本のタイトル・作者
ふたりが遺したラブレター [ リディア・フレム ]
"Lettres d'amour en héritage"
by Lydia Flem (2006)
本の目次・あらすじ
1 親の家を片づけながら
2 出会い
3 警報
4 一九四七年の春
5 ピエップスとパップス
6 消えた手紙 失われた手紙
7 結婚通知
引用
人は、平凡な日常をちゃんと満喫しているかしら?たとえば、歯が痛まないこと、おなかいっぱい食べられること、投獄されていないこと、爆撃にさらされることもなく、自分の肉体も思考も自由であること、親しい人がそばにいること。幸せは自分でつくるものだし、そこにある時にちゃんと気づくことが大事だ、とつねづね思う。それ以上は欲張らない。目がくらんではいけない。正しい物だけ、よく探してつかみとればいい。
感想
2021年読書:172冊目
おすすめ度:★★
エッセイ?
著者は、フロイト研究で知られる精神分析学者。ベルギーブリュッセル在住のフランス人。
『親の家を片づけながら』がフランスでベストセラーに。
本書はその続編。
親の荷物を片づけ、残された3つの段ボールに収められた750通の手紙。
2歳でロシアから亡命し、バイエルンの強制労働所へ収容されていた23歳の男性。
アウシュビッツ強制収容所と死の行進を経た25歳の肺を病んだ女性。
1946年9月末にふたりが出会い、結婚する1949年12月1日までの3年間。
すごい量の手紙があるので、それを並べて往復書簡として見せるのかと思ったら、抜粋してその合間に著者の回想が入る形式だった。
もっと手紙のやりとりが読みたかったなあ。
親が戦争のさなかに生き、消えない傷を負う被害者であったこと。
それは、どう受け止めればよいのだろう。
あるいは加害者であったこと。
彼らは語らない。言葉は失われる。彼らの死と共に。
著者も懊悩しているけれど、死者の言葉を暴くことはどこまで許されるのでしょうね?
子どもが語る親の物語は、別のもの。
彼らは「Before 親」と「After 親」で語られがち。
けれどそれらは地続きで、その人の生は一本のラインの上にある。
子どもの登場はエポックメイキングではあれ、全てではない。
彼らが何を感じ、考え、思い、生きてきたのか。
それを書き残したものがあれば、知りたいだろうか?
どうだろうな。私は、知りたくないし、知って欲しくない。
私は手帳をつけていて、昔のものは詳細に日記を書きつけてある。
娘や息子には見られたくないなあ、と思う。
たとえばこのブログだってそう。
子どもたちが私がどんな人間だったか覚えていられないくらい幼いうちに私が死んだら、見せてほしい。
でも彼らが大人になってしまえば、火をつけて燃やしたい。
(個人の日記は、後世には貴重な歴史的資料になるのだけど、私は恥ずかしい。)
けれど同時に、両親がいかにして恋に落ち、結ばれたかという創世記は、子どもにとって寄る辺となるんだろう。
世界の成り立ちを解き明かすように。
私は夫と出会った日、「私はこの人と結婚するんだろうな」と思った。
そういうことを、子どもに伝える機会はあるのかしら。
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