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テーマ:東北地方(みちのく)(349)
カテゴリ:旅日記
2023/08/26/土曜日/昨日はドームで巨人阪神
8/19 ツイ習慣で6時半には目覚めて、ホテル内の、昨晩とは違う温泉に浸かる。本日夕方からは花輪のお囃子、その前にあちこち訪ねるらしい。 流石に出発は11時 朝食前にホテル前の堰き止め湖、御所湖辺りを散歩する。 ↓ 地図に登場するシオンの像 この像は舟越保武による。昨夜の秋田美人を思い出すようなすらりとした美しさ。 そういえば長崎に出かけた時に26聖人記念館の前を歩いた記憶がある。 あれは舟越さんの作品だったのか。26番目殉教者、フランシスコ吉が彼のお父様の顔に似てしまったことなどを先日新聞で読んだ。 ↑フランシスコ吉のスケッチは、そのまま息子さんの作品のよう。 朝からとても暑かったが、心地よい散歩の後の朝食では念願の尾花沢スイカをぱくつく。 バスは定刻に出発、東北だけど朝から暑い。 行き先は角館、ああ憧れの。 ここで2時間ばかり過ごすらしいけれど、一体2時間でお昼も済ませて何が見られるかしらん。 結局、青柳家敷地内でお昼も済ませ、角館の短い滞在はここで尽きた。 3000坪の敷地に幾つも棟があり、樹齢400年になんなんとする屋敷林があり、公開されてあるものだけでも一つ一つ丁寧に見ていけば一日かかるかも。 ところで、青柳家のルーツが武田甲州の武器方家臣であった記述を邸内で見たように思うが手元に資料がない。 パンフレットで確かめられるのは角館を町割した芦名氏に仕えた後、徳川家康によって常陸から当地秋田に減封の上お国替えされた佐竹氏に仕えた、とある。 もっとも「万葉の昔から こがね花咲くみちのく と謳われ、ことにその中心地秋田への転封」←『菅江真澄 みちのく漂流』より。 であれば、みちのく転封を逆手に、青柳家の解体新書記念館、すなわち武器に必要な資源である鉱山の豊富な山を入手、武器を造る技術武士集団青柳家を支配して、東北での優位を佐竹氏が諮ったのかもしれない。 ところで『解体新書』の挿画家である 小田野直武 は青柳家の血筋とか。平賀源内は当地を訪れ、直武の絵描きの才能を評価し、江戸に呼んだのである。 なぜ平賀源内が角館にやって来たのか。 それは阿仁銅山の粗銅を精錬して銅から銀を抽出する技術を佐竹藩が欲したからという。その背景をやはり『菅江真澄 みちのく漂流』で旅すがら読んだ。 青柳家の解体新書記念館には、さりげなく 阿仁銅山の鉱石の実物が展示されていた。 阿仁鉱石は何も語らない。 しかし関ヶ原で西軍につき転封、減封の250年の恨みを深謀遠慮の佐竹氏なのではないか。 東北諸藩が幕府方につくのを尻目に官軍側に従った秋田藩の軍資金は、阿仁銅山がもたらした銀と銅の莫大な利益なのだ。 200年400年はほんの瞬き、でござる。 武家屋敷の畳に端座する、侍う主が仄かに見ゆる。 ↓集合場所に戻る道で気になる建物 表にまわると、素晴らしい面構え 学問を旨とした質素で清潔な佇まい。 今は縁側で秋田民芸を展示、商いの方が手仕事をされていた。 バスではガイドさんが、秋田は三方を険しい山に阻まれて、他地域からの影響を受けることが少なかったことや、山々の話をしてくれる。 また東北三大まつりプラス山形花笠音頭について 秋田竿燈祭りの由来を聞く。 昔、秋田の殿様が凶作を心配するあまり病に臥された。そこで民衆は殿様を元気付けようと竿灯を黄金に稔る稲穂に見立て元気付けた、とか。 民の竈から煙が上がらぬとオロオロ歩く為政者は今の日本国に見出し難く。窓外の雨を見ながら眠りこける。 休憩地の田沢湖辺りでは豪雨。 ガイドさんも添乗員さんもあちこちの雨雲レーダー検索を照合しては伝達 何しろ今夜の花輪囃子が…どうなる⁈ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.08.27 14:21:43
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