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カテゴリ:つきみ
終わりについて。生の終わり。
今日の記事は内容がいくらか重くなると思う。 最近知った言葉にフリーズドライ剥製なるものがある。 文字通りフリーズドライ製法の剥製の事。 何を剥製に? 旅立ってしまった愛する家族であるペットを、である。 剥製として残す・・・結構な衝撃を受けてしまった。 勿論フリーズドライなんて画期的という驚きでは無い。 製法なんて普通のだろうがフリーズドライだろうがどちらでもいい。 私のイメージでの剥製は動物園とか博物館での展示の為の物。 もしくは狩猟者の方の成果を残す為の物といったところ。 それが一般の家庭のペットを剥製にする。 そしてそれなりの需要があるから事業として成立する。 この記事は書こうか書くまいか少し悩んだ。 少し前に娘に私の死後の事について軽ーく話をした事がある。 火葬したら火葬場で遺骨全部処分してもらって持ち帰らない事ってできるのなか?と。 娘は当然 何で?と聞いてくる。 だって入れる墓もないなら遺骨、ずっと持ってなきゃいけないし。 もし結婚して子供もいるならその遺骨、怖がるかもよ? そう言ったら娘は・・・ ママのママの遺骨だから。 ママのママがいなければ あなたも生まれてこなかったんだよって話すよ。 そう言ってくれた。 涙が出そうになるくらい嬉しかったがやっぱり置き場には困るだろうなと言うのが正直なところ。 こんな考えの私なので先代のうさぎも庭に埋葬した。 たとえ引っ越す事になったりしても後悔しない覚悟はあったから。 今頃は土となっているだろう。 庭が無かったら多分火葬後ペット用の協同墓地に入れてもらったと思う。 いつまでも手元に・・・という気持ちは充分理解できる。 そうしたい方はそうすればいいと思う。 飼っていた動物を愛する気持ちは飼い主皆同じだから。 ただ、形が違うだけ。 私は遺骨も、ましてや剥製なんて手元に残しておく事はきっとしない。 私がその子たちの事を思い出せばすぐ近くに来て慰めてくれると信じてるから。 体だけ残っても命の温もりのない剥製は見る度辛くもなりそうだし。 「つきちゃんまま腰治ったよ」「よかったね」 にほんブログ村 ↑ ランキング参加中。クリックお願いします。 押してくださった方へ ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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