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『福島の歴史物語」。ただいま、「鉄道のものがたり」を連載しています。

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2009.07.20
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終北録

           函館図書館のサイトより

田中三郎兵衛玄宰(たなか さぶろべえ はるなか)
  寛延元(一七四八)年~文化五(一八〇八)年 会津藩筆頭家老
 明和四(一七六七)年 破綻寸前の財政再建を任されていた井深主
            水がその不備を謝し、出奔。
 安永六(一七七七)年 玄宰は二十九歳で番頭を経て奉行となった。
 天明元(一七八一)年二月 三十四歳で若年寄に、またその十二月
            に家老に就任。
 天明四(一七八四)年 病もあって一時家老を辞した。
 天明五(一七八五)年 再び家老に復帰。
 天明七(一七八七)年 『天明の改革』を発表した。
 寛政二(一七九〇)年 京都より招聘した工人により、金粉・金箔
            の製法が伝授された
            塗師を問屋の下に置いてその育成に当たり、
            会津漆器の名を国に知らしめた。
 寛政三(一七九一)年 藩政に役立つ家臣団の育成を図った。
 寛政五(一七九三)年 町奉行に産業振興の専任官を置き、江戸の
            中橋に会津藩産物会所を創設し、江戸で国
            産品の多くを販売して多くの利益を得た。
            幕府の勘定奉行に請い、長崎在留の清国人
            やオランダ人と貿易を試みている。
 享和三(一八〇三)年 藩校・日新館を創設し、文武を大いに奨励
            した。
 文化四(一八〇七)年 漆問屋、株仲間、黒目漆器問屋など株仲間
            の再編を行った。この藩政改革は成功を収
            め、藩政も比較的安定化した。
 文化四(一八〇七)年 通商を口実として南下するロシアの脅威に
            備えるため、幕府は会津藩と仙台藩に蝦
            夷・北蝦夷警備を命じた。玄宰は自ら出兵
            の依頼を申し出たと伝えられる。
 文化五(一八〇八)年八月 没。六十一歳。
            遺言により小田山頂に葬られた。

◎高津平蔵(たかつ へいぞう) 
   天明五(一七八五)年~慶応元(一八六五)年 三五〇石
                       北蝦夷地派遣
   佐藤覚左衛門信庸の第四子。幼字は学、後に平蔵と称し名は泰、
  字平甫、溜川と号した。後、高津伝吾成良の養継子に入った。は
  じめ徂徠学を専修したが、藩命により安部井帽山、牧原半陶等と
  共に昌平校へ入学し、林述斎、古賀精里に師事して朱子学に切り替えさせられた。文化年間に韓国通信使が来日したとき、幕府の代表として師の古賀精里に随行して対馬へ行き、応接した。このときの『対州日記』の著書がある。文化年中、蝦夷地警備の任をもって該地に遣わされ、滞在九ヶ月、その勢況を撰して「終北録」、一名戍唐太日記を著した。藩の唐太出兵の唯一の記録である。また『新編会津風土記』の編集に参加して功があった。その他『溜陽詩史』や詩文集、雑記など著述があったが、戊辰戦争でほとんど失われた。
   学は博く経史を究め詩文にも通じていた。藩主容衆、容敬の侍
  講をつとめた。世禄は三百五十石だったが、儒者見習、旗奉行、
  大組物頭、学校奉行供番を歴任して終始藩校日新館の世話をした。
  事あるときは幕府の日光廟に藩主の代参をすることもあっ
  た。
   嘉永三年十二月、平蔵は藩主容敬の特命で芦名の三忠臣の撰文    
  をし、書家山内晋が唐の額眞郷の書跡を集めて、磐梯山麓の摺上
  ヶ原(猪苗代町)に有名な『三忠碑』を建てた。慶応元年十月二
  日に病気のため死去した。行年八十一歳。儒礼をもって飯盛山下
  に埋葬された。

◎高津仲三郎 文政十(一八二七)年~明治十(一八七七)年
              『終北禄』の著者・高津平蔵の三男
   鳥羽伏見の戦いのおり、左胸の下に銃弾を受けて重傷を負った。
  大阪へ後送され、更に江戸へと護送されて芝の会津藩邸で治療を
  受けた。このとき徳川慶喜が傷病兵の見舞いに訪れたが仲三郎は
  一礼するや隣室までも響くような声を張り上げて、『一言述べさ
  せて頂きたい。何故お逃げになったのか。旗本はほとんど戦わず
  我等会津の兵のみが血を流し、そして敗れた。大軍を残して逃げ
  られた事で戦局は一変。どう言う思し召しにござる!』慶喜は青
  くなったまま何も語らなかったと言う。
   戊辰戦争では長岡城攻防戦に遊撃隊長として参加、籠城中は城
  外で戦い、開城後は城下に残って戦死者の埋葬に尽力した。戦後
  は過酷な圧政をした越前藩士・久保村文四郎を襲って捕らえられ
  たが脱走、思案橋事件に参加して再び捕らえられ、明治十(一八
  七七)年二月七日、市ヶ谷囚獄署で斬首刑に処せられた。
                        享年五十一歳。

◎関場友吉春温(せきば ともきち) ~文化五(一八〇八)年
   祖先の関場太右衛門某は伊賀の人で、蒲生氏郷に仕え、禄百三
  十石で伊賀衆といわれた勇士の一人であった。蒲生家が滅んだ後
  は、その子孫が会津藩に仕えていた。文化五年に会津藩がロシア
  兵の南下を防止するため唐太(樺太)出兵をしたとき、番頭梶原
  平馬景保の配下として出陣し、利尻島を守った。四月に利尻島に
  つき、百日余滞在後、七月に船で帰途につく寸前、風土病にかか
  って倒れ没した。


 

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最終更新日  2009.07.20 06:14:27
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