愛知県と岐阜県に跨って特色ある祭礼
>文化を形成している。享保15年(1730年)に
>7代尾張藩主になった徳川宗春は「民と共に世を
>楽しむ」政策を実行し、8代将軍徳川吉宗の質素
>倹約策で自粛されていた東照宮祭の豪華に復活させ、




>他の祭や遊興を盛大に行う事を奨励し、活動の
>場を失っていた、京都の玉屋庄兵衛をはじめと
>する、全国のからくり人形師達を名古屋に招いて
>からくり人形師達が尾張地方に移住した事に
>より、名古屋を中心とする中京圏で、からくり
>文化が発展し根付いた。




>名古屋中心部のものは大部分が第二次大戦の戦災で
>失われたが、岐阜県高山市の高山祭、美濃市の美濃
>まつり、愛知県犬山市の犬山祭、津島市の尾張津島
>秋まつり、半田市の亀崎潮干祭など、戦災を免れた
>山車が周辺地域には多く残っており、現在でも各社
>氏子の地元住民が、山車に乗り込んでからくり人形を
>操る姿が見られる。




>他にも京都祇園祭の蟷螂山が、御所車の上に
>乗ったカマキリのからくりで有名である。また
>江戸の山王祭・神田祭においても、山車の人形に
>からくりを施したものがあったという

といった訳で、犬山祭りを次には見てみたいものだ




       2020年1月25日に愛知県犬山市で撮影

      新型コロナの感染節の為に、観光施設などが臨時
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最終更新日  2020年05月26日 04時37分47秒
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2020年05月21日
カテゴリ:愛知、三重の旅


​苗木城、明智城、岐阜城と美濃国の城が続き​
ましたがラストは、尾張の白帝城。木曽川を
見下ろす犬山城の登場です。今年1月25日
可児の明智城に出かけた時には、こちらにも
一緒に登城してきました




というか気分的には、こちらの犬山城を
メインに考えていて、時間があったから
午後から、明智城にも立ち寄ってみたと
いうのが正確なのかもしれません。やっぱ
田舎の山城址よりも、国宝の現存天守は
ワクワクしちゃいます




すいませんっ~、光安叔父上~(麒麟がくる)
さてさて犬山城は3回位は出かけてますけど
前回は10年以上前のようです。このブログ
でも紹介をしていました ↓リンク

2009年05月21日「国宝天守より木曽川を臨まん。犬山城(白帝城)」




いよいよ犬山城の本丸鉄門が見えてきました
この先からは有料ゾーンとなります。ここに
来る途中に、街角のポスターでお得な情報を
得ることが出来たので、早速、犬山城下町
周遊券(760円)を購入してきました




この1枚で犬山城と、城とまちミュージアム
からくり展示館、どんでん館を見学が出来て
それぞれを、単独で購入するよりも190円
安く済みます。犬山城入場料だけで550円
するので、実質は3つの施設を210円だけで
見学できる訳でして




なにせ10年ぶりの犬山だから、次に
来るのもいつになるかもわからないし
見学できるものは、見ておいても損には
ならない。さてさて天守閣は戦国時代の
ほんまもんの建築物ですが、この本丸
鉄門を含めて




廃藩置県による廃城処分で、天守閣を除いて
城門や櫓の殆どは取り壊されてしまったので
新たに作られたものだ。ただし幾つかの門が
近隣の寺などに払い下げられて、山門などと
なり、現存をしているそうだ




「瑞泉寺山門(旧・内田御門)」 犬山市
「常満寺山門(旧・松の丸裏門)」 犬山市
「運善寺山門(旧・城門)」 一宮市 
「浄蓮寺山門(旧・松の丸門)」 一宮市
「徳林寺中門(旧・黒門)」 丹羽郡大口町
「専修院東門(旧・矢来門)」 丹羽郡扶桑町 




といった感じらしい。結構、残されている
もんだ。全国の失われた有名な建物なども
、このように今も寺社などに移築され、今も
見る事が出来たりして。それを見学するのも
楽しいものだ。




たとえば秀吉により、破却された聚楽第の
遺構も、国宝の大徳寺の唐門などに転用を
されているそうだし

ではでは犬山城について、いつものように
ウィキペディアで説明をさせていただくと




>文明元年(1469年)犬山城の築城/応仁の
>乱の最中に岩倉織田氏当主の織田敏広の弟・
>織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりと
>いわれる。1497年(明応5年)に同盟関係に
>あった美濃守護代の斎藤妙純が近江で戦死
>したため、岩倉織田氏の勢力は衰退した。




>天文6年(1537年)清洲三奉行の織田信秀の
>弟・織田信康は居城の木ノ下城を廃し、現在の
>位置に城郭(乾山の砦)を造営して移った。
>現存する天守の2階まではこのころ造られたと
>考えられている。




>天文13年(1544年)織田信康が斎藤道三との
>戦い(加納口の戦い)で戦死し、子の織田信清が
>城主となった。永禄7年(1564年)織田信清は
>織田信長と対立して敗れ、甲斐に逃れた。以後、
>池田恒興や織田勝長などが城主を務めた。




>天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは、
>信雄方と見られていた大垣城主・池田恒興が
>突如奇襲をかけ、信雄方から奪取する。これに
>より、犬山城は尾張国における西軍の橋頭堡と
>なり、さらに羽柴秀吉は本陣を敷いて小牧山城の
>徳川家康と対峙した。




>天正15年(1587年)織田信雄に返還された。
>天正18年(1590年)織田信雄が改易されると
>豊臣秀次の領地となり、その実父の三好吉房が
>城代を務めた。文禄4年(1596年)豊臣秀次が
>切腹すると、石川貞清が城主となった。




>貞清は城の改築を行なう。慶長5年(1600年)
>関ヶ原の戦いでは岐阜城、竹鼻城などと共に
>西軍の拠点となり、稲葉貞通、稲葉方通、加藤
>貞泰、関一政、竹中重門らが附属されたが
>岐阜城が落城すると石川貞清を残して東軍に
>移った。




>一方の石川貞清は犬山城を放棄し関ヶ原に参陣し
>敗北したが、東軍についた木曽衆の山村良候らを
>犬山城で解放したことが評価され助命された。
>慶長6年(1601年)小笠原吉次が城主となる。
>慶長12年(1607年)平岩親吉が城主となる。




>元和3年(1617年)親吉没後6年間親吉甥の
>吉範が城主を務めたのち、尾張藩付家老の成瀬
>正成が城主になり、天守に唐破風出窓が増築
>される。成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで
>城主として居城とした。




>現存する天守が建てられた年代については
>天文期説、慶長期説などがあるが、現在の
>ような姿となったのは成瀬正成が改修した
>1617年(元和3年)ごろである。2004年
>(平成16年)3月末日までは日本で唯一の
>個人所有の城であったが、




>同年4月1日付けで設立された財団法人
>犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に
>移管されている。2006年(平成18年)
>4月6日には、日本100名城(43番)に
>選定された。




>尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの
>高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山
>城である。別名の白帝城は木曽川沿いの
>丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上に
>ある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」




>(早に白帝城を発す)にちなんで荻生
>徂徠が命名したと伝えられる。

すいませんね。ウィキペディアの文章を
そのまんま丸写ししただけで、申し訳ない
ですが、そのまま天守の説明も続けます




>犬山城の天守は、外観3重、内部は4階、
>地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と
>西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、
>入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の
>望楼部を載せた望楼型天守である。




>窓は突上窓と火灯窓、両開き窓なと、地階
>1・2階出入口を含めて、総延面積は698.
>775平方メートルに達する。天守台石垣は
>野面積という積み方で、高さは5メートル
>ある。




>天守の高さは19メートルある。1935年
>(昭和10年)5月13日、当時の国宝保存法に
>基づき旧国宝(文化財保護法における重要
>文化財に相当)に指定。1952年(昭和27年)
>3月29日付けで文化財保護法に基づく国宝
>(新国宝)に指定された。




>指定に係る告示は1952年(昭和27年)10月
>16日付けの官報に掲載され、指定名称は「犬山
>城天守 1棟」。構造・形式は「三重四階、地下
>二階付、本瓦葺、南面及び西面附櫓、各一重、
>本瓦葺」とある。




>所有者は公益財団法人犬山城白帝文庫。
>犬山市が文化財保護法に基づく管理団体に
>指定されている。1961年(昭和36年)から
>1965年(昭和40年)に行われた犬山城
>天守の解体修理と古文献等によって、




>この天守は下の2重2階の主屋が1537年(天文
>6年)または、1601年(慶長6年)に建てられ、
>1620年(元和6年)頃に3、4階を増築。その後
>唐破風の付加などが行われて現在の姿になった
>と考えられている




犬山城は国宝の現存天守で、とても
貴重なお城だけど。なにより最上階
からの、この木曽川を見おろすのが
一番好きだ。珍しく木の柵も低いと
いうのもポイント




木曽川の対岸は美濃の国。苗木城から眼下の
木曽川や向こうの恵那山を眺めるのも良いが
ここからの景色も絶景かな、絶景かな。中山道
鵜沼宿のある各務原市になります。近くに
航空自衛隊の岐阜基地があるので、航空祭に
3度出かけ、一昨年のものは写真整理が時間が
かかり




ここで紹介をする事もなくお蔵入りなまま。あぁ
同じ年の春出かけた北海道旅行も。時期もこれ
位であったんで、この機会にと思っていたのに
この日記も書きかけの状態のまま、3日、4日と
過ぎているのに、まだ半分位しか書けず。もう
犬山城の話もあらかた書いたし




何の話をしようかと・・・。まだ朝ドラ「エール!」
の続きでも。朝ドラってオーディションで受かった
新人女優とか若手男優を中心にしてて、どうしても
演技の未熟さとかが目について、後半の無理な老け
具合(10代で60代)に引いてしまう事も多いが




