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殿上人日記

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2010年05月28日
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カテゴリ:愛知、三重の旅

      清州城5

  織田氏は系図上は桓武平氏流と自称をしているが、実際は
  越前国の織田庄(福井県丹生郡越前町)にある織田剣神社の
  神官の出自であるといわれている


 清州城6

  敦賀の豪族である藤原有仁の一族の藤原信昌、藤原兵庫助将広
  父子が越前織田家の先祖ではないかとも言われ、実際に信長も
  自らを「藤原信長」と称した事もあるそうだ


      清州城12

  越前国や尾張国の守護を務める斯波氏の配下となり、尾張国へ
  移住をして尾張守護代となった織田氏は、斯波氏に代わって
  戦国大名として勢力をつけ、尾張上四郡を治めた岩倉織田家と
  尾張下四郡を治めた清洲織田家に分裂をし対立を深めた


      清州城17

  清洲織田家が岩倉織田家と抗争を繰り広げる中で、それを
  補佐するべきはずの同族である、清洲三奉行家(藤左衛門家、
  因幡守家、弾正忠家)が台頭し、主家をしのぐ始末であった


  清州城3

  その中でも、尾張南西部を支配する勝幡城主である弾正忠家
  織田信秀は、今川氏豊の居城であった那古野城(名古屋城)を
  奪取し、愛知郡(名古屋市)に勢力を拡大し、西三河や、美濃
  までにも触手を伸ばす有様で・・・


      清州城15

  わずか2歳にして那古野城主となった、織田信秀の嫡子である
  吉法師(信長)は奇矯な行動が目立ち、主筋である清洲織田家の
  清洲城に数騎で火を放つなど、尾張の大うつけと称されていたが
  信秀が没した為に若くして家督を継くことになった


      清州城16

  ところが清洲織田家の織田信友は、信長の弟である織田信行の
  家督相続を支持し、信長謀殺計画を企てたのを、名ばかり守護の
  斯波義統が事前に信長に密告をした為、織田信友は怒りに任せ
  斯波義統を殺害をしてしまったのだ


 清州城11
      
  息子の斯波義銀が信長を頼ったのをさいわいに、尾張守山城主で
  叔父の織田信光と協力をし、織田信友を謀反人として殺害た為に
  清洲織田家は滅亡し、信長は那古野城から清洲城へ本拠を移し
  岩倉織田家を討ち、斯波義銀を追放し、尾張国を手に入れたのだ


      清州城4

  そんな信長様の清州城に行ってみようと、まだ春浅き頃に
  出かけたのだが・・・・・リニューアルの為に臨時休業だった
  (今なら、リニューアルをした城も見えるでしょう)


      清州城7

  仕方がないから、城外にいる敵を討つ為に鉄砲を放つ
  「鉄砲狭間(てっぽうはざま)」から、中をうかがう
  
  ちなみに、この城は新幹線で名古屋を過ぎた頃に間近に
  見ることが出来るので、よくお知りではないだろうか  


 清州城10

  尾張国の中心に位置し、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し
  中山道にも連絡する交通の要所として、長らく栄えた
  清州であったが、関ヶ原の戦いの後に徳川家康の九男の
  徳川義直が入城して後


 清州城14

  ちょうど四百年前の慶長14(1609)年に、徳川家康によって
  清須から名古屋への遷府が指令をされた為に、清須城下町は
  名古屋城下に移転(清州越し)され、清須城も名古屋城築城の
  資材として利用をされ、廃城となった

 
      清州城13

  清洲城の資材を使った、名古屋城の御深井丸西北隅櫓は今も
  残っており国の重要文化財に指定をされている。また愛知県
  尾張旭市にある良福寺山門は、裏門を移築したものだそうで
  清洲城の障壁画は、名古屋市にある総見寺に移されているとか


 清州城8

  歴史の中に埋もれてしまった清州の城跡もまた、時の流れと
  共に開発によって大部分は消失してしまい、東海道本線と
  東海道新幹線によって分断をされてしまい、今では本丸の
  土塁の一部が残っているのみだ


      清州城9

  東海道本線の南側の城跡(清洲公園)には、信長の銅像があり
  北側の城跡(清洲古城跡公園)には、清洲城跡顕彰碑があり
  城址の脇の五条川の護岸工事で発掘された石垣の一部も
  復元をされていた

  今の天守は平成元年に旧清洲町の町制百周年を記念し、城跡に
  隣接をする清須市清洲地域文化広場内に建設された模擬天守だ


      清州城2

  斎藤道三と小見の方(明智光継の娘)の間に生まれ、信長の
  正室である「濃姫」とは、美濃国出身の高貴な女性という
  意味からだそうで、帰蝶(きちょう)というのが本名だとか

  信長を本能寺で討った明智光秀とは、従兄妹同士という説も


 清州城18

  最後に、フィギュアスケート選手で織田信長から数える事
  17代目の末裔である織田信成が、「清須越四百年事業」の
  PR役として、清州城の名誉城主となった 


 エアポートウォーク名古屋1

  中部国際空港(セントレア)が開港された事で、長年の間
  名古屋と世界を結んでいた、名古屋(小牧)空港の国際線
  ターミナルビルが閉鎖をさてたので、その広大な建物は
  100店舗以上が入る大型複合商業施設に生まれ変わった


 エアポートウォーク名古屋6

  そこかしこに、国際空港の雰囲気も残したアレンジが面白い


 エアポートウォーク名古屋4

  一日中ここにいても飽きない感じで、家族でまったりと
  週末を過ごすのもいいかも 


 エアポートウォーク名古屋2

  うちの場合は食事に寄ってみたが、何を食べるか悩む


 エアポートウォーク名古屋3

  屋上のスカイデッキからは、県営名古屋空港を発着する
  民間の飛行機や、滑走路を共有をしている航空自衛隊の
  小牧基地の軍用機も見物できる


 エアポートウォーク名古屋5

  なによりでかいウルトラマン。子どもが小さかったら
  喜んだろうなぁ  


      清州城1

          平成22年2月27日に愛知県で撮影

 





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最終更新日  2010年05月28日 19時58分35秒
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