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ザビ神父の証言

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2018.01.01
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カテゴリ:日本史
クロニクル 天皇の人間宣言発表

1946(昭和21)年1月1日

72年前になります。この日、天皇の神格化を否定する詔書、いわゆる人間宣言が発表されました。

若い方には、なかなか信じられないことと思いますが、明治の中盤以降(20年代後半の日清戦争後頃から)の日本では、天皇を現人神(あらひとがみ)と信ずる気風が色々な仕掛け(内容後述)によって、広く国民一般に浸透していました。そうした天皇信仰とでもいうべき現実を、天皇自らが否定して見せたのです。

詔書は「私と国民との間の紐帯は、常に相互の信頼と敬愛によって結ばれているものであって、神話や伝説によって結ばれているものではない。また天皇を現人神とし、国民を他民族に優越した民として、わが国の世界支配を当然なる天命とするが如き、架空の観念に基づくものでもない」(口語は拙訳)として、自ら現人神であることを明確に否定したのです。

ここで少し歴史を振り返ることをお許しください。明治前半期の日本では、民衆の間に天皇の神格化は見られず、天皇は徳川将軍に代わる支配者程度に位置付けられていました。民衆は、徳川300年(正確には268年ですが、長いことの代名詞として、当時は300年と表現していました)の将軍家の支配ですら、最後はあっけなく倒れた現実を、驚きと共に一種の感動をもって意識にとどめていました。そのため、自由民権期の激化事件の中で、最大の民衆闘争となった秩父事件では、蜂起した農民達は「天皇陛下と戦うから加勢しろ」と、周辺各地区へ強力な呼びかけを行い、大量動員に成功していくのです。彼等は、徳川300年の支配ですらああも簡単に倒れた。ならば20年に満たない明治政府の支配など、もっと簡単に倒せるだろうと考えたのです。

事実を知らされた山県、伊藤ら当時の政府首脳は戦慄します。そこから彼等は、天皇の神格化の必要を感じとり、先ずは軍人教育を本格化します。ここに明治15年に発表されていた軍人勅諭の本格的利用が始まります。兵士となった男たちには勅諭の全文暗誦と、勅諭への絶対服従が義務付けられたのです。そしてより若いうちにと、当時4年間だった義務教育を利用しようと、明治23年に教育勅語が発表され、男女を問わず小学生に勅語の暗誦を義務付けたのです。少し強い言葉を使えば、将軍様を絶対視する現在の北朝鮮以上の洗脳教育を、若い世代に施したのです。

明治中盤以降、昭和の敗戦までの日本の義務教育で最も重視された科目は、修身と国史(歴史)でした。修身は勅語の徳目を噛み砕いて教え、摺り込むための時間であり、国史は天皇と天皇制の歴史を摺り込む時間だったのです。そこでは神話が平然と事実とされ、一方で知られると都合の悪い南北朝対立や壬申の乱のような天皇家の醜い争いは、知らせてはならないと隠蔽されました。こうして先ずは、現在では実在を否定されている神武以下の神話上の人物から現天皇までの歴代天皇の名を、幼い子供達全員に暗誦させたのです。

余談ですが、お身内に昭和9年頃までにお生まれになり、戦前・戦中に小学校教育(明治40年に、義務教育年限は6年に延長されています)を完了された方がおられましたら、「おばあちゃん(或いはおじいちゃん)、歴代天皇の名前、覚えてる」と聞いて見てください。最近の記憶がまだらになっていらっしゃる方でも、かなりの名前がスラスラと出てくるはずです。昭和8年生まれの私の姉もその1人です。

話しを戻します。先ずは義務教育で、次いでは軍隊で(これは男性に限る)の天皇神格化教育は、こうして明治20年代なかばまでに本格化したのです。その効果は日清戦争後から少しづつ現れ始め、日露戦争の勝利(それは不完全な勝利に過ぎなかったのですが、国民には大勝利とのみ発表されました。また、国際的には、大国ロシアと対等以上に戦ったことで、日本の立場は大いに向上しました)によって、一挙に国民の間に広まったのです。

こうして、明治30年代後半からの日本では、天皇=現人神説は民衆の間に広く浸透していたのです。兵士は勿論、最後は竹槍での本土決戦まで覚悟させられた国民も含めて、天皇=現人神説は疑う余地のないものになっていたのです。

それゆえ人間宣言は、天皇のために戦い、天皇のために不自由を忍び、天皇のために死を覚悟した人々にとって、大きな衝撃となりました。しかし、衝撃は一時的なものに留まり、民主的な憲法を積極的に評価して、象徴の地位に甘んじることを是とし、平和主義を高く評価して、平和の使徒として貢献しようとする天皇の姿勢は、天皇の戦争責任の問題を曖昧にしつつも、次第に広く国民の支持を集めるようになっていったのです。

安倍内閣にも歴史の重みを、正しく汲みとって欲しいと思うのは、私だけではないように思っているのですが……

元日ということで、少々長いクロニクルになりました。お許しください。本年もどうぞよろしく。








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最終更新日  2018.01.01 23:37:03
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