今回の主人公夫婦も、若いとはいっても
既に定評もある二人だけに、感情移入も
出来やすくって、ハラハラ、ドキドキ、
クスクス。旦那は音ちゃん役の女優さんが
埼玉県民にはそこらへんの草でもくってろ!
とのたまった映画を見てないんで




なんかすごく表情のある子だなぁ~と
コメディエンヌな部分に圧倒されている
みたいで、そういった部分では喫茶店の
バンブーの女店主の破天荒な過去を語る
小劇場もいつも笑わせてくれる。網走の
男もすごかったが




オックスフォードで法律の勉強? 過去に
あまちゃんも、朝ドラのわりに攻めている
なぁ~と思ったが、このエール!も民放の
ドラマのような軽さがかえって、楽しいし
プリンスの毎回のかっこつけた登場シーンも
ぶっ!!と噴き出してしまうし




夫の悩める作曲家も、オドオドして、良い
表情するなぁ。今週は私も子供の頃に替え
歌として運動会で覚えた「紺碧の空」でして
石原良純や、松岡修造くらい熱い応援団長を
演じる三浦貴大が、30代半ばにして学生服
似合います




友和&百恵夫妻のどちらにも似てますよね
今朝は、甲子園を目指していた頃に親友と
キャッチボールをしていて、運悪く彼を
ケガをさせてしまって、彼の為にも野球を
続けたかったが才能は無く。せめて応援で
早慶戦で早稲田を勝たせたいと、男泣きで
語っていた




ぎゅと手に握った野球ボーが大写しになり
親友の書いた「ゆくぞ甲子園」の文字。彼の
話を聞く裕一の表情もすごく良かった。彼で
なければ、裕一は演じられなかったのでは
ないかと思う程、はまり役じゃないのかな




昨日の夜は久々にスポーツのニュースが
大きく扱われていた。と言っても選抜に
続いて夏の甲子園も、新型コロナの影響で
中止が決まったという残念なニュースで
その知らせを受けて泣き崩れる高校球児の
震える背中が不憫だった




ウィキペディアによると
>1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会が
>豊中グラウンドで行われた。この当時は遠征
>費用をすべて出場校が負担していたこともあり
>会期を短縮して出場校の費用を軽減することが
>考慮された結果、複数のグラウンドを設置する
>ことも求められた




>ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドの
>ポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせる
>ため突貫工事で建設され、1924年8月1日に球場が
>完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年
>(きのえねのとし)という60年に1度の縁起のいい
>年であることから、甲子園大運動場と命名された。




>第二次世界大戦に伴う1942年から1945年の
>中断をはさみ、1946年は敗戦により放棄した
>朝鮮、満州、台湾の枠を削除した19枠で大会が
>再開された。1948年に学制の改定に伴い、それ
>までの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国
>高等学校野球選手権大会」に改称する事になった
>ことにあわせ




朝日新聞社が新しい大会歌として、全国から詞の
>応募を行い、そこで選ばれた「栄冠は君に輝く」の
>作詞をした加賀大介は野球をしていたが、試合中の
>怪我が原因で骨髄炎を起こし、右足切断を余儀無く
>され野球を断念したそうである。



↑加賀大介の事を主人公に「ああ栄冠は君に輝く」と
いう映画があるそうで予告編を紹介します。ラジオで
早慶戦を聞いてたって、そうなると清水のモデルは
加賀大介のようだ




彼は、自宅前の小学校(松井秀喜の出身小学校)で
子供らが野球をしている様子をよく眺めていたん
だとか。それ故に野球に対する加賀の熱い想いが
強く込められているんだとか。作曲はエール!の
主人公の古山裕一のモデルとなった古関裕而で




歌うのは同じく主人公の親友でプリンスのモデルと
なった伊藤久男である。ではでは犬山のご城下に繰り
出そうぞ           続く!




       2020年1月25日に愛知県犬山市で撮影

      新型コロナの感染節の為に、観光施設などが臨時
      休業をしている場合があります。お出かけになる
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最終更新日  2020年05月22日 07時56分45秒
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2020年03月15日
カテゴリ:愛知、三重の旅


​やっぱり浜辺ですよ。打ち寄せる波!
海無し県の岐阜県民の家族がやって
きたのは愛知県蒲郡(がまごおり)市
目の前には太平洋の大海原が広がって
います




昨秋、岡崎に住む息子の車を旦那が運転し
娘や私と出かけた蒲郡ドライブ。水族館を
のぞいてから次にやってきたのは「竹島」
です。蒲郡や竹島は何度も来てますが




こんなに天気が良い日の訪問は、初めて
なのかもしれません。磯遊びを楽しんで
いる親子なども見かけました




小さな竹島の周囲をぐるっと一周できる
遊歩道があったので、とりあえず歩いて
まわってみることにした




浜辺ではウェディング写真を撮っていた
懸賞で当たって以前に出かけたハワイも
どこに行っても、日本人カップルばかり
だったけど、最近は中国人カップルとか
ばかりなんだろうか?




私はグアムに新婚旅行に出かけたけど
最近は、グアムやサイパンに行く人も
少ないようだ。抜本的に海外旅行へは
ご年配のお客さんが多いのかな? 最近
ナイル川クルーズに参加した人が感染
しているケースが多くあり、エジプトに
こんなに行かれてるんだと驚いた




飛行機とか結構、換気が良いそうで
電車も頻繁にドアの開閉があるので
クルーズ船のような事にはならないと
テレビで言ってたが、旅行についても
自家用車で、野外の行楽なら問題は
無いみたいだ




うちで出かけるような信州ドライブも
そういった意味から気晴らしには良い
かもしれないが、うちの旦那は花粉症で
春先のお出かけは嫌がるけど、今年は
花粉が少ないような気がすると言って
いる




そんな旦那がいるので普段からマスクの
ストックがあるから、今回のマスク不足
問題がなかった。トイレットペーパーも
備蓄されている。サランラップや飲料水
収納力があるから、ついついため込んで
しまったりも・・・




さてさて「竹島」について、いつもの
ようにウィキペディアで丸写しをさせて
いただくと・・・あっ日本海のではない
ですよ。蒲郡の小さな竹島ですので




標高22m、周囲約680m、面積約1.9ha。
基盤は花崗岩質である。対岸とは約400m
離れており、竹島橋によって、結ばれて
いる。対岸とは僅か400mしか離れて
いない。しかしながら、竹島は暖地性の
植生であり、対岸の植物相とは大きく
異なるという特異的な環境である。




このため、1930年に天然記念物に指定
された。また、魚つき保安林に指定されて
いる。1953年から行われた調査では、
238種の高等植物が自生していることが
判明した。この中にはサカキカズラ、
カゴノキ、キノクニスゲらも含まれる。




竹島は全域が八百富神社(竹島弁天)の
境内である。竹島弁天は日本七弁天の一つ
とされる。八百富神社は、市杵島姫命を
祀る神社で、養和元年に藤原俊成が、
竹生島より勧請し創立されたとされる。
徳川家康も参詣し、4石8斗寄進した。




また、この地方の領主である松平氏は、
正月、江戸への出立、帰郷の際は必ず
参拝したといい、古くから信仰を集めて
きた。大正4年には大鳥居が建立された。
この鳥居の額は東郷平八郎の手による
ものだったが、太平洋戦争の供出に
より残っていない。




といった訳で神社にも参拝をさせて
いただきました




見上げるような大きな立派な樹は
ご神木のようだ




といった訳で竹島を散策して、大満足
対岸にはレトロな蒲郡クラッシックホテル
飲食だけでもいいから、一度、利用をして
みたいものだ




↑にもあった大鳥居をくぐって戻るが
びゅ~びゅ~と吹き飛ばされるような
強い海風が吹いていた




渡り終えて振り返ると竹島は、こんな感じ




まるでテルテル坊主みたいな石像があった




無料の駐車場に戻る途中にあった
おみやげ物



こちらは美味しそうな顔出しパネル。と
いった感じの、昨秋の家族ドライブを
やっと紹介しました




さて、ここからは今年2月終盤の話です
え? ユニバーサルスタジオジャパンへ
行ったのかって? いえいえ大阪では
ありませんよ




昨秋に、娘の会社の入っている厚生
福利サービスのジョイセブンで映画
チケットを1000円で購入が出来ると
いうので、娘と二人で行けるだろうと
軽い気持ちで購入をしたのだが・・・




全国共通のイオンシネマの鑑賞チケット
2枚(2月末迄有効)、名古屋駅前の
ミッドランドスクエアシネマのチケット
2枚(3月末迄有効、1枚は私が利用済)
だったけど、何だかんだで気が付けば
2月も後半




しかもイオンシネマは、そのまま2枚も
残っていたので、見たいという気持ちは
ある。松本のイオンならコロナウイルスも
大丈夫そうだが、車で2時間半というのも
キツイし、各務原もまた同様だ




では一番近いイオンシネマはと言うと・・・
愛知県豊田市の駅前にある、KITARA豊田
になりそうだ。土日は混んでいそうだし
やはり、ここは私一人で空いている平日に
出かけて2本立てにチャレンジするか




映画館の利用者は、3時間無料の地下の
駐車場があって、人に会う事もなく映画館
ロビーに行けた。いつもなら早くに行き
真ん中あたりの良い席を指定をするの
だけど今回は別だ




映画の始まる直前に、まわりに人のいない
少し端っこ、少し前の座席にすればいいと
思ったが1本目の「ジョジョラビット」は
5人だけ。1ブロックごとに一人ずつと
いった感じだ(笑) 椅子のひじ掛けとか
触りそうな所は、予め除菌シートで拭いた




