臓器移植に関して
私は昨年“臓器提供意思登録”なるものをしました。--脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも--自分の死をまじかに感じる体調になったためであり、もしもの時に何か少しでも人の役にたてるなら、と言う想いだったからです。しかし、“脳死は人の死ではない”という声も聞こえてましたがあまり深くは考えませんでした。昨夜、最近富に感動してる、出口王仁三郎が興した宗教法人のHPを見てみましたら、やはりそのような内容の文がありました。下の文以外、もっと詳細なことが言われてると思いますが、とりあえず、私は--心臓が停止した死後--に変更する手続きを行いました。やはり、生死は霊的観点に立たないとわからないものだ・・・私が臓器移植をする可能性はほとんどないと思いますが、一つの心がけ、みたいなものですね。今後、また新たな情報を得て考えが変わるかも知れませんが。「いのち」を守るために(生命倫理問題)二十世紀後半の生命科学は、遺伝子解明に伴う技術が急速に進展しました。その反面、生命の尊厳が冒され、人の命がモノ同様の扱いを受けて、人為的、機械的に操作されるようになりました。こうした生命科学の暴走に対して、いち早く警鐘を鳴らしたのは四代教主でした。まだ生きている脳死患者からの臓器摘出は、明らかに殺人行為であるとして、平成九年の臓器移植法施行以降、本格的に脳死・臓器移植反対運動を始めました。大本の霊界観から見て、「脳死は人の死ではありません!」と訴え、八十七万を超す反対署名を集めました。これが移植推進を抑制する大きな力となりました。この脳死問題だけでなく、命の始まりである受精卵を破壊するES細胞研究やクローン技術の最先端技術に対しても、「生命の尊厳」を守るよう、大本本部は繰り返し国に要望してきました。受精卵研究やクローン人間の作成は、「命は神からの賜りもの」という大本の生命観から見て、明らかに「生命の尊厳」を冒すものです。大本が生命倫理問題について積極的に意見を表明してきた実績が評価され、平成十四年には内閣府の生命倫理専門調査会に招請され、発言できる場を与えられました。また、死刑制度にも反対しています。これは刑法の目的はにあり、復讐的であってはならないとの教えに基づくものです。また大本の霊界観から見ても、犯人の生命を奪うことは真の解決にはならないと見ています。生きてざんげし、生きているあいだに自ら悔い改めなければならないと考えています。国会議員でつくる「死刑廃止推進議員連盟」からも、宗教界を代表して大本が招請され、「死刑は復讐的で愛善精神に背反する」という聖師の言葉などを発表し、死刑廃止の主張を行いました。他教団や外部の専門家とも生命倫理問題等の交流の中で、他宗の教義をお互いに学び、共通点を語りあって、手を携えていくことが叫ばれています。大本は、生命の尊厳を基調とする人類社会構築のために、国内外の宗教者や専門家と協力し、「生命倫理研究所」(仮称)設立をめざし、「命の尊さ」に関して世界をリードする発信源となるよう努めています。「15歳未満の脳死臓器移植」に対する声明4月12日、日本臓器移植ネットワークは、関東甲信越地方の病院に入院していた10代前半の男子が脳死と判定され、家族が臓器提供を承諾し、法的に脳死と判定されたと発表しました。これにより、国内初となる15歳未満の脳死臓器移植が行われました。脳死臓器移植は、一人の人間の死を前提として他の人の疾病を治療するという特殊な医療行為です。ドナー本人の基本的人権や自己決定権は慎重に配慮されねばなりません。大本は、これまで「脳死は人の死ではない」と主張し、脳死からの臓器提供に強く反対し、多くの国民にも訴えてまいりました。さらに近年、脳死と診断された小児の内の20%が「長期脳死」となることが分かり、必ずしも脳死になれば、遠からず心停止による死を迎えるとはいえず、脳死の定義、科学的根拠さえ揺らいでいます。大本においては、本来人の死は、これまで通り心臓、肺臓の完全な停止に加え、瞳孔散大をもって判断する三兆候死とし、各自に宿る精霊が、その時をもって肉体から離れると理解しています。さらにこの度の臓器提供には、本人の意思確認の手続、家族が提供を決断するまでの経緯や救命処置のあり方等についての情報開示において透明性がまったく欠落しております。このあり方が、脳死と診断された後も成長し続ける「長期脳死」や、虐待された小児の生きる権利を脅かすものであってはならず、それらのあり方について厳正かつ明確な法的措置を講ずることを強く求めます。私たちはそれらのことを、今後も政府関係機関をはじめ多くの国民に訴え、いのちの尊厳が守られる社会の実現に向けて努力していく所存であります。以 上おほもと