甲板では船縁の手すりの一部を破壊し、船頭らの他に手伝える藩士全員が集まり、船の傾斜を睨んだ舟長の命令一下、一度に綱を切って大筒を海に落とした。大筒は一瞬にして大波の間に消えていった。しかし最後の一門のとき綱を切る時を計り違えたか、とまどったかのような動きを見せたが、幸い反対側の手すりを突き破って自ら海へ飛び込んでいった。平蔵にはその転がる鉄の塊が、大筒の最後のあがきにも思えた。
それでも船は、海にもてあそばれていた。突き上げられたように大波の上に乗ったと思うと、直ぐ海の底に引きずり込まれたように波の底になった。荒れ狂う海の底から、波の高みに乗った瞬間、その広がった視界に、仲間の船の一艘も見ることができなかった。
夕暮れになって、ようやく嵐が収まり、波も静まってきた。船頭が叫んだ。
「陸が見えるぞ! 東に陸が見える」
皆が甲板に上り、それぞれに指をさして喜び合った。
「これで助かった」
「いやぁ、よかったよかった」
しかし船に海水が溜まり、うねりもある中での傾いたままの航行で、不安が消えることがなかった。これにちなんで平蔵が思い出したのは、唐の猛郊に峡を出るときの言葉、「この広い天の下、地から出て地に入るような深い峡谷」という詩のことである。また宋の徐競の高麗録には「その舟を天に昇らせ、その高い波の上で傾ける」とあった。そこでは、「空の太陽のみが見え、前後の水勢に追われて波の底になると空が見えなくなってしまう」と言っていた。実にこの時の景色と全く同じであった。古人の観察眼に驚くと同時に、誰もが自分の親には、このようなひどい目に会わせたくないと思うであろう、と思った。
波が静まってきたとき、われわれと一緒に出港した筈の船のすべてが、どこへ行ってしまったのか影も形もなかった。
七月十二日、船頭たちの努力でようやく海岸に近づいたが、舵が壊れていた舟は座礁して船底が破れてしまった。それでも、これで苦海の航行が終わると全員が欣喜雀躍した。上陸したとき放心状態にあった仲間を何人か見て、ほとほと海は恐ろしいと平蔵は思った。
這々の体(ほうほうのてい)で上陸して地名を聞くと、於爾志加(オニシカ・留萌郡小平町鬼鹿=森林の中を流れる川の意)であるという。鬼鹿は南の松前まで百五十余里、蝦夷地の西海岸であるという。さいわい一人も失わず、兵器などの荷物、歩行かなわぬ病人等を船を待つために残し、ここより隊を二つに分けて陸行することとなった。北蝦夷地には雀、蜻蛉、なめくじ、大根、茄子が絶えてなかったがここに来てこれらを見、目の前が明るくなったように感じた。ここのアイヌ人は、中国語も操っていた。
全てを失い、着の身着のままであった藩士たちは、六里ほど南にある留留毛都覇(ルルケツハ・留萌=潮汐の静かな水面の意)を目指すよう教えられた。
一夜あけた十三日、まだ風は強かったが全員徒歩で出発した。しかし途中には道がない、というくらい険しく、右に海、左は天にまで届くのではないかと思うような岸肌が続いていた。嵐は去ったがその余波で、波が盛り上がってきて岩に当たって立ち上がり、砕け落ちる音が雷のように響いていた。歩く足元には丸い大きな岩や石が重なり、それが海水の飛沫で濡れて滑るので筵が数枚あればよかったのに、と思った。それにもし大筒も運んでいたら、この道は通れず、山回りの道を迂回せねばならなかったであろうと考えていた。平蔵は思わず、チラリと陣将・北原采女の顔を窺った。大筒を海に落としたときのことを思い出したからである。
この日平蔵は陣将と臣教とで行軍の最後尾についた。時季外れで空き家となっていた刀伊良都計(トウェラツケ・不詳))の鰊番屋で休息をとり、午後になってから再び出発した。正午からは炎熱となった。北蝦夷地の気候とは、まるで違っていた。
途中で熊の檻を見た。十一月にアイヌの風習としてイオマンテを行う。イオマンテとは蝦夷の送り儀礼のことである。言葉としては「イ(ものを)」+「オマンテ(送る)」という意味であり、単にイオマンテという場合、 熊のイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域では シマフクロウのイオマンテを重視する。イオマンテのときには檻を開いて熊を放し、輪になって七十本の矢で射る。そして泡を吹いて死んだ熊の肉を煮て客をもてなし、魂を祀って神とするという。アイヌ人の弓矢の腕はいいが、木弓、木矢のため皮膚の硬い動物を遠くから射倒すことが難しい。ただ、よく矢尻に毒を塗る。しかし北夷人は毒を使わない。シュシュヤでの動物の白骨を思い出した。北蝦夷地の人たちは橋を架けることを知らない。そのために濫觴(らんしょう)とは言え舟と櫂(かい)が必須である。ここへ来て、はじめて橋を渡った。
注・濫觴=盃があふれること。揚子江のような大河でも、その
水源は盃にあふれる程のささやかな水滴にはじまっている
という意。
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