ヒットラーに憧れる少年の家には、秘密の
部屋があり、そこにはユダヤ人の女の子が
隠れていたというヒューマンタッチの話だ

そして駐車場が3時間無料なので、見てから
一度、車を出して再び入場をしなおして




昼から見たのは本年度のアカデミー賞を受賞
した「パラサイト半地下の家族」である。再び
上映直前に指定席を取ろうとしたが、流石に
こちらの方は20人位はいたと思うが、後ろは
通路で、横の人とも2席はあける事が出来た




貧乏な人は賃貸で、屋上の屋根部屋や
半地下で過ごすというのは、よく韓国
ドラマで出てくるけど、金持ちの邸宅
には更に・・・・。ある意味でジョジョ
ラビットと同じ展開ではあるが、凄惨な
最後が待っている




ミッドランドスクエアのチケットの1枚は
昨冬に私が「ジョーカー」を見ていたけど
今年になり、ジョイセブンで名古屋駅前の
映画のペアチケットが当たったので、2月
中旬に娘と出かけた際に




たぶんアカデミー賞を獲るんじゃないか
という予想からかジョーカーをやってて
娘が観ることにした。パラサイト並みに
格差社会の残酷さを感じ取れる映画だ




私の方は既に観ていたのでシリーズ完結編
「スターウォーズ・スカイウォーカーの
夜明け」を観る。やっぱり大画面で観て
こその映画だし! この頃には名古屋にも
平気で出かけられたけど、今となっては




映画館どころか名古屋に出かけるのも
躊躇してしまう。蒲郡のうつしちゃる~
という男から実際に豊田の女性が感染
してしまったそうだ。岡崎も感染者が
出たし、息子は当分はうちに来ないでと
言ってきた




テレビでは、映画館とかは空間が広いし
ライブハウスとかより安全だと言っていた
さて2月下旬に出かけた「KITANA豊田」
には、フロアにかっちょえ~映画キャラの
フィギュアが並んでいた。等身大?




日本のアニメの複製画らしきものも展示を
してあって、なんだか得した気分♪




映画館には4月公開の「007」最新作の
広告があったが、その頃には少しはコロナ
おさまってたらいいけど、無理かなぁ~
とか言ってたら公開が延期になってしまい
11月20日になったようだ




ジェームス・ボンド役のダニエルグレイグ
セクシーでかっこええです♪ テレビでも
録画してまして、スターウォーズ同様にこれ
観ても削除できないし




さてさて世界のTOYOTAのある愛知県豊田市
サッカーの「名古屋グランパスエイト」の
ホームタウン(名古屋市、みよし市も)でも
あり、ホームスタジアムの「豊田スタジアム」
なども(名古屋のパロマ瑞穂スタジアムも)




そして、ここでは昨年のラグビーのワールド
カップの試合も行われた。日本中がラグビーに
盛り上がったように、今夏のオリンピックも
無事に開催が出来たらよいのだけど・・・・




         2019年10月13日に愛知県蒲郡市&
         2020年2月下旬に愛知県豊田市で撮影

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最終更新日  2020年03月17日 09時21分00秒
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2020年03月12日
カテゴリ:愛知、三重の旅


​再開をしたばかりの宝塚歌劇団だが、政府の
大規模イベントの自粛要請を受けて、再度の
3月19日まで休演をする事になった。うちの
チケットはその後だが、果たしてどうなるん
だか。更には3月末が使用期限のユニバーサル
スタジオジャパンのペアチケットも




先週末に行くつもりだったけど、休園で行く
事が出来ず、今度は後半の三連休にホテルを
予約をし直したのに、↑の自粛の要請で3月
22日まで休園延長となり、旅行日程も再度の
変更。というか、それを見越して既に月末の
ホテルの予約もしていたので




来週分をキャンセルをすればいい訳だが
月末に行けるんだろうか?自分で購入して
いれば返金もされるけど、企業招待のギフト
チケットだから紙切れになってしまうかも
寒くても正月に行っておけば良かった。でも
寒いの苦手で、3月に予定を組んでしまった
訳でして、大失敗。大阪同様にやばいのが




名古屋でして、自前で買った名古屋駅前の
映画館チケットも、3月末期限なんだけど
どうするべ。期限を延ばしてくれるといい
けど無理だろうなぁ~。まさかこんな事に
なるとは思わなかったし。これからは期限が
あるものは、早めに利用をしてしまおう




北海道は雪まつりと言われているが、大阪は
ライブハウス、東京は屋形船。最近は関東で
ナイル川クルーズの帰国者の感染が続いて
いるが、名古屋はハワイ帰りの奥さんが帰国
直後に出かけたジムからの感染が広がって
三河地方の蒲郡のご家族まで感染




そこのオヤジが自分が感染をしているのを
判っていながら、街の飲食店などに出かけ
うつしちゃる~とは! そんな全国に名を
とどろかしてしまった蒲郡(がまごおり)
昨年秋に家族で出かけました




息子の住む岡崎市からは車で30分位で
蒲郡に行けて海を見る事が出来るので
山国の岐阜県民は、行楽先には都会か
海を見に行くのが一番です




息子の車ですが旦那の運転で、息子や
娘と4人で蒲郡ドライブです。やって
きたのはちっちゃな「竹島水族館」で
現在、こちらも臨時休館中です。テレビ
でも規制のないロシアからやってきた
観光客がスカイツリーに登れなくて
残念がってたけど




普段なら人だらけの浅草も、人が少ない
と言いながら満喫をしていたので、まぁ
それはそれで良かったような・・・話
戻します。ちっちゃな「竹島水族館」は
結構、人気があるんですよ




入館料がワンコイン。たったの500円と
お財布に優しいのも、ありがたいですけど
飼育員さんたちのアットホームなパネルが
館内のいたる所にありまして




それを読んでいるだけでも、くすっと
楽しくなる大人も楽しめる水族館です




わ~い。カブトガニだぁ~。これを
見たくて子供を連れて、瀬戸内海の
笠岡市にあるカブトガニ水族館まで
出かけた事がありますし




大水槽はないけど、それに負けない位に
インパクトがあるのが、こいつらですね
どこが頭で、尻尾はどれだか???




パネルはこんな感じです。おしゃれさん
らしいです




そうやって見ると、愛嬌すら感じます




カブトガニ博物館で見た、小さなカブト
ガニがひっくりかえっていて、あたふた
しているのを見た覚えがありますけど




この子は、今日はひっくりかえってない
ようですね




カラフルなアパートには、適当な名前の
住民たちが




ナオミらしいです




こっちは個人住宅のようですね




ほうほう・・・




色んなのがいますよね




カニ足がワイルドです。戦っている
みたいです




ついつい、真剣に読んでしまったのが
飼育員さんのグルメ日記




流氷の天使クリオネも。まぁ本当の名は
ハダカカメカイというらしいですが




へんてこな生き物のコーナーもありました




ゆらっとしてます




見るからに、ぬるとしています
ウーパールーパーでしょうかね




またまた、かわいいやつがいました




ゲームのぷよぷよだか、ドラクエに
出てくるやつみたい




つぶれたやつもいました




自販機もまた、水族館仕様になってました




お~~。ダイオウグソクムシ自販機だぁ




ワンコインの入館料なのに、アシカショー
などもやってました。南米からやって
きたラブちゃんは捕獲をされたオタリア
という種類みたいです




新人さんだと言う飼育員さんが、頑張って
ショーをすすめていました




ジャンプも得意です




輪投げも出来ます




水球もお手の物です




あらよっと!




岡崎に戻って、夕飯はラーメン屋に出かけ
ました。愛知県豊橋市にある飲食チェーンの
物語コーポレーションの「丸源ラーメン」で
全国各地に支店があるので、食べた事がある
人もいるのでは




焼肉きんぐとか、ゆず庵とかもここみたい
他にも、違う飲食チェーンも展開をして
いるし。愛知県の会社だったとは! 大手
チェーンだけに安定した美味しさでした




その日は、旦那と娘と私と3名で息子の
アパートの広い居間に、泊めてもらい
ましたよ。枕のかわりにクッション使い
冬用毛布と夏布団を重ねたりで、寝袋を
敷布団代わりで・・・




次の日の帰りには、イオンスタイル豊田に
立ち寄りまして、リカーショップに併設が
された豊田バルで娘とお酒を・・・旦那は
運転があるので飲めませんから、普通に
通路の椅子で座ってたようです




日本酒もいただきました。海は?と言われ
そうですが、後半で紹介しますね。青い海
ではでは。桜が咲く頃にはコロナウィルスも
下火になるといいですね




         2019年10月13日に蒲郡で撮影

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最終更新日  2020年03月14日 22時50分23秒
コメント(58) | コメントを書く
2020年01月08日
カテゴリ:愛知、三重の旅


1月ですが桜です。​大晦日に帰省してた
息子が1月3日に、転勤先の岡崎に帰る
というので、その車に娘と同乗をして
今年初めての行楽先は三河です。下道を
岐阜県瑞浪市から、愛知県豊田市へと




その途中の豊田市小原地区の道沿いには
小原四季桜が今も咲いてました。この
桜は春と秋の二度咲くそうでして、前に
セントレアに行く途中にも冬の時期に
桜を見たのですが、その時もピークは
少し過ぎてました




ピークは11月半ばで、紅葉とのコラボ
なども楽しめるようです。豊田の市街地に
出てきました。中津川ではいらっしゃいを
おいでんさいと言うが、三河弁はおいでん
というらしい




