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バス停地名学のすすめ

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2008.04.20
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カテゴリ:東大和市
(前回からのつづき)

貯水池下バス停では、都営と西武、そして旧芋窪街道を北上してきた立川バスのポールが仲良く並んでいますが、よく見ると立川バスだけはこの場所で芋窪のバス停名を使っています。私としては立川バスの命名を支持したいところですが、これでは青梅街道上に芋窪バス停が2ヶ所存在することになり、利用者としては紛らわしいことでしょう。といっても、立川バスは平日の朝3便のみの運行のため、都営と西武からすれば「大勢に影響なし」といったところでしょうか。

バス停の目の前からは、豊鹿島神社の参道が北へ延びています。その入口脇には、立派な火の見櫓が聳え、芋窪のランドマークとしての存在感を放っています。長い参道を歩いていくと、左手に大きなケヤキの枯れた幹が残されていますが、樹齢千余年といわれる御神木が昭和初期の頃の台風で折れ、空洞化した無残な姿に変わり果ててしまったものとのこと。現在は隣接して2代目のケヤキが枝を広げていますが、幹の太さは初代にはまだまだかないそうにありません。

長い参道を抜けると、木立に囲まれた豊鹿島神社の静かな境内が広がっています。『武蔵名勝絵図』によれば、慶雲4年(707)の創建とされる古社といいますが、特にこの神社の本殿については、平成5年の大改修で発見された棟札から、文正元年(1466)に造営されたものであることが判明し、都内に現存する唯一の室町時代の神社本殿といわれています。

貯水池下バス停に戻ると、やはり立川バスの芋窪バス停が気になります。そこで帰宅後にあれこれと調べてみると、このバス停が、昭和13年に当時の五日市鉄道が開業した立川駅~芋窪間の路線で初めて設置されたことが判明。バス停としてのルーツは[梅70]よりも先輩格であることがわかりましたが、発着するバスが一日3便では、影の薄さは如何ともしがたいといえるでしょう。

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最終更新日  2008.04.20 23:14:09
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