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カテゴリ:ちょっと考える
佐々木閑さんという人が好きである(また突然ですが)。
好きである、といっても、新聞で週一度のコラムを読んでいるだけなんですが。 あるときはなるほどと感じ入り、あるときはひどく共感し、 あるときは我が意を得たりとばかり喜び、 「そうです、そうですよね、私もずっとそう思ってたんです!」とか 「私もまさに同じ事を言ってきたんですよ、ほんとですよ!」となぜか無意味に主張したりとかして (もちろん実際に声に出してはいません、念のため)、 とにかくそのコラムは楽しみにしているのである。 夕べその欄を読んだあとでふと思いつき、この方の本とか何か情報が出てないかな~と ネットで検索してみた。で、何も考えず、一番上に出てたサイトをためしに覗いたのである。 「佐々木先生」をよく引用している方のようであった。 引用部を離れてちょっと読んでいくと、この人は入院しているらしいとわかった。 いますべて読む時間はないし、とりあえず一番新しいページに行ってみた。 男性の写真が出ていた。 ・・・なんということだ。 この方はすでに亡くなっていたのである。去年の夏に。 その写真は逝去後ご家族の公開した、いわば遺影だった。 このサイト自体も、闘病生活と自分の精神状態をつづりつつ、 似たような境遇の人たちに少しでも励みになれば、という思いで始めたものだったようだ。 佐々木閑さんの書くものに興味を持ったのも、 その人にすればもっと真剣で切実なところから出たのだろう。 最後のその写真は穏やかな笑顔だった。 なぜか御巣鷹の飛行機事故を思い出してしまった。 あのとき、落ちていく飛行機の中で、家族にあてて遺書を書いた人たちがいたと知って、 すごくずんときたのである。 あんなことは私には到底できないだろうなと思った。 今回も思った。 こういうことは私にはできないだろうな…。 でもその方のブログのなかに、 普通の生活をするように「努力する」というような表現が (正確な引用ではないかもしれない、すみません)あった。 「努力」なんて言葉を使ってしまいましたが・・・というようなことも書かれていたけれど、 やっぱり努力が必要なんだろうな。 努力すればできるかな。 無理だと思っても、そういうことのできる人を目指したい。 最後はちょっとマジでした。そういうのは恥ずかしいので、外していきたいんだけど、なんとなく。ま、たまにはね、ついね。 その方のことを私はまったく知らないが、でもご冥福をお祈りします。 その方は私にも何か授けてくれたのかもしれない。 --なんちゃってまた。恥ずかしいですね、マジなのはね。 でもこの際、ついでに… ここでは人のブログは一切紹介してないんですが(そのうちするかもしれませんが)、 その方のブログはThe Fourth Three-Monthsといいます。ご逝去後は更新されていない。 ついでついでに、ちなみに。 佐々木先生が書いてるコラムと同じ面に、週代わり的短期連載みたいなのがあって、 そこに先週出ていた人が、 どうしようもなく辛いとき(という表現だったかは忘れた)には、 「明日自分がもう生きていなかったら」と考えるのだと言っていた。 そう思ったら今の自分の悩みはすごく些細なことに思えてくる、と。これまた正確な引用ではないかもしれず、私の解釈による記憶かもしれないのだが。 しつこくついでに、先週の佐々木先生の「お題」は、 「生きる術」と「生き甲斐」は別ものである、ということだった。 前者の話もこちらも、むろん日常些細具体的なところになると、色々難しいわけですが。 でも指標にはなるよね。 なんてことを書くのは、ちょっと今週もまたビミョーに気が落ちている兆候だが。 浮かれたり落ちたり忙しいのである。だがそうです、浮かれていいのです。 でも死に方も考えよう、 と思ったりする、今日この頃でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.02 10:40:21
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