イオンスタイル豊田に行くと、来店者に
ねずみの絵の描いてあるどら焼きを一つ
ずつ配っていたので、三人で一つずつ




朝食はタリーズで。入り口でコーヒーの
試飲もあったので、そちらもミニカップで
貰った。お正月らしい店内を一通りまわり
今度は




イオンモール岡崎へ息子の車に乗せて
行ってもらって、ここからはバスでも
息子のアパートに行けるので、息子を
解放。娘と二人でイオンモール岡崎を
うろつく




お昼ご飯はフードコートで、京都北白川
ラーメン魁力屋でラーメンを食べました




夕刻にイオンモールから路線バスで
東岡崎駅へ。ここで路線バスの乗り
換えが必要なのだが




東岡崎駅に、新しいショッピングスポット
「オト・リバーサイド・テラス」が出来た
ばかりだと娘がいうので立ち寄ってみた




どこで、そんな情報を得たんだろ。正月で
まだお休みのお店なども。パンケーキの
お店が繁盛してたが、ラーメンも食べたし
今日はパス




テラスにはどど~んと、徳川将軍初代の
徳川家康の騎馬像が。岡崎は徳川家康の
生誕地である。岐阜県可児市の彫刻家で
日本芸術院会員の彫刻家神戸峰男さんが
制作したものだそうだ




この奥に家康の生まれた岡崎城がある
せっかくだから、夕刻の岡崎城下を
散歩してみた




新しく橋を架けていた。桜城橋(さくらの
しろばし)といい、「乙川リバーフロント
地区整備計画」の目玉施策だそうだ




こちらは西の方を流れる矢作川にかかる
矢作橋で、日吉丸(秀吉)が蜂須賀小六に
出会ったという橋で、かつては東海道。今は
国道1号線の橋である




夕刻の岡崎をてくてく歩いて、岡崎シビコの
食品売り場で特売品を買い込んでから、路線
バスで息子のアパートで、簡単な食事を作り




次の朝は娘と二人で、JRを利用して
浜松まで、餃子を食べに行こうという
話となった




JR岡崎駅前には、若き日の松平元康
(徳川家康)像。最近、テレビで母親と
引き離され、人質生活を長く続け、父を
早くに失った苦労続きの少年期をやって
いたが




こちら静岡県浜松市は青年期の29歳から
45歳までの17年を過ごした城下である
JRの駅ビルメイワンの奥には地上45階建
最高部の塔屋上ヘリポートの高さ、212.77
メートルの超高層ビル、浜松アクトタワー




駅ビルメイワンの最上階にあるのが本屋に
併設された「エクセルシオールカフェ浜松
メイワン店」で本を3冊、持ち込めるので
景色を眺め1時間ものんびりしてしまった




エクセルシオールカフェはドトールコーヒー
よりもちょっぴり高級路線な、イタリアン
エスプレッソを中心とした系列店だ




今回は餃子を二店舗は食べたいと思って
いたので、ランチ営業が始まったばかりの
「初代しげ」へ。ここは浜松餃子まつりの
G1餃王座グランプリにも輝いた実績がある




他にも食べたいので、一人前を頼んで半分こ
フードコートなので、こうゆうこともできる
ビールは娘がぐびぐび飲んだ




餃子の町として、その消費量を宇都宮とトップ
争いを繰り広げている浜松餃子は肉の使用量が
多く、ジューシーで使われる野菜は白菜よりも
キャベツがメイン、玉ねぎを刻んで入れる店も。
餃子を円形に並べ、中央にはもやしをのせる




お腹も一杯になったので、地元の小さな
神社に次いで参拝に来たのは、五社神社
諏訪神社。五社神社は、太玉命、武雷命
斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を
主祭神とし




家康が浜松城主時代、三男の長松(後の
徳川秀忠)が誕生すると、当社を産土神とし
現在地に社殿を建立した。家光の命により
諏訪神社は、五社神社の隣に社殿が造営され
遷座をしたが、共に浜松空襲で全焼した




国学者の賀茂真渕が幼少の頃、師と仰いだ
五社神社の神主である森暉昌の功績を記した
顕彰碑




東海道五十三次の江戸から数えて、29番目
京から数えて、25番目にあたる浜松宿は
東海道最大規模の宿場で、本陣が6軒あり
旅籠も94軒もあったそうだ




ネットで浜松のスターバックスがおしゃれだと
娘が見つけて、立ち寄ることにした。「浜松城
公園店」といいまして、名のごとく直前には
浜松城に出かけたんですが、次回の日記で紹介
します




娘がスターバックスの会員になっているので
コーヒーのおかわりを100円(税抜き)で
一緒に購入できるので、二人の場合はいつも
こうしている。(会員外のおかわりは税抜き
150円)




ここ最近はちょっとな~という感じだった
抽選で当選しないと購入ができないスター
バックスの福袋、今年はなかなか良かった
みたいで、だったら抽選に申し込んでたら
良かった。来年は応募してみようかな




タミヤやバンダイなどの国内プラモメーカーの
大半が静岡県に生産拠点があるそうだが、昔
家康が腕利きの宮大工や彫刻士師を、駿府に
集めたことから木造模型が盛んになったとか




かつてはテレビチャンピオンでも名をはせた
プロモデラーの山田卓司さんは、浜松出身だ
そうで、その作品が展示されていた




静岡県磐田市のイメージキャラクターの
悉平太郎(しっぺいたろう)をモデルに
した「しっぺい」君。怪物退治のために
信州駒ケ根からやってきたワンコだ




「浜松魅力発信館ザ・ゲート・ハママツ」は
遠州鉄道高架下に設置されており、つい最近
まで、いだてんの展示がされていたそうだ




後半の主人公である田畑政治は、浜松の出身
だったそうだ。↑もはや家康ではなく田畑に
見えてくる。そして女城主の井伊直虎もまた
浜松北部だし




「ガヴリールドロップアウト」というアニメの
聖地が浜松らしいが、「苺ましまろ」「干物妹!
うまるちゃんR」「クラシカロイド」といった
アニメも浜松が舞台らしい




この人が何者かわからないけど、繁華街で
絵馬が沢山あった




浜松と言えばさわやかハンバーグ。駅前の
お店の前は通ったが、今回は餃子を食べに
来たのでパス。静岡おでんとか、マグロや
日本茶、メロンなどと静岡県には美味しい
ものがいっぱいなのだけど




午後も遅くなったので、浜松を離れる前に
もう一軒の餃子店に出かけた。このお店は
以前に、ドライブで立ち寄った事があるが
今回は、居酒屋的な「浜太郎」駅前店へ




と言うのも、夕方のハッピーアワーには
レモンサワーとハイボールが、何杯でも
99円になるというので、もはや餃子より
酒が目当てな娘であった




無論、お酒のあてに餃子も頼む。ここも浜松
餃子まつりで、餃王座グランプリを受賞 して
いる。美味しいのでガンガン食べれるし




マツコの知らない世界の餃子激戦区で迷ったら
ここで食べろ!のコーナーで紹介もされた
赤餃子と、黒餃子も食べてみた。完食~!
と言うわけで、ハートな浜松編へ続きます




        2020年1月3、4日に三河&浜松で撮影

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最終更新日  2020年01月09日 11時08分30秒
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2019年09月25日
カテゴリ:愛知、三重の旅


前回に続き、息子と娘と出かけた​渥美半島
ドライブでやってきたのは伊良湖岬。うちの
あたりでは朝夕のチャイム(今は違う)が
島崎藤村の椰子の実であったので、前から
馴染みがあったりもしてる




30年以上前にも出かけてたし、何年も前
には、懸賞で当たったメロン狩り×ホテル
バイキング(写真の高台のホテル)の家族
家族で立ち寄った事も。そんな伊良湖には
恋路ケ浜という、椰子の実が流れ着いた
美しい浜がある




ネットによれば、なんでも
>昔、恋ゆえに都を追われた高貴な男女が
>おりました。女はこの恋路ヶ浜に、男は
>裏浜に人目をさけて住み、2人は逢瀬も
>ままならないまま病に倒れ、




>お互いの名前を呼びながら亡くなりました。
>その女の心は女貝に、男の心はミル貝に
>なったという伝説が、恋路ヶ浜の由来です

なんて伝説もあるのだけど、名前からなのか
恋人聖地にも認定をされている




更に、この海岸線は渥美サイクリングロードが
あり日本の道100選にもえらばれていて、その
日も、サイクリングを楽しんでいる人たちの
姿もあった。他にも日本の渚百選、日本の音風景
100選、日本の白砂青松100選にも選ばれている




幸せを呼ぶという四つ葉のクローバー(シロツメ
クサ)って、子供の頃に道端で見つけて、押し花に
したりしませんでした? あれって恋路ケ浜で
最初に見つかったそうで、発祥の地なんだとか
日本では、四つ葉は「希望」「信仰」「愛情」
「幸福」の象徴だと言われています




クローバーとかは見かけませんでしたが、浜辺
には、うちの辺りでは見かけないような色んな
花が咲いていました




かつてはコククジラをはじめ、ザトウ、セミ、
ナガス、シロナガスクジラ、マッコウ、シャチ
など、数多くのクジラがよく見られたそうで
日本の商業捕鯨の発祥の地であるとか。今でも
オキゴンドウなど小型のイルカ類なら見る事も
あるそうだ




もともとは、旧海軍の第一機動艦隊の生存者と
遺族の発起により、全国海洋戦没者伊良湖岬
慰霊碑委員会が建立をした大東亜戦争における
海軍機動艦隊戦没者の招魂慰霊碑があった




昭和19(1944)年に編成された第一機動艦隊
だが同年6月に行われたマリアナ沖海戦が初陣と
なり、翔鶴・大鳳・飛鷹をはじめ多数の艦船と
航空機を失い、その後に解隊となったそうだ




「君今ここに甦る」の慰霊碑は昭和47年に建立、
慰霊祭が行われ、昭和49年には11月3日を全国
海洋戦没者合同慰霊祭の日と定めたそうである




椰子の実も流れ着いたこの岬の先に広がる
大海原の彼方には、故郷の地も踏むことも
なく、若くして命を失った青年たちの激戦の
地がある




差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり
金子兜太の句碑があった。差羽(サシバ)とは
タカ科の渡鳥で、全長は約50センチ、体の
上面が灰褐色で、腹には白地に褐色の斑が
ある




