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住んでいるのは和歌山でも奈良県そのものは近いもんですね。
京奈和道という無料の高速道路があるおかげで、飛鳥辺りは簡単に行ける場所になりました。 近鉄沿線で撮影する一方で何となく立ち寄ったのが飛鳥寺、日本最古(609年)の仏像がある寺です。 土門拳さんのようには撮れません。 ちなみにこの寺では仏さんの撮影はOKです。しかもお寺の駐車場は30分以内なら無料です。ちなみに寺のそばにある駐車場は有料ですのでご注意を。 この仏像が特徴的なのは鼻が高く顔も面長な点、東南アジア辺りの仏像と顔立ちが似ているところが仏教伝来の歴史を感じさせます。 奈良時代に入った頃には仏様も鼻の低い横長な感じの顔つきに変化しています。 飛鳥寺が建立された頃はちょうど蘇我氏全盛の頃。聖徳太子もいた頃ですか。 まぁ個人的な考えですが、聖徳太子は実在の人物だったのか?私は聖徳太子の行ったとされる功績は蘇我氏が行ったのではないかと思っています。 蘇我氏本家が滅亡し、藤原氏によって日本書紀という改竄された歴史書が造られた時、厩戸の皇子という戸籍上の人物を聖徳太子に当てはめたのかな・・と。 歴史上まともな死に方をせずに後々祟るぞって人は後世の呼び名に「徳」を付けて「祟らんといて」と祈る歴史がありましたので、もしかすると聖徳太子もそうだったのかもしれませんね。 飛鳥寺近くにある談山神社は藤原氏を祀る神社で、このように入鹿さんが殺されてる絵が描かれています。 蘇我氏も権力者として我儘な部分はあったのでしょうが、片方が善で片方は悪といった判りやすいことでも無かったと思いますね。 乙巳の変(昔は大化の改新と習っていました)がどんなものであったのか、タイムマシンがあれば見てみたい歴史のベスト3の一つです。(残り2つは本能寺の変と坂本竜馬暗殺です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年05月27日 22時40分14秒
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