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『福島の歴史物語」。ただいま、「鉄道のものがたり」を連載しています。

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2007.12.10
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さまよえる神々                    

 

第54回福島県文学賞奨励賞?          2002/8福島民報社出版 売切れ

     さ ま よ え る 神 々

           不 思 議 な う た 

  私が六十歳を過ぎたにも拘わらず小説を書いてみようなどとおおそれたことを考えたのは、地方史に興味を持っていたこと、そして会社を整理してリタイアを果 たしたことにあった。 そして最初の小説「田村太平記」が活字になったのは、「同人誌・日通文学」に加入させて頂いて間もない一九九九年のことであった。 南北朝の時代に南朝方として、鎮守府大将軍・陸奥大介・北畠顕家に従って伊達氏や白河の結城氏と共に戦った(旧・田村郡守山町、現・郡山市田村町守山)守 山田村氏の盛衰を描いたものである。 ただ一九九九年に書いたとは言っても、自分としては決して新しい出来ごとではなかった。この小説を書こうとする伏線 が、実は四半世紀も前に起きていたからである。その伏線というのは、近所の整形外科医院の院長、浅木秀樹氏の話にあった。話はたまたま氏の出生地(郡山市 田村町御代田字雀宮)に及び、氏が子どもの頃、正月になると必ず近所の祠に若水を捧げて宇津峰山を礼拝したこと、南北朝時代に戦った将軍の末裔らしいこと を聞いてからである。

 その三十年も前のある秋の日、私は浅木氏と自分の子どもたちを連れて郡山市と須賀川市の境にある宇津峰山に初めて遊びに行った。そ の山は、思ったより急で高い山であった。ようやく頂上に着くと、村上天皇、亀山天皇、そして皇子を祀ったと言われる、高さ五~六十センチほどの小さな石の 祠が三つ並んでいた。その時は何故こんな所に天皇や皇子が祀られているのだろうか? そう思っただけであった。 その古戦場である宇津峰山の頂上から ちょっと下りてくると、湧き水があった。「福島の水百選」にも選ばれているきれいな泉である。それを見て私は、 ——なるほど、これだけの量の水が出れば、頂上に籠城してもある程度生活ができるな、と思った。

 さらに山道を下って行くと、子どもたちの胸にまで達するほど積もった枯れ葉の吹き溜まりがあった。そこで子どもたちは歓声をあげ、葉を蹴散らして遊んだ。

 麓に下りた私たちは御代田の雀宮に行ってみた。そこには、大きな木の根元に小さな祠が二つ、ひっそりと佇んでいた。そして行ってみて気がついたのはその 雀宮地区がわずか二十余所帯の非常に小さな街である、ということであった。それはまるで、往古、なにか大きな神社の境内であったのではないかということを 彷彿とさせていた。その時私は、宇津峰山と雀宮が栃木県の宇都宮市と雀宮町との語感に非常に似ていることから、なにか関係があるのではないかと興味を持っ たのである。

 次いで私は図書館へ行って地名を調べた。これについては、一九七〇年、小学館発行の大日本百科辞典の内容を記すに留めておく。
 宇都宮=下野国一之宮二荒山神社の一之宮から転訛。別当の
宇津宮大明神から出たとも言う。
 雀 宮=雀宮は、宇都宮(討つの宮)に対する鎮(すずめ)の宮の意で、怨霊を鎮魂するのだとも言われている。
 そこまでは調べたが、私は「なるほど、ふ~ん」でいつの間にか忘れてしまった。毎日の仕事の忙しいせいもあった。まだ若いせいもあったのかも知れない。

 このことについて再び調べはじめたのは一九九〇年の頃であったろうか。年を重ねていた私は、いつしか地方史の面白さにのめりこんでいた。そして会社の仕事の合間にそれらのことを調べていたが、地元の人にも忘れられた部分が多々あることが気になっていた。なんとかそれらを再発掘してみたい、そんな思いで調べ 書きはじめたのが「田村太平記」であった。それは、私がはじめて書いた小説らしきものではあったが、一九九九年に載せられた同人誌の「日通文学」を親類や 友人に若干配ってそれでおしまい、にしてしまったものであった。それもあって次に掲げる唄の存在については、「田村太平記」を書きはじめた初期の段階か ら知ってはいた。最初に参考にした「仙道田村荘史」に、次のような唄が出ていたのである。

  名にし負う
  雲水峰山の御社は
  中は村上
  弓手は亀山
  馬手皇子 (云々)

 当初私は、この唄は単純に村上天皇や亀山天皇、そして皇子のことを詠っているのだ、くらいのことしか思っていなかった。だいたい「云々」以下が省略されていたので、それ以上のことが分からなかったこともあった。そのためにこの小説が一応の脱稿を見た時には、まだこの唄について重きをおいていなかった。なぜならこの唄の意味がよく分からなかったこともあったし、 話の筋立てに特に関係があるとも思えなかったからでもある。それに調べた地域が、守山を中心とした宇津峰山の北部、つまり旧・田村郡という狭い範囲であっ たためか、この唄を知る人が全くいなかったこともあった。

 次いでこれに関連する文書を見たのは、大正四年発行の「田村郡誌」の復刻版の中であった。これにはこの唄の全文と思われるものが載っていた。それを書き出してみると次の通りとなる。

  名にし負う
  雲水峰山の御社は
  中は村上
  弓手は亀山
  馬手皇子
  祭る明王
  月夜田
  重ね石
  陣場や
  残る塩田や
  二ツ村
  星ケ城
  たふとさな
  なはよ
(ハヤシ) なんちょ なんちょ(南朝)

 私はこの唄の全文を知った時、「祭る明王」以降になにやら謎めいた、なにかものを隠しているような不思議な感覚に襲われた。「祭る明王」「月夜田」「重ね石」と続いていく文字のつながりは、妙に私の想像力をかき立てる単語の連続であった。これは尋常な唄ではない、そう思ったのである。

 ——いったいこの唄は何を意味しているのであろう か・・・。
 その疑問を追って[田村郡誌・復刻版一六九頁]を読んだ。?[伊達行朝事歴云、宇津峰三社の伝説を聞くに、昔此宇津峰宮、僧の某の命じて、大元帥明王の法を行なはしめ給ひしに、岩瀬郡川東郷、今の小山田村の地にて、「月夜田」、五里平と云う所にて修行したり、時に明王の燈、光明赫々として四方五里(六町一里)を照して月夜の如し、故に地名とす、時に康永二年・興 国四(一三四三)年なり、後明王堂を小山田の北(塩田村の明王重石と云う地)に移して礎石今に現存す、明王堂の主を鎮守山泰平寺といひ、其頃は宇津峰の社 壇をも此寺にて祭り居りしに後、又、堂も寺も田村郡守山の山中村に移して現存す]





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最終更新日  2010.12.30 22:38:00
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