日本では夏鳥で、秋になると大群をつくり
東南アジアへ渡るそうだ




その近くにも石碑があったが、ネットで
検索をしたが、いまいちわからなかった




そんな石碑とか興味のない息子や、娘が
ガンガン先をすすむので、後からネットで
調べればいいや程度で、近くにも行かず
写真だけ撮ってきたのだ




行きの海岸線の道と違い、小さな山を
越えるような帰りの道は、趣も全く
違っていて、植生もうちのあたりとは
違うので、これはこれで面白い




どことなく南の島のジャングルみたい
というのは、言い過ぎか




この海を渡るのはタカだけではなくって
小さな蝶もまた海を越え、暖かな地方へ
むかうという




ここのブログでも、北信州にお住いの
方がアサギマダラの事を日記で書かれて
いたばかりだ




これは、日本最大級の蝶のモンキアゲハ
(紋黄揚羽)だと思うが




その為、こういった立て札もあった




樹のトンネル。楽しい散歩道だった




振り返ると、こんな感じ




1時間程を要して、車を停めてある道の駅
伊良湖クリスタルポルトに戻ってきた




その脇には、何やら説明版があって古墳
らしいが、草ぼうぼうで全容もわからない




他の地にあったのを移動、復元した
ものなのか~。ネットでは綺麗な時の
写真があり、石組があるそうだけど
草、刈ろうよ・・・・




道の駅の中には、椰子の実博物館という
ものがあって、無料で見学ができる




伊良湖に流れ着いたという椰子の実。明治
31(1898)年の夏に、伊良湖で1ヶ月半程
滞在した柳田國男から、浜に流れ着いた椰子の
実の話をきいた島崎藤村の詩が、世に広まり
歌にもなった




アサギマダラ(右上)など、この地で
舞い飛ぶ蝶の標本や




タカなどの鳥類の標本




化石とか




クジラとか




出土をした遺物もあった




島崎藤村は来たかどうかはわからない
けども、松尾芭蕉など古くから文化人
にも愛された伊良湖であるが、古くには
天武天皇時代に、麻積王が配流された地
でもあったそうで




万葉集には、王の「うつせみの命を惜しみ
浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す」との
歌が残されている。恋人の聖地のレプリカ




という訳で、伊良湖からの帰り道には
電柱にまじって風力発電の大きな風車




娘がネットで調べて人気があるという
「渥美の丼屋まるみ」に行くと、午後
1時半程なのにこの行列。名前を書いて
待つこと50分! 




席について出てきたのが、娘の頼んだ
のは、海鮮ミルフィーユ丼(中盛)で
1270円。小盛りでいいじゃないか
って言ったけど、見た目が良さそうだ
と頼んで、ふ~ふ~言いながら食べて
いた




横からはこんな感じで、ちらし寿司が
隠れていて、いかにもインスタ映えを
しそうだし




私は手軽な価格の海鮮バラちらし寿司
(小盛り)の690円。刺身の苦手な
息子はとんかつにしたが、こういった
メニューがあるのも有難い




店を出るともう午後3時。私の車の置いて
ある岡崎城付近の24時間で700円の
駐車場で下して貰って、そこから下道で
自宅に帰ると午後7時近くになっていた




         令和元年9月1日に愛知県田原市で撮影

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最終更新日  2019年09月25日 15時08分45秒
コメント(76) | コメントを書く
2019年09月21日
カテゴリ:愛知、三重の旅


旦那は家の他に、地域の仕事もあって
引っ越しにしか行けてない息子の家に
娘と二人で出かけた9月1日の日曜日は
息子もお休みだったので




息子の運転で、愛知県三河地方に位置する
渥美半島まで海を見にドライブに出かける
事にしました。岡崎からは国道1号線を利用
さほど時間もかかりません




途中には、きゅうりのキューちゃんの
工場がありましたよ。東海漬物のロング
セラー商品のキューちゃんは、ここで
作られているのか




渥美半島に来たら必ず寄るのが、道の駅
田原めっくんはうす




温暖な渥美半島はメロンの産地で、数千円の
高いもの(といっても、5玉入り)もあれば
一玉1000円以下のお安いマスクメロンも
購入が出来るのだ




お土産に2つで1800円のメロンを購入し




メロンのソフトクリームをおやつに、ぱくっと




車など、工業製品で有名な愛知県だけども
農産物もいろいろあって、うちのあたりの
スーパーも愛知県産が多い。愛知県が日本一の
生産量の農産物が紹介されていたので、書き
だすと




キャベツ21.7% (田原市、豊橋市)
しそ 70.3% (豊橋市、豊川市、田原市)
ふき 37.9% (東海市、知多市、愛西市)
とうがん 41.7% (豊橋市)
いちじく 27.3%(安城市、碧南市、常滑市)
ぎんなん 40.0%(稲沢市)
きく34.6% (田原市、豊川市)




洋ラン類(鉢)16.5%(豊橋市、西尾市、東海市)
観葉植物(鉢)34.4%(田原市、西尾市、岡崎市)
ばら 14.0% (豊川市、田原市、西尾市)
うずら卵 69.6%(豊橋市、豊川市、阿久比町)
あさり類 23.1%と、いった感じでして




今回やって来た渥美半島は、田原市に
あたり、道の左右にはハウスとかも
多かった。そして最初の目的地に到着




息子がネットで見つけて、行きたいなぁ
と、漠然と考えていた道の駅あかばね
ロコステーション




そこに広がる海岸には、サーフボードを
持つ青年たちの姿も。赤羽根海岸は全国
有数のサーフィンポイントであるらしい




生サーファーを見るのは、生まれて
2度目。前は湘南あたりで




靴に砂が入るのが嫌なので、近くまで
行く事もなく遠くから見物




赤羽根漁港に帰ってくる漁船




気分だけ、漁師さんにもなれるらしい




あかばねロコステーションでは、この
地域で作られた鉢植えの花とか




農産物もいろいろ。先程ほどではない
けどメロンも売られていた




ハワイアンカフェルルモアナで、娘が
買ってきたのは




はやりもののタピオカドリンク




今度は気分だけ、サーファーになれる
みたいだ




こういった南国風の街路樹を見ると
リゾート気分




周囲はハウスとか農地なんだけど。海を
見に来たのに、なかなか見れない




やっと先端付近まで来て、海岸線の道に
なった。ちょっぴりだけど




眼下には伊良湖岬と、恋路が浜だぁ~
島崎藤村の椰子の実で有名だが、実際に
拾ったのは友人の柳田國男であるらしい




3つ目の道の駅は、伊良湖クリスタル
ポルトで、伊良湖港の旅客ターミナルも
兼ねている




ここに車を置いて、伊良湖岬を少し
散策をしてみよう。海沿いに遊歩道
なども整備されている




伊良湖出身の江戸時代後期の漁夫歌人
糟谷磯丸の銅像があった。貧しい漁夫で
読み書きが出来ないので無筆の歌よみ
とも呼ばれている




35歳で歌の道を志し、生涯で数万首を
うたったようだ。磯丸は旅が好きで
近隣どころか京都や、伊勢、江戸まで
出かけたそうで、渡辺崋山にも会った
うである




磯丸が作ったまじない歌は、掛け軸に
したり、歌碑にすると願いが叶うと
いうので人気があったそうである




磯丸よりも少し遅くに生まれた渡辺崋山
だが、ここ渥美半島にあった田原藩の
江戸詰めの藩士の家に生まれ、後には
家老にもなった。画家としても有名だが
幕府の対外政策に批判的であった為に
蛮社の獄で責めを負って、自死をした




海無し県の岐阜県生まれの息子、海の
間際までいき、スマホで写真を撮って
いた




伊良湖岬の目の前にあるのは、神島で
三重県鳥羽市になる。三島由紀夫の小説
潮騒の舞台だ。この小説はギリシャの
古典「ダフニスとクロエ」をヒントに
しているそうだ。潮騒は万葉集からで




潮騒に伊良虞(いらご)の島辺 漕ぐ舟に
妹(いも)乗るらむか荒き島廻(しまみ)を

伊良虞は、伊良湖岬もしくは神島のことだ
そうだ。(柿本人麻呂作)




小さな山の上には、伊勢湾海上交通
センターがあり、通航船舶に対して
航行管制を行ったり、航行情報を提供
しているそうだ




そして見えてきたのが、
渥美半島の先端に
ある
伊良湖岬灯台で、日本の灯台50選に
なっているそうだが、流石に良い灯台を
100も選べなかったのか




1929(昭和4)年に、設置された
灯台は2002(平成14)年に改築
されたそうだ




やっぱ海岸線では、灯台は絵になるが
興味がないので先を急ぐ息子や、娘に
遅れないように、写真を1枚、2枚と
簡単に撮って急ぎ足で




とは言っても、こんな道端の大きな石も
なんか絵になるなぁ~と、またカメラを
むけたりも。二入が行った先は食事とか
土産が出来るお店が、幾店か並んでいて




大アサリなども食べれるが、まだ時間も
早いので、ここでは食事はせず。今度は
違うルートで道の駅に戻る事にした

            後半に続く




           令和元年9月1日に愛知県渥美半島で撮影

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最終更新日  2019年09月21日 16時47分31秒
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2019年09月05日
カテゴリ:愛知、三重の旅
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息子が愛知県岡崎市に単身赴任をして
3ケ月が​過ぎて、夏も終わり秋を迎え
ようとしている。昨日は休みのようで
アクアトト岐阜へ行ってきたと写真を
ラインで寄越していた




旦那は地域と、家の農作業で忙しいので
引っ越しの当日しか出かけていないけど
私と娘は月に1回程度は遊びに出かけて
いる。先週末は息子の運転で渥美半島へ
三人でドライブ。その写真はまた今度




