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我が家にセキセイインコの「ぴぃ太」が来たのは2005年の9月でした。
とても良くしゃべり、いたずら好きで、 家族の皆から愛され…特に妻と長男は溺愛していました。 当時のブログ(まだ私も若かった!!)からも、そんな楽しさが伝わって来ます。 http://plaza.rakuten.co.jp/tokozei/diary/200512160000/ http://plaza.rakuten.co.jp/tokozei/diary/200604210000/ http://plaza.rakuten.co.jp/tokozei/diary/200608110000/ 長男の大学受験の時には… 妻「もしぴぃ太に何かあったら…、あの子絶対に受験は失敗しちゃうよ!?」 私「そ、その時は、カインズか何処かで同じようなインコ買って来てごまかすしかないだろう!!」 妻「バッカじゃないの!? あんたと違ってあの子がそんなことに騙されますか…」 なんて真剣な会話をしたのを思い出します。。。 5月のある日、私が仕事から「ただいま~」と帰ると、 妻のかつて聞いた事もない程元気のない「おかえり」が…。 妻の部屋に入るとベッドで横になっており動きません。 私「どうした?具合でも悪いの!?」 妻「ぴぃ太が死にそうなの…」 見ると、妻の傍らにはぐったりしたぴぃ太が一緒に横になっていました… そういえば、誰かが帰ってくると「きゅい!きゅい!」って 元気よく出迎えるのに鳴き声がしませんでした。 妻「今日、急に具合が悪くなってるのに気付いて、 獣医さんに行ったんだけど肺癌とか肺炎で危篤だって。 聴診器を当てると呼吸困難気味になっているし体温も低下してるから、 手のつけようが無いって薬もくれなかった。。。(泣)」 「胸の筋肉も無くなってて羽ばたく事も出来ない筈だって。。。(泣)」 「ホントに良くなついている子ですね!?って慰めてくれたけどね…(泣)」 私「 … 」 可哀想で何も言えませんでした。。。 妻「1日でも生きられるように、出来る限りの事はするから協力して!!」 昔、文鳥やインコは飼った事がありましたが、 大体気づくとカゴの中でもう死んでいたりしていて、 小鳥の儚い命をどうやったら救えるのか想像もつきませんでした。 それから、家族の…特に妻と長男の涙ぐましい看病が続きました… 体温調節が出来ずぐったりしている ぴぃ太に添い寝(首の付け根あたりに乗っけて)して 妻は自分の体で温め続け、もちろん食事もとれない為、 脱脂綿に砂糖水を染み込ませたりしたものを舐めさせたりして、 外出の予定も控えたりしていました。 なんと6月に入ってもぴぃ太はまだ生きており、 そればかりか…暫くなら止まり木でじっとしている事が出来る (体温調節は出来ないので鳥用ヒーターを点けてました)ようになり、 私には奇跡としか思えませんでした。 ただ…、気付くと止まり木から落ちてカゴの底にうずくまったり横になったりしており、 どう考えても今日死んでもおかしくない状況でした。。。 ぴぃ太が鳴かなくなって…勿論おしゃべりもしなくなって1か月以上も経っていたと思います。 そして7月のある日… 妻が掃除機をかけて、私の横を通り過ぎました。 気付くと肩にぴぃ太が当たり前のように、ちょこんと乗って、どや顔で私を見ています(笑) そうなんです!! 死ななかったんです!!! ぴぃ太は元気になりました♪生きているんです♪♪ 本当に「愛は小さな命までも救う」と感じました。。。(´▽`*) 「ぴぃちゃんかわいいねえっえっえっえっえっ!!」と、おしゃべりも復活しました♪ ただ…、もともと飛ぶ事が苦手だった(だから胸の筋肉が無かった???)ぴぃ太は、 完全に飛ばなくなりました。基本的に歩きます(笑) まるでヤンバルクイナかニワトリです…(;^ω^) 距離を移動する時は、鉄人28号の肩に乗る正太郎少年の様に、どや顔で偉そうにしています。 それから、妻と長男の愛情が注がれた結果、 今まで以上に甘えん坊(爺)になった事は言うまでもありません。。。 新井英俊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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