カテゴリ:日本史
クロニクル 源頼朝征夷大将軍に
1192(建久3)年7月12日 古い事になります。825年前になります。源平の合戦を制した源頼朝は、鎌倉に根拠地を構えて、武家政府の体裁を整えはじめると共に、京都の朝廷の実験を握る後白河法皇に対し、征夷大将軍への任官を強く求めました。しかし後白河法皇は、武家政治の樹立を念願する頼朝の狙いを察して、これを認めませんでした。 この年、後白河法皇が病を得て亡くなり、短時日の内に、朝廷内の後白河派は一掃され、この日行なわれた新たな人事の一環として、頼朝は念願の征夷大将軍の地位を手にすることが出来たのです。 ここに頼朝は、名実共に武家の棟梁となり、鎌倉幕府体制はここに一応の完成を見ることになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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