岡崎では花火大会も見たし、お城にも
出かけたが、まだまだ紹介したい事は
色々とあります。今回は岡崎で食べた
ものとか紹介しようかと思います




これは6月の引っ越し当日。旦那の運転で
ワゴン車(レンタカー)に、荷物を積んで
高速で岡崎へと向かいます。豊田あたりで
矢作川にかかるカッコイイ「豊田アローズ
ブリッジ」を過ぎたら、いよいよ岡崎です




こちらに来て思うのは、やっぱガソリン
代金が安い! うちの辺りよりリッター
10円位安いので、車で出かけた時には
豊田あたりで、ガソリンを満タンにして
帰ります。勿体ないので高速ではなくて
下道を使ってます




そして岡崎に来て驚いたのが、ゴミの分別
袋がいっぱい~。うちの方は燃えるごみと
燃えないごみ袋しか売ってないし、値段も
岡崎より4倍位は高いです。別にゴミ袋が
なくても、こちらでも雑誌&新聞、ペット
ボトルとかトレー、衣類などリサイクルに
出してますけどね




娘が松本で使っていた家電もあるので、今回
新たに購入したのは単身用の冷蔵庫と、電子
レンジのみ。引っ越しの当日に岡崎のヤマダ
電気で購入(電子レンジは持ち帰り)をして
一緒にカーペットやカーテンを購入をしたら
喫茶コーナーで、パンケーキとドリンクの
セットをタダで食べる事が出来た




そして引っ越しと言えば、やっぱり
お蕎麦と言う事で、ランチはお蕎麦




私は、お餅ものっかったぶっかけの蕎麦




さて前回、前々回で紹介をした岡崎城は
ガスの引き込みの立ち合いを終えたので
私だけで岡崎城の観光を終えて、電車で
帰宅しましたが、その時にお城の近くに
ある老舗和菓子店の「和泉屋」さんへ




ここには、岡崎市の非公式キャラクターの
「オカザえもん」と、名古屋のSKE48の
松井珠理奈さんも来店した模様




ここではみたらし団子が有名なようだけど
やっぱ気分的にかき氷が食べたいと思って
生いちごミルクを注文しました




とってもジューシーな、生のいちごの
ソース(?)をかけて、さくさくっと
今夏は、娘とかき氷の食べ歩きをして
まして、恵那川上屋とかコメダ珈琲など
ここで紹介できればいいのですが、もう
季節は秋・・・




これから出かけるお城でも、何か食べたい
と、思って抹茶のシュークリームも購入し
岡崎公園のベンチで、早速、パクっと




みたらし団子が名物だというのに。私は
高山のシンプルなしょうゆ味のみたらし
好きなんで。それにショーケースに入ってた
おっきなシューが、むちゃくちゃ美味し
そうだったしね




岡崎城の観光を終えて、名鉄の東岡崎駅に
向かう途中に、乙川(菅生川)に面して
「菅生神社(すごうじんじゃ)」があって

ウィキペディアによれば
>起源は第12代景行天皇の時代にさかのぼる。
>110年10月、景行天皇の子の日本武尊(やまと
>たけるのみこと)が東国平定のために菅生の
>地を通過した際




>高石(たかいわ)に伊勢大神を勧請し、神社を
>建て「吹矢大明神」と称した。菅生神社が
>岡崎市最古の神社と言われるのはこの言い
>伝えをもとにする。(中略)江戸時代文化・
>文政の頃から、乙川(菅生川)に提灯を
>付けた鉾船を浮かべ金魚花火や手筒花火等を
>打ち上げ奉納している




>1818年(文政元年)には岡崎藩主上覧花火が
>催され、城下各町や近在の村々が技を競った
>という。8月第1土曜日の祭事は現在、「岡崎
>城下家康公夏まつり」の花火大会との共催で
>行われている




徳川家康公や、岡崎城主などにも関わってきた
神社だけに由緒もありそうだし。最近はやりの
御朱印も、ここでは限定のものなどもあって
人気があるようだ。私は集めてはいないが




乙川(菅生川)にかかる「殿橋(とのばし)」
から見えた岡崎城。このあたりで仕掛け花火
などもあり、高価な有料座敷席はたもとの
河川敷(岡崎城&神社側)に設けられている




1645(正保2)年に、水野忠善が岡崎藩主だった
頃に橋がかけられ、当初は菅生橋と呼ばれていたが
後には殿橋と呼ばれた。その橋は今より100メートル
ほど下流にあったそうである




明治38年に先代の木造橋梁が完成し、馬車鉄道が
橋上を通っていたそうだ。1927(昭和2)年には
最新鋭の技術(鉄筋コンクリート構造)で現在の
橋が完成した。中央には複線の市電が走り、その
両側には車道、さらにその外側に歩道が作られて
後には耐震工事、修復工事も行われてきた




名鉄の東岡崎駅に到着すると、徳川家康公の
手形のモニュメントがあった




駅舎には岡崎の産業品などが展示されていた




お土産は家康公ではなく、オカザえもんの
キーホルダーを岡崎城の土産物屋で、↑で
紹介をした和泉屋さんのどら焼きも購入




これは先週末に岡崎に娘と出かけた時に
立ち寄った「道の駅藤川宿」で、東海道の
三十七番目の宿場の「藤川宿」(岡崎市
藤川町)の国道1号線沿いにある




徳川家康公の石像が、お出迎えをして
くれる




ご当地サイダーのコーナーには、岡崎市
出身の内藤ルネのイラスト入りのものも
戦国武将で有名な岡崎市だが、現代でも
世間でも名の知れた人物が出てきている
中日の近藤貞雄元監督や、木俣達彦捕手
相撲力士の琴光喜関に




レーシングドライバーの中島悟もだし
俳優の杉浦直樹に、平泉成もしぶいよ
ガロの大野真澄に、兄弟デュオの狩人
あみんの岡本孝子、お笑いのキンタロー。
天野ひろゆき。シンセサイザーの冨田勲は
岡崎にある父親の実家で小中学生時代を
おくったそうだ




これは後日、娘と車で出かけた時に行った
喫茶店「あおい珈琲」で、外壁には葵の
御紋




広い店内には落ち着いたソファーなども
あり、スマホの充電用のコンセントなども
あったりで長居が出来る




もちろんモーニングタイムの利用で、ここ
では様々なドリンクの料金にモーニングを
セットをするもので、トースト&ゆで卵は
無料で付けられる




モーニングセットの種類も多く、これは
娘が頼んだフレンチトーストのセットで
ドリンク代に280円プラス




こっちはホットドックセットで330円プラス




おにぎりの和食セットで180円プラス
最初に出かけて気に入ったので、その場で
直ぐにコーヒーチケットを購入したので
後日、娘や息子とリピートもしました




娘と車で岡崎に行った時の帰り道に
午前中に、豊田市のイオンスタイルに
立ち寄って、早い時間での帰宅だし
いつものルートと違う足助町方面へ
このあたりは自然薯が有名でして




「とろろ庵」で、自然薯のとろろがたっぷり
かかったお蕎麦を注文。しかも定食などを
頼むと、セルフで麦ごはんが食べれるので
そちらにも、お蕎麦のとろろをかけてパクッ




         平成元年6月から夏に、愛知県岡崎市で撮影
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最終更新日  2019年09月05日 20時12分26秒
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2019年08月29日
カテゴリ:愛知、三重の旅


ここ最近になって夏の終わりを思わせる
ようなお天気で、夜の涼しさに閉口して
長袖のパジャマを持ち出してきましたし
街では栗きんとんの販売も始まりました




さてさて前回に続いての「岡崎城」ですが
前にちゃんと内部も見学をしてました。が
忘れてました。復興天守は特徴がなくって
そんな訳で、見学した時の日記もブログで
紹介してましたので、松平郷などと共に
↓リンクからご覧くださいませ




2010年05月17日「松平! 将軍ではなく、情熱のミューズにひかれる」

2010年05月14日「飛騨の三大桜と、ジンヤ」

2007年11月03日「金龍昇天、三河の家康の城。」




ではでは前回の続き、岡崎城の紹介をします
空堀にかかった石橋もまた、見た目もかっこ
いいですね。愛知県よりも名古屋の方が有名
みたいですが、名古屋のあるのは尾張で織田
信長や、豊臣秀吉の故郷でもあります




徳川家康が生まれた岡崎があるのは、愛知県
東部にあたる「三河(みかわ)」で、尾張と
違う国でしたから人の気質も、文化も違って
いたりもします。更には岡崎などの西三河と
豊橋などの東三河といったように分かれますし
奥三河という岐阜県寄りの区分もされます




尾張の人は見栄っ張りで利に聡い、短気な
商人ぽい気質なら、三河は辛抱強く堅実で
おっとり頑固な農民気質って、信長&秀吉と
家康の性格そのまんまのような気も。この
石像はしかみ像といいます




浜松の三方ヶ原での戦いで武田の大軍に大敗し
多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れる
ことが無いよう「徳川家康三方ヶ原戦役画像」を
描かせたのですが、それを元にした石像です




「われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。
われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を
守れり。 われ志を得てのち油断大敵この四字を
守れり。」神君だけあって家康が残した言葉は
どれもが心に響きそうである




家康は能が好きだったそうで、二の丸があった
場所に建てられた本格的な屋外能楽堂もあった

家康は「宝の中の宝といふは人材にしくはなし」
との言葉も残しているが




信長などは戦いで破った相手の武将などは容赦
なく殺してしまうが、家康は敵方であった武将
らも助けて、自分の配下としたそうだ。流石に
人材こそが宝。出自の悪い秀吉は信頼のおける
家臣を作るのに大変だったが、家康には苦労を
共にした三河家臣団がいたから、天下が盤石と
なったのかも




若かりし頃の家康、「松平元康」の像だそうだが
彼を支えてきたのが「三河武士」たちで、三河衆
とも呼んでおり、三河国時よりの家康の家臣らで
忠誠心が強く、江戸幕府の創業は彼らの貢献なし
では出来なかった




