文久元(一八六一)年、ロシアは、サンクトペテルブルクにおもむいた幕府の代表団に対し、北緯四八度線で北蝦夷地を分割領有するとの提案をした。日本側はそれに妥協をせずに帰国した。
「しかしロシアの武力は大きい。幕府としてもいろいろ苦悩するところであろう」
「御家老様。そう言ってばかりはおられません。私は北蝦夷地全島がわが領土と考えております。北方警備に参加した身として、幕府には協力に折衝してもらいたいと思っております。しかるにロシアは罪人などを北蝦夷地に送り込み、その警備という言い訳で兵士を派遣しています。そうして実効支配を強めた上で北緯四八度線を主張しているのでしょうが、このようにしたたかなロシア外交に対して、わが国としてどう対処していくべきか、考えさせられます。それに今度はニコライ・カサートキンという者が箱館のロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任し、布教をはじめております。宗教を利用して蝦夷地までもが取られるのではないかと考えると、気が滅入るばかりでございます」
文久二(一八六二)年、松平容保は正四位下・京都守護職に任ぜられた。この年、蝦夷地で病死した田中鉄之丞に代わり、藩の儒者南摩綱紀が藩領の代官として藩兵を率いて斜里の本陣に移り、余暇あるごとに領内を巡視して開拓を奨励するかたわらアイヌ人を集めて人倫を説き、『孝経』をアイヌ語に訳して教科の資料にしていた。この年には『坂下門外の変』や『生麦事件』が起きた。その十二月九日、容保は京都守護職として藩兵千名とともに江戸を出発、京都へ向かった。
──わしの考えが、杞憂であってくれればよいが。
戦火は、間違いなく近づいていたのである。
文久三(一八六三)年、『薩英戦争』が起きた。
「もはや一藩や二藩の問題ではありません。国を挙げて考えねばならぬのに、薩摩も血気に逸りました」
それを訊く采女の口は、さらに重くなっていた。そして十月、容保は『七卿落ち』などの政変で、孝明天皇に功を嘉賞された。
元治元(一八六四)年二月十五日、幕府は松平春嶽に京都守護職を命じ、松平容保は軍事総裁職に就任した。しかし四月六日、孝明天皇は幕府に勅を下し、信頼している松平容保を改めて京都守護職に復職させた。
七月十九日、北方警備に参加し、今また容保に従って京都に滞在していた有賀権左衛門満幸は、番頭一瀬要人隆智の目付として蛤御門を守っていたが、『蛤御門の変』で戦死をした。
「御家老様。北方警備の生き残りは私ども二人と、御家老の山川兵衛重英様の三人になってしまいました。淋しいことでございます」
「うむ。それにつけても、あのときの筆頭家老、亡くなられた田中三郎兵衛玄宰様のことが思い出される。田中様のご努力により成長したわが会津藩の経済力には驚くものがあった。あの当時に田中様は、長崎在留の清国人やオランダ人との貿易を試みるなど先見の明があられた」
「左様でございました。もし田中様がおられなかったら、現在のわが藩の行動力は大いに損なわれていたでございましょう。しかも、わが藩のみならずお国のお役に立てる経済力の基礎を六十年以上も前から作られていたことに、只、驚愕するのみでございます」
「うむ。しかし単に経済力とはいっても、これは毎年の生産力の拡大と継続による。たしかに天候に恵まれ、うまく運営できれば枯渇することはないであろう。しかし一寸舵を間違えると、大変な負債を抱えることになる」
「まことに。とは申されましても今次の京都での殿の大役、また伊豆の大島や壱岐の対馬を諸外国から護り、国土を保全するためには大きな覚悟と準備が必要だと思います。これらの出費を考えれば、わが藩の経済的先行きは決して明るくないのでしょうが、それにつけても田中様には、感謝の言葉を申し上げるのみでございます」
そして平蔵は、采女の前に深々と平伏して言った。
「私個人としても、わが最北の僻地の警備に参加出来たことを、わが身の、いえ、わが家の末代までの誉れと考えております」
この年には四国連合艦隊に下関が砲撃され、長州藩が敗退した。その上『第一回長州征伐』などにより、会津藩は幕末の状勢に深く関わりはじめていた。
──わが国の軍備はまだ成っておらぬ。ついに杞憂が、本当になってしまったか。
激動の中、翌・慶応元(一八六五)年十月二日、高津平蔵は病気のため亡くなった。八十一歳であった。そしてそれからほぼ二年後の慶応四(一八六八)年一月、鳥羽伏見の戦いが会津を巻き込んだ戊辰戦争に発展する。蝦夷地分担警備に就いていた藩士たちに対しても帰国命令が出された。この年の七月までに全員が蝦夷地から引き上げたと言われている。彼らの帰国もまた苛酷なものであった。正にそれは、あの北方警備の行われた文化五年の戊辰年から再び巡ってきた六十年目の戊辰の年であった。
(終)
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