|
カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
~東照宮~
上野東照宮は思ったより凄かったのでこちらはもっと凄いんだろうと期待。 ほぉ。鳥居は小さいね。なぁ~んて。 へ?これだけ? 説明もなんもないの?あっそう…。 しかもなんだか建てたばかりの様にぴかぴかだ。 あ、案内板ありました。 芝東照宮は、以前は増上寺安国殿と呼ばれ、「江戸名所図会」にもその姿が見られる。明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、東照宮となった。 (案内板より) そうなのか。当時は東照宮とは言わなかったのか…。 どこでもやたらと思うことだけどこの「神仏分離」「廃仏毀釈」コレのせいでどれだけの貴重なものが失われたか…。 ええい、うらめしいぞ。 このイチョウは寛永18年(1641)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。 それが本当なら300年くらいか。品川寺の600年には負けるけどいやいや立派なもんだよ。 ~増上寺~ 芝公園4-7-35 ~大門~ 総門・表門。 元は江戸城の大手門だった高麗門を移築していたが関東大震災で倒壊しかかり、両国・回向院へ移築。 しかし空襲で焼失 現在のは昭和12年にコンクリートで作られた。 なぁんだ。 ここからもう東京タワーがすぐ見えます ~方丈門~ 増上寺の方丈(庫裏)の表門であったので方丈門とよばれ、また全体が黒漆塗であったために黒門ともよばれた。 四脚門で、建造年代を明らかにする棟札などの記録は見出せないが、江戸時代初期の特徴を示す様式から十七世紀後半のものと推測される。 蟇股には唐獅子や牡丹が浮彫されていて、精巧で写実的な図柄は近世の建築彫刻の特色を示している。長年の風蝕のため、古色をおびているが、桃山建築の豪華さのおもかげがうかがえる。 (案内板より) 黒門?黒漆塗だったの?これが? …もったいないなぁ。こういうのは復元しないのかしら? 蟇股?どれの事だかわからなかった…。 ~本殿~ 後に東京タワーを背負って良いね ~鐘楼堂~ この大梵鐘は延暦元年(1673)御殿山で椎名伊予守によって鋳造されたもので東日本で最大だそうです。←日本一は西日本にあるのね 江戸三大名鐘のひとつで江戸庶民に親しまれ多くの川柳を生んでいる。 (案内板より) え~っ三大名鐘がチガウ 待て。椎名伊予守って石町の時の鐘のヒトだぁ。 でもさぁ、ここからすぐのところ切通しと呼ばれたところに「時の鐘」があったんだよね。 あっちでもこっちでも鳴らしてたらどれがどれだかわからないんじゃ…? 鳴る時間が違うの?←一日中どっちかの鐘が鳴ってうるさいんじゃ…あわわ。 ~水盤舎~ 清揚院殿(家光の三男甲府宰相綱重)の御霊廟にあったもの。 水盤舎はお参りする前にこの浄水で口をすすぎ手を洗い、心身を清めるもの。 空襲を逃れ現在地に移築された。霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつです。 (案内板より) う~ん。なかなか広いけどきれいになっているので歩きやすいです。 観光客と思しき外国の方々もちらほら。そしてご同業な感じのデジ取り捲りの方々がちらほら さて次はいよいよ御霊廟。 ← → お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年11月06日 00時58分58秒
コメント(0) | コメントを書く |
|