彼らは譜代大名となり徳川宗家を支えていく訳で
あるが、中でも有名なのが本多忠勝。平八郎かも
しれない。彼は徳川四天王のひとりで、信長には
「花も実も兼ね備えた武将」、秀吉に「日本第一
古今独歩の勇士」と称賛もされた戦国武将だ




この像では鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍蜻蛉切を
携えています。その奥には家康の出生から天下統一
までと、それを支えた三河武士達をわかりやすく
紹介してくれる「三河武士のやかた家康館」です




勇壮果敢な平八郎は、徳川秀吉の懐刀として
映画やドラマなどでも登場するが、私が一番
印象的なのは大河「真田丸」の藤岡弘、さん
かなぁ~。生涯において参加した合戦は大小
合わせて57回に及んだそうである




ところが、どの戦いにおいてもかすり傷一つ
負わなかったそうである。その名采配ぶりを
配下のものらは「忠勝さまの指揮で戦うと、
背中に盾を背負っているようなものだ」と
称えたそうだ




本多忠勝(平八郎)がなぜ、岡崎城でたくさん
紹介されているというと、江戸時代の後半には
彼の子孫がここの城主であった事と、出生地が
岡崎でもあったので。他の市町村であれば学者
芸能人などがならぶ出身者も、流石に家康公の
おひざ元だけに




徳川家康、本多忠勝の他に松平氏、細川氏
大久保氏、鳥居氏、板倉氏、酒井氏、渡辺氏
青山氏、内藤氏、水野氏、蜂屋氏、大須賀氏
植村氏といった名だたる武将、大名などや
あの服部正成(服部半蔵)も、岡崎出身だ




顔出しパネルの本多忠勝公の横にいる
のは娘の稲姫(小松姫)で、真田丸では
真田幸村の兄の信之の正室として登場を
したので、覚えている方もおいでいなる
かもしれない




この婚姻は徳川方と真田氏を結ぶものとして
家康の養女として信之に嫁いだそうだけど
こんな逸話も残っている。ウィキペディアより

>小松姫が家康の養女であったとする話の中に
>婿選びの逸話がある。家康が若い武将達を
>列座させて小松姫の相手を選ばせたところ




>家康を前にして委縮している中で、小松姫が
>平伏している一人一人の髻を掴んで面を上げ
>させて吟味していたところ、髻に手を差し
>伸べられた瞬間に信之は叱咤して、鉄扇で
>小松姫の顔を打った。小松姫はこの気骨に
>感動して信之を選んだといった伝承がある




そんな勝気な稲姫がのんびりと、令和の
世の岡崎城で散策をされていた。武将隊の
メンバーは、徳川家康の他に徳川四天王の
酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝と
稲姫で、交代で岡崎公園で記念撮影や案内
などをしており、週末には演舞もあるとか




酒井忠次は徳川四天王、徳川十六神将のともに
筆頭で、家康第一の功臣とされている。家康の
父の松平広忠に仕え、竹千代(家康)が駿府へ
今川の人質とされた時には、最高齢(23歳)で
同行して以来、家康の配下として主な戦いには
全て参加をしている




大河「おんな城主直虎」で、イケイケな若武者で
あったのが井伊直政で、最初は外様であったのが
江戸期には譜代大名の筆頭となった為、三河衆に
妬まれた事も。徳川四天王。徳川十六神将、徳川
三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた
功臣であった




武田氏の旧臣約120人が配属をされた際に、武田の
赤備えの将であった山県昌景の意志を継ぐという
意味合いもあり、直政は兜や鎧をはじめ装備を赤色
で統一させた。赤色だと目立つので、戦さの最中に
どこに自分の部下がいるのか直ぐわかるからだとか



徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられる
榊原康政は、13歳の時に松平元康(家康)の小姓と
なり、三河一向一揆鎮圧戦では初陣を果たし、家康
から武功を賞されて「康」の字を与えられた。武勇
では本多忠勝に劣るが、部隊の指揮官としての能力
では、忠勝に勝り井伊直政に匹敵するとされている




ともなると他の武将も気になるので、徳川十六神将
なども名を挙げてみると・・・酒井忠次、本多忠勝
榊原康政、井伊直政の他には、米津常春、高木清秀
内藤正成、大久保忠世、大久保忠佐、渡辺守綱、
蜂屋貞次(または植村家存)、鳥居元忠、鳥居忠広
平岩親吉、服部正成、松平康忠(または松平家忠)




まっ、ようわかりませんですが、家康一人で
徳川幕府を樹立したわけでもなく、彼を支えた
沢山の人たちの手で勝ち得た勝利と言う訳で
早朝に、大河ドラマ「葵 徳川三代」の再放送
ご覧になっている方は、あ~いたいた、とか
なるのかな




なんかすごいです。既に20年近くも前の
作品になるんですが、特に女性陣が映画
みたいな重厚感あって。山田五十鈴とか
岩下志麻、小川真由美、草笛光子という
ベテラン陣が品があるというか。圧倒を
されます。江守徹の三成はちょっとジジ
むさいような・・・(こそっと)




浄瑠璃の語源ともなった御伽草子の「浄瑠璃姫
物語」では三河国矢矧(今の岡崎)の長者の娘
浄瑠璃姫が、奥州へ向かう途中の牛若丸と恋に
落ち、叶わぬ恋に悲観をして菅生川(乙川)に
身投げをしたという話ですが、岡崎城の脇には
ひっそりと浄瑠璃姫の供養塔がありましたよ




岡崎の出身で世界的な地理学者の志賀重昂氏が
テキサス独立戦争のアラモの戦いと、戦国期の
三州長篠城の戦いが似ていると、感銘を受けて
岡崎と長篠の石を使っ、大正3(1914)年
サンアントニオ市アラモ砦史跡の一角と、ここ
岡崎公園にアラモの碑を建立したそうです




なんでもアラモの砦から援兵を求めて、友軍の
下に走った青年ボナムが、武田の大軍に取り
囲まれている状況下の長篠城を、脱出をして
岡崎城の家康に危急を知らせた鳥居強右衛門の
両者の「強い使命感」に、東西の別はないと
感動して建碑を思いたったのだとか




鳥居強右衛門は夜陰に乗じ城の下水口から川を
潜って武田軍の包囲網を突破し、無事に岡崎城に
たどり着いて援軍の派遣を要請をした。織田の
援軍も岡崎城に到着しており、連合軍は長篠へ
向けて出発する手筈となっており、強右衛門は
この朗報を長篠城の味方へ伝えようと戻る途中で
武田軍に捕らえられてしまった




取り調べで、織田と徳川の援軍が長篠に向かう
事を知った勝頼は、援軍は来ないから諦めて
城を明け渡すよう、偽の情報を伝えるように
命じた。長篠城の見通しのきく場所へと引き
立てられた強右衛門は、間もなく援軍が来る
から持ちこたえるよう城に向かって叫んだので
勝頼は部下に命じ強右衛門を殺してしまった




ところが強右衛門の報告のおかげで、援軍が
近いと知った長篠城の城兵らは、強右衛門の
死を無駄にしてはいけないと奮い立ち、援軍が
到着するまで武田軍の攻撃から城を守り通す
事が出来た。信長は、強右衛門の最期を知って
その忠義心に報いる為、立派な墓を建立させた
そうである




「忠義護邦家の碑」の忠義は、名のごとくで
あるが、邦家とは国家の事だそうだ。日露戦争
直後の明治39(1906)年に建立されたそうで
山県有朋が書したとの事だ




「鎮魂の錨」は、今までの海戦のものである
とは思うけど、どういったものなのか詳しくは
わからなかった。城は戦いの為のものであって
そこでは沢山の兵士らの命も奪われてもしまう
やっぱり、戦いのない平和な国であればよいの
だけど




小瀧喜七郎は、かつて岡崎藩士であった家に
生まれ、日清・日露戦争に従軍をした。明治
41年に岡崎町役場の書記となり、行政面で
手腕を発揮し、昭和8年には第四代岡崎市長に
就任をした。助役時代より岡崎公園の修築や
改修に力を入れた為、公園助役、公園市長の
異名をとった人物




竹下景子さんは尾張名古屋の出身ですが、NHK
朝ドラの「純情きらり」で主人公の母親役を演じ
他の演者と共に手形が、舞台となった岡崎に今も
残されている




そんなこんなの岡崎城と、岡崎公園はいかが
でしたでしょうか。今回の訪問ではうかつにも
龍神神社の境内にあった竜神の井戸を見て
こなかったのが残念です。またリベンジします

でも家康が能を舞うからくり人形は、見る事が
出来ました




そして今は使う人も殆どいなくなったであろう
お城の公衆電話は今も健在です




自動販売機も葵の御紋。家康仕様ですし
お城の真横を通る国道1号の歩道橋にも
葵の御紋がきらびやかに




徳川家康が江戸へと下ると、豊臣方の田中
吉政が岡崎城に入城し、城下の整備を行い
矢作川に初めて橋をかけ、東海道を城下へ
引き入れた。外敵から城を守るように道を
幾度も曲げさせた二十七曲がりが作られた




         令和元年6月4日に愛知県岡崎市で撮影

       ブログの日記更新を先にさせていただきましたが
       皆さんのブログには、本日&明日中に伺わさせて
       いただきます

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最終更新日  2019年08月30日 16時25分25秒
コメント(64) | コメントを書く
2019年08月23日
カテゴリ:愛知、三重の旅


​そういった訳で、息子が単身赴任で岡崎で
暮らすようになって、早3ケ月が経とうと
している。なんだかんだで月に1度は娘と
顔を出しているのだが




引っ越し初日に、息子は家から荷物を
運んだレンタカーで旦那と家に帰って
後から自分の車で岡崎入りをする事に
なっていたが、私はガス開栓の設置の
立ち合いをする為に、一晩泊まった




