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5年前(2017年10月) 私は ロシアツアーに参加していた。
ロシアに入国するためには ビザが必要なのです。
今まで 何度か 海外旅行しましたが ビザを取得したのは 初めてでした。
パスポートに ビザが 貼られています。
最初に ロシア第二の都市 サンクトペテルブルク市の観光でした。
現地ガイドの K氏は60代半ばの人で 日本語が堪能で ユーモアもあり いかにも日本が好きという感じだった。
「ロシアのカラスは 灰色です 黒ではありません」おぉ 確かに灰色をしていた。
泣き声は わからなかったが ロシアに来た 異国にいる と 思った。
国境に面する フインランド湾は 過去に いくつかの大規模な海戦が起きていた。
ピョートル大帝の夏の離宮からフインランド湾を臨る。確かに 異国は近いのです。
2日目は プーシキンにある女帝エカテリーナ2世の夏の離宮を見学した。
私は 毎日 日経電子版を 読んでいたので 最新のニュースは 日本にいるのと変わりなかった。
K氏に 日経電子版に記載されていた 「サンクトでの デモンストレーションがあったので 今日の予定が変更されないか心配しました」と言ったら
K氏は そのニュースを 知らなかった。
ロシアでは デモのニュースが流れていないようで 彼は 信用してくれなった。
そして 西側は いつも 嘘の ニュースを流すと 少し 怒っているようだった。
まずい 気配を感じつつ 個人的にお願いしていた スタバに入った。
私の目的は お土産に頼まれた スタバの タンブラーを購入することなのです。
ロシア仕様と サンクトペテルブルク仕様と 分けて 10個 抱えて レジに向かい 精算した。
K氏は レジの 若者と 何か 会話をしていた。
そして私に 「今日は 安心して・・・ 観光は 続けられます」と 言った。
翌日 モスクワに入った。
モスクワのガイドは Mさん モスクワ大学を卒業して 日本への留学を経験のある可愛い女性だった。
「私はソ連で生まれました、 弟はロシアで生まれました」と笑顔で笑いを誘ったけれど。
なんとなく 笑えない 悲哀を感じた。
ソ連は 1991年12月25日に崩壊しました。彼女は 現在 28歳だった。
赤の広場は 思っていたほど広くはなく テレビで知っている ロシア軍の行進ができるとは思えなかった。
歴史は 勝者が自分の都合に合わせて書くことは普通なのでしょうが。
21世紀 嘘のない 事実に基づく情報で構成されたプロパガンダを残してほしい
迫害された 八端十字架は ソ連時代に 戻りたいのだろうか・・・・
今こそ 声を 揚げるべきではないだろうか
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Last updated
2022.04.17 13:35:51
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