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カテゴリ:雑記
そもそも小説は楽しみたくて読むので(少なくとも私は)、処世訓やら助言やら求めて読みだす訳じゃない。 が、読んで救われることも確かにある。 「問題の解き方」に、まだ先があったのだ。三原則プラスα、さらにプラスΘ、である。 「問題の正体は、けっきょく一つの問題かもしれない」 父の言葉を聞いているこの主人公が小学校4年生、というのも凄いけれども (ちなみにこの主人公は「~だけど」とか「~が」とか言わずに、「けれども」を好む)。 べつべつではなくて、すべては一つの問題なのだ。 つまりは三原則でいったん分けて、また統合しちゃう。しかし、なんかこう、我が身を振り返って、納得したりするわけです。 ・・・が、 そういう悩みにも答えをくれる。まったく金言の宝庫であります。 つまり、「それでもわからないとき」には、 「わかるまで遊んでいればいい」、と。 素晴らしい助言。 「わかっていることと、安心することは、ぜんぜんちがうこと」 でもあるという。これは父じゃなくて小学生の発言。鋭いガキなんである。 仮説を立てるということは、信じるということとはちがうのだった。 そうかもしれない。それも納得する。が、となればとりあえず、まず仮説を立てるところまで行かなくてはいけない。 小学生に負けた。私はそこにも行ってないぞ。 まずはノートを買わねばいかんかもしれない。4年生にならって、方眼紙の。外国製の。 この少年とお父さんはノートが好きである。少年とお父さんはノートを買いに行くのも好きである。少年はいつもノートを持ち歩いていて、「問題」を書きとめる。そしてお父さんはメモの取り方も教授するのです。 いわく、 □ 大きな紙に関係のあることを全部メモする。 そして 大事なことは、紙は一枚にすること。それから、できるだけ小さな字で書くこと なぜかといえば、全部一目で見られるように、だそうだ。それを何度も眺めるうちに、あるとき突然つながる。 書いておくことの効用については、件の見城氏も言っていた(氏の場合には記憶力低下の救済法として、のようだが)。 私もノートは好きである。買うのも好きである。 そこから修正せねばであります。まず、またノートを新たに買う、と(多少間違った修正法にも思えるけれども) ・・・道は遠いようでした。 でも、 本当の本当に遠くまで行くと、もといた場所に帰るもの ――だそうだ。 FULL CIRCLEというわけで。大団円、と。 ん、でも、 私の場合、戻っていいんだろうかって、そういう気もしないではない。 さらにお父さんは、こうも言うのである。 「世界には解決しないほうがいい問題もある」 ――おお、そうか、よかった。 いや、それ、違うって お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.29 13:48:46
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