難船小僧(S・O・S BOY) 夢野久作
ドグラ・マグラでおなじみの夢野久作の怖い話です。精神病の患者は出てこないので、彼の作品の中では比較的読みやすいかと思います。ここは昭和2年ごろの10月の末、上海の港である。郵船アラスカ丸の機関長である主人公「おれ」は、陸上で聞いてきた妙な噂を船長に打ち明けた。今回の出発に向けて船長に雇われた給仕係の少年・伊那一郎は、乗る船が毎回海難事故を起こすことで有名な「難船小僧」だという。小柄で黒髪のいがぐり頭で女性的な顔立ち。西洋人から好かれ、船に乗るごとに高級船員に身体を売り、大変な儲けを得ていたそうである。しかし小僧の乗った船で、沈まなかった船は一艘もないらしい。はじめに乗ったバイカル丸はジブラルタル海峡でドイツ軍の魚雷に当たり沈没し、少年は命からがら漂流していたボートに乗り、一命をとりとめたらしい。次の船、第二丹洋丸はスマトラ沖でエムデン(ドイツ海軍のドレスデン級小型巡洋艦)にアッパーカットを食らわされて沈没したが、少年はちょうど新式救命機の着こみ方のモデルにされており、そのまま海に飛び込んで助かったそうである。そのほかにも2~3艘の大きな船を沈ませ、短時間乗った木葉船も間違いなく沈めてきた。今回は運よく神戸でエンプレス・チャイナ号のAクラス・ボーイとして紛れ込んで上海まできたところ、少年を以前から知っていた西洋人の船員が発見し、船を降りたいといって大騒ぎしだした。思わず船の事務長が少年を追い出そうとするが、食堂の柱にかじりついて離れなかったので、下級船員は寄ってたかって少年を拳銃や鉄棒で小突きまわしてはがし、桟橋にたたき出した。少年が青地に金モールのエンブレス・チャイナの給仕服のまま税関の石垣の上で泣いていたところ、そこを船長・・・あなたが拾い上げてここに連れてきたので陸の酒場や税関でもっぱらの噂になっていて、他の船員からも少年をおろすよう説得されて今ここに来ました。今のうちに降ろしてみたらどうか。と。結論から言って、船長は迷信を信じず、数学と物理法則を愛する合理主義者だった。機関長による船の検査の結果をきき、噂を笑い飛ばすと、伊那一郎を呼び寄せてバナナを切らせ、紅茶を飲んでいた。氷山のように無表情の大男と南洋顔の美少年。なぜこんな正反対の男が同じ場所にいるのか。それは異様な光景だった。バナナを切り終えた少年は白い皿を持ち、クルリとこっち向きになって頭を下げた。その瞬間、おれの頭を憐みを乞うようにソっと見上げた。それから恋人に出会った少女みたいな桃色の悩ましげな微笑みを一つ、ニッコリとして見せたので、ゾっとしてしまった。少年の背後の暗闇から魔物のような妖気が襲いかかってきたようだったのだ・・・。少年の人形じみた愛嬌顔が不気味でいてもたってもいられなくなり、おれは機関室に帰った。屈強な男達のしかめ面を眺めるほうが、今では幾分ましだったのだ。機関室に帰ると、下級船員達の少年への憎しみと怒りが、想像以上に膨張していることがわかった。なんと船員の中の一人は、少年をばらして海に捨てようと提案する者もいる始末だった・・・。と、まあ、この話はあまりにも怖いので、最後まで書くのはやめておきます。この話はホラー話の中でも、いろんな怖い要素が入っているので、この小説のどの部分が一番怖かったのかは、本当に意見が分かれると思います。一言では語り尽くせない怖さなのでここで私がハッキリと予告しないほうが良いと思いました。あえて挙げてみると、ひとつは海難という、海で遭難する怖さ。しかも北極に近い寒いところの荒い海です。もうひとつは、船という密室のなかで、無愛想でコミュニケーションの取れない船長から与えられるプレッシャーと、荒くれ船員たちの暴力的な要望に板挟みになる主人公である機関長の苦しみ。三つ目は難船小僧から出てくるなんともいいようのない負のオーラ。このオーラの正体はなんなのかという恐怖。四つ目は難船小僧そのものの恐怖。途中でどこにいるのかわからなくなって貞子のようになります。五つ目は伊那一郎から見た、この船の環境による恐怖と、実際に体験したことの恐怖。これは2回以上読まないと実感できない怖さだと思います。読む人の年齢、性別によっても怖さのポイントが変わるので、一家に一冊あるといいですね。青空文庫にも0円のKindleにもあるのでスマホからも是非。今年も残暑がしんどく、寝苦しい夜が続く予定ですので、眠れない夜のお供にオススメです。