カテゴリ:日本の政治と政治史
クロニクル 政治犯・思想犯2500人釈放
1945(昭和20)年10月4日 この日、GHQは日本政府に「人権指令」を発し、 (1)天皇に対する自由討議 (2)政治犯・思想犯の即時全員釈放 (3)特別高等警察(略称特高)など思想警察の全廃 (4)治安維持法など、人権を抑圧する弾圧法規の撤廃 の4点を命じました。 この指令から感じ取れることは、敗戦を受け入れた政府がそのまま生き残り、国民の中から旧支配に替わる新しい政府を模索する動きが、この時点でなお、生まれていないという事実です。なるべく旧制度を残し、将来復活する際の足場を残したい旧勢力の思惑だけで、全てが動いており、本来それを阻むべき日本国民の主体的動きは見られず、GHQという占領勢力によってしか、旧秩序の破壊は進まなかったという事実です。 私はここに戦後日本の民主主義の弱さが集中的に表現されていると考えています。一面では戦時中の思想犯弾圧の徹底で、反対勢力が根こそぎにされていたことも事実でしょうが、少なくともポツダム宣言受諾=敗戦の受け入れを知った時点で、反戦の志の故に投獄されていた思想犯、反政府の政治犯の即時釈放を求める運動すら、起こせなかったことには首を捻ります。 8,15以後の獄中で、哲学の俊英三木清は獄死していますし、名著『東洋における資本主義の形成』の著者で、歴史学の羽仁五郎(夫人は自由学園の羽仁説子氏)氏は、「敗戦を知ってから、毎日いつになったら、迎えに来てくれるのかと、首を長くして待っていたが、遂にGHQが出ても良いというまで、誰も来なかった」と胸中の無念を獄中記に書いています。 別稿でフランス革命を書いていますが、「自由や人権は自ら戦いとるものであり,自らの力で守るものである」という事実にはお気づき戴けていると思います。年金問題や医療問題の混乱も、国民皆保険のシステムが、国民の強い要求で実現したものではなく、政治の側の論理で与えられたことによる弱さの現われの面も(従来の監視の目線の弱さ、請求書類の煩雑さに対する改善要求の欠如等)あるように思われます。 日本民主化の一歩は、国民の要求によってではなく、GHQの命令として実現したことを示す一齣でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.04 13:44:33
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