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テーマ:読書(8198)
カテゴリ:本日読了
2023/05/05/こどもの日、筍のウラ年
〈DATA〉 小学館 / 著者 山田風太郎 2002年8月20日 初版第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈昭和21年1月から12月末までの日記。1行で終わる日、長く綴られる日混在。印象に強く残ったのが、借りた傘が持ち去られた顛末にみる山田青年の意外?な生真面目さと敗戦後の振興宗教女にたたられる朋輩小西氏の顛末を描く筆の妙、冴えて日記逸脱。女性に対する蔑視あれど、そこに至る母恋に同情も覚え。欠乏にあって日々の食べ物日々の読書、克明。世相早くも雨後の筍の如く屋台闇市メチル混在の怪しい酒、田舎へ田舎へと買い出し溢れる人びと。知人製造の糊の行商に徘徊する東京市中に今の東京風景を重ね、当時からの忘れ物を夢想する。〉 この本の口絵に、山田風太郎氏がタバコをくゆらせている写真がある。 片方の目は前方を鋭く見、片方は気弱げに過去を眺めいるような風貌だ。 そこはかとなく寂しげである。 その裏側に医学専門学校時代のエリート青年、やや文学寄り、な姿から随分遠くへ来たではないか。 無茶苦茶な戦争、敗戦前の凄まじい空襲。 焼け出されて日用品どころか食べるものがない。 頼る人を失くした幼い浮浪児の群れ、乞食に身を落とした老人の群れ、 猛烈なインフレ、田舎と都市の食糧格差、栄養失調、人心の荒廃、大陸からの引揚者 手のひら返しの新聞報道、権威の失墜、昨日鬼畜米英、今日カムカムエブリボディ 日本の歴史の大転換。あれから間も無く78年 山田風太郎24.5歳。敗戦からまだ5ヶ月足らずの現在を生きていた記録だ。 大切に感じたところなどを引用する。 P26〜27 1月16日付け 「今の日本の新聞は何処の国の新聞か分からない。今の日本の壇上で叫ばれる口、今の日本の紙に書きなぐられる筆は何処の国のものか分からない。 寂しい。寂しい。あんまりひどい。あんまり惨めだ。 戦争が正しいとは思わない。それは人間の悲劇だ。しかし人類は戦わねばならない時がある。戦うべき時に戦わないのは、更に恥ずべきである。神の目から見たら「戦うべき」時などはないであろう。戦争の口実は許されないであろう。しかし吾々は神を相手に戦ったのではない。アメリカ人を相手に戦ったのだ。アメリカ人が悪いから戦ったのではない。しかし日本も悪いから戦ったのではない。戦いはそれ自身は「悪」であろうが、戦う人間は互いに「悪」を超越している。戦うべき戦いを戦って、吾々は敗れた。「悪」のせいではなく「力」のせいである。 そうして吾々はこの前途に全く光のない暗黒の惨憺たる日本に生きている。聞こえるものは飢餓のうめきと「戦争犯罪人」への罵倒と、勝利者への卑屈な追従の声ばかりだ。」 P107 〜 3月6日付け 「吾々は「知る」権利がある。「知る」結果は幸か、不幸かそれは知らない。(自分はちょっと暗澹たる気持ちになる)しかしともかく可能なる限り知らねばならない。月は女神の住む天上の鏡だと信じて疑わなければ幸福であろう。しかしそれは地球の衛星の一つで日中は焦熱地獄、夜更は八寒地獄の断崖絶壁の岩石の大塊であると、もし事実がそれを示したならそれは知らねばならない。それをイヤでも美玉であると信じさせようとするのは人間の尊厳に対する罪悪である。 天皇制がそれである。吾々は先ず知らねばならぬ。歴史的真相を、人格的真相を。ーー知ってなお尊敬出来たら幸せである。月はその本態を知ってもその美観は人間の魂の中にレベルを落とさない。天皇制もそうであったら幸せである。しかし、ーー天皇は月のごとくそうであるだろうか? 親友松葉との会話は続く では君は神なら拝むか?と松葉はいう。 神も信じない。少なくとも今のような人間の形 をした神を、今までのような気持ちでは拝まな い。 世界はだんだん神を失ってゆくのだろうか?と 松葉。 今までのような神は失われてゆくだろう。しかし 宗教は残るだろう。すぐれた人は、自らの神、 心の神によって自ら動く。トルストイの基督は 文字通りトルストイの神であったごとくにだ。 松葉は更に世界の人間がコスモポリタン的になるのか問う。百二百年の近い将来は無理でも千年以内にはそうなるだろうと応える山田青年。この世界融合をイヤでも実現せしめるのは科学である、と。 考えてみれば日本人が天皇制に熱狂しているのは、くだらないことである。それは第一義的の問題ではない。これからの教育の第一義的なものは生徒を「人間」に育てるということだ。偏らぬ、自由な、世界的なものの見方をするように、そういう性格を育て上げるということだ。 世界が次第に一つになってゆくにつれて、今の日本人の好むと好まざるとに拘らず、天皇制は人間の批判的精神に耐えなくなるだろう。それはやがて崩壊するであろう。 P223〜 5月31日付け …抜弁天より電車にのりて、万世橋より一つ手前にて降りる。廃墟の草原の中を上る坂道の右に焼け残れる神田明神の青き屋根見ゆ。宮本公園を見れば ジャガ芋畠となれり。 昭和18年、ここは樹木美しく涼しき小公園なりき。 19年には池が出来、ドイツ人夫婦が散歩する姿も見えたが、先だっては崩れた煉瓦コンクリートの柱に夏草が覆い、今や芋畠になった、と。 風景の目まぐるしい変わりようを今また吾は見る。 P310〜 9月13日付け 生来絵が好きで、絵ばかり描いて中学生で天才とさえ言われたが今では描かなくなり。剣道は中学で選抜されたが、これも4、5年時には、専らサボりで、剣の字を聞けば胸が悪くなる平和論者になったが、その頃より文学に興味が芽生え、小説みたいなものを書き出し、受験誌に当選し嬉しがっていたが、これは今でもちょいちょいくだらぬもの考えてなぐさんでいるが、これも滑りはじめて、自分は結局、何の趣味もない、また自分の職業にそれほどの愛着もない凡々たる「お医者さん」になるらしい と感懐しているが、11/14日記で『達磨峠の事件』の原稿代920円を得ている。当時叔父から月150円ばかりの、もっともカツカツの送金であったから、新人とはいえ、まあまあの稿料であったろう。 沖電気勤め以来身内のような高須さんのにわか商売を手伝いつつも、右から左に移して金子を得るようなことは自分には出来ない、と断言し、はて何で食っていくかの分かれ道がこの敗戦の翌年であったのだなぁ。 そして、日記は女性への偏執的蔑視を羅列した上に、冬に向かうに連れボリュームが薄くなる。 P388〜 12月30日付け 小西哲夫よりハガキ来る。朝鮮人なら切符買える由、高須氏、朝鮮人連盟の知人に頼みて証明書2枚貰い来たり。余夕、経堂駅に買いにゆけど買えず。 十三章「注意」読。 にて了。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.05 09:49:06
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