無事に電気、水道、ガスのライフラインも
整ったので電車で家に帰る前に、折角だし
岡崎市の観光をして行こうと思い、行った
先は「岡崎城」。岡崎は前に数度は来てた
けど、岡崎城の観光は実は初めてだ(と
思ったら2007年に登城してた)




1993年に再建された「大手門」は高さ11m
幅16.4m、奥行6.3mで、石垣には地元産の
御影石を使用し、入母屋造り。本来は現在の
浄瑠璃寺の南にあったそうだ




江戸幕府時代には岡崎城は「神君出生の城」と
して神聖視されており、家格の高い譜代大名が
歴代の城主となったそうだ。神格化された君主
との事から徳川家康が東照神君として有名だが
源頼朝は鎌倉神君であるそうだ




もともと神々の子孫である天皇は、神君と
名乗る必要はなかったそうである。中国や
東アジア地域では王朝の建国者を「高祖」
「太祖」「神祖」などとして廟号をおくり
信仰の対象としてきた




江戸幕府を開いた神君家康公は、「権現様」
とも呼ばれて信仰され、「神祖」、「烈祖」
などとも称されていたそうだ

ウィキペディアの記事を引用させていただく




>三河国の土豪である松平氏の第8代当主・
>松平広忠の嫡男として天文11年12月26日
>(1543年1月31日)寅の刻(午前4時頃)に
>岡崎城 にて誕生。母は水野忠政の娘・於大
>(伝通院)。幼名は竹千代(たけちよ)




>3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主と
>なった水野信元(於大の兄)が尾張国の
>織田氏と同盟したので織田氏と敵対する
>駿河国の今川氏に庇護されている広忠は
>於大を離縁。竹千代は3歳にして母と生き
>別れになる。




>天文16年(1547年)8月2日、竹千代は数え
>6歳で今川氏への人質として駿府へ送られる
>こととなる。しかし、駿府への護送の途中に
>立ち寄った田原城で義母の父・戸田康光の
>裏切りにより、尾張国の織田信秀へ送られた




>だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、
>竹千代はそのまま人質として2年間、尾張
>国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。
>2年後に広忠は家臣の岩松八弥の謀反に
>よって殺害された。今川義元は織田信秀の
>庶長子・織田信広との人質交換によって
>竹千代を取り戻す。




>しかし竹千代は駿府に移され、岡崎城は
>今川氏から派遣された城代により支配
>された。 墓参りのためと称して岡崎城に
>帰参した際には、本丸には今川氏の城代が
>置かれていたため入れず、二の丸に入った。




>天文24年(1555年)3月、駿府の今川氏の
>下で元服し、今川義元から偏諱を賜って
>次郎三郎元信と名乗り、今川義元の姪で
>関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶る。
>名は後に祖父・松平清康の偏諱をもらい
>蔵人佐元康と改めている。




>永禄元年(1558年)2月5日には今川氏から
>織田氏に通じた加茂郡寺部城主・鈴木重辰を
>攻めた、これが初陣であり、城下を焼いて
>引き揚げ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・
>伊保を攻めた。この戦功により、義元は旧領の
>うち山中300貫文の地を返付し、腰刀を贈った




>永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで
>先鋒を任され、大高城の鵜殿長照が城中の
>兵糧が足りないことを義元に訴えたため、
>義元から兵糧の補給を命じられた。しかし
>織田軍は大高城を包囲しており、兵糧を
>運び込むには包囲を突破する必要があった。




>そこで5月18日、鷲津砦と丸根砦の間を突破
>して、小荷駄を城中に送り込み、全軍無事に
>引上げた。翌19日、丸根の砦を攻め落とし、
>朝比奈泰能は鷲津の砦を攻め落とした。義元が
>織田信長に討たれた際、大高城で休息中で
>あった元康は、大高城から撤退。




>松平家の菩提寺である大樹寺に入り、自害
>しようとしたが住職の登誉天室に諭されて
>考えを改める。その後、今川軍が放棄した
>岡崎城に入ると独自の軍事行動をとり、早い
>段階で今川からの独立を果たそうとする。




といった訳で幼くして母と別れ、尾張国に
人質にされ、父も殺され、今度は駿河国に
人質にされて苦労の末、やっと岡崎城に
戻ってきた訳ですが、まだまだ苦労も絶え
ません。三方ヶ原の戦いでは武田信玄に
大敗を期し、信長の配下となり、秀吉を
称えて




天下分け目の関ヶ原で、大勝利をおさめ
大坂では真田幸村に本陣に攻め込まれた
事もありましたが、やっと家康が天下を
手に入れたのは、高齢になってからです
岡崎城天守をバックに、そんな家康公に
あやかった出世ベンチに座って、一休み




次はウィキペディアで、岡崎城について

>菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山と
>いう丘陵を利用して造られている。元は、
>龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代で
>あった西郷稠頼、そして、その子頼嗣が
>北方に対する防御として築城したもので
>ある。




>当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と
>呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平
>昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが
>岡崎城である。龍頭山はもともと小高い丘で、
>山頂に本丸が置かれた平山城として築かれて
>いた




>1531年(享禄4年)岡崎松平家を破った松平
>清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を
>整備して勢力を広げたが家臣の謀反により
>命を落とす(森山崩れ)。1542年(天文11年)
>城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。




>当時、櫓や門の屋根も茅葺で、当地は石の
>産地ながら石垣などもなく、ただ堀を掘った
>その土をかきあげて、芝を植えただけの土塁が
>めぐっていた。1549年(天文18年)松平広忠が
>家臣の謀反によって殺害されると、岡崎城は
>今川家の支城として城代が置かれ、山田景隆、
>三浦義保、糟谷備前らが城代を務めた。




>1560年(永禄3年):桶狭間の戦いで今川義元が
>敗死すると、松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は
>岡崎城を取り戻し、今川家から独立する。1570年
>(元亀元年)徳川家康は本拠を浜松城に移し、
>岡崎城は子の松平信康が入った。しかし、信康は
>謀反の疑いをかけられて自刃。以後、重臣の石川
>数正、本多重次らが城代を務めた




>1590年(天正18年)家康が関東に移封となると、
>豊臣家臣の田中吉政が入る。家康に対する抑えの
>拠点の一つとして、吉政は城を拡張し、強固な
>石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。
>また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の
>郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を
>通るように変更し、




>岡崎の二十七曲がりといわれるクランク状の
>道に整備され、現在の岡崎城の原型を造った
>本多康重から3代忠利にわたる改修によって
>平城となっている。この際、本丸に複合連結式
>望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が
>建てられた。




>存城当時の東海地方の城では3番目に数え
>られる規模であったが、1873年(明治6年)の
>廃城令によって廃城となった。城内の天守
>以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切の
>建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居
>曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を
>残すのみである




>敷地は龍城神社、岡崎公園として整備された。
>1959年(昭和34年) 鉄筋コンクリート造で
>天守が再建される。2007年(平成19年)材木町で、
>マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が
>見つかり、日本国内で4番目の規模の城である
>ことが判明した




> 三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した
>際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて
>天に去っていたという。以降、天守に龍神を
>祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と
>称したという。徳川家康が誕生した際にも
>金色の龍が現れたという。




>徳川家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀る。
>藩主本多忠粛により東照宮は岡崎城三の丸に遷座。
>本丸には本多忠勝を祭神(映世大明神)とする
>映世神社が創建、1876年(明治9年)に東照宮を
>岡崎城本丸に遷座、映世神社と合祀して龍城神社に
>改称する。社殿が造営される。




>1964年(昭和39年):社殿が再建される。
>このさいに天神地祇、戦没者を合祀した。

といった訳で、ウィキペディアの記事によって
徳川家康と、岡崎城についてコピペをさせて
いただきました




当時は 出産に際して、えなと呼ばれるへその
緒や胎盤などを埋めて祀ることで、その子の
健康を願ったとの事から、家康公のえなを
埋めたと伝えられる塚。もとは本丸南に
あったものを、今の場所に移したそうだ




岡崎城内で生まれた竹千代(徳川家康)の
産湯に、この東照公産湯の井戸の水が
用いられたそうだ




現在でもこの井戸の水を汲み上げ、浄水設備を
通したあと触れることができるように、井戸の
すく隣で常時流れている




こっちは二の丸御殿の井戸




その説明です↑




東隅櫓について、ウィキペディアによると

>2010年(平成22年)3月、東隅櫓が再建
>された。望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階
>建で、入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を
>務めた本多氏の家紋立ち葵が刻まれた本瓦
>葺き。壁は白漆喰塗り。




>高さ約9.4メートルで、かつて東曲輪だった
>岡崎公園駐車場の南東角に位置する。1781年
>(天明元年)の「岡崎城絵図」を基本資料と
>しているが、東隅櫓の図面は現存しなかった
>ため、愛媛県松山市に現存する同時代の松山城の
>野原櫓などの形式を参考にして、江戸時代の
>工法を忠実に再現し建設した




>城内で発掘された石材を使い、空積みの石垣も
>築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの
>城壁と合わせ、総工費は約1億円。年中無休で
>内部を公開している。




やっぱ当時の工法で復元をしているので、見応え
あるなぁ~。ところで岡崎城があるあたりの地名
だが、愛知県岡崎市康生町(こうせいちょう)と
いって、江戸期は岡崎城の郭内であった




1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、岡崎
康生町となったが、やはり家康の生誕地であった
為に名付けられたらしい。




最後に、岡崎城のある岡崎公園は日本さくら
名所100選に選ばれているそうなので、来春
にはお花見に行けたらいいな




8月にビル越しに岡崎の花火を見た広大な
広場はここでした。何せ家康公のお城だけ
あり中身が濃いので、後半に続きます。次回
姫も登場します




         平成31年6月4日に愛知県岡崎市で撮影

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最終更新日  2019年08月24日 10時48分03秒
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