遅ればせながら、
本日のXmas礼拝のネット配信がUpされた、
2011年12月25日クリスマス礼拝
別に特別なメッセージがあるわけではない、
ルカ1章と2章から、
キリスト生誕の経緯を賛美と朗読で紹介している、
ところで、その六か月目に、
御使いガブリエルが、神から遣わされて、
ガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、
名をマリヤといった。
御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、
これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
すると御使いが言った。
「こわがることはない。マリヤ。
あなたは神から恵みを受けたのです。
ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
これまでも、語り続けられてきて、
そして、これからも、語り続けられるのであろう、
何の変哲もない礼拝風景だったが、
見ながら、フト思った、
これって、泳ぎと同じだって、
バタフライは、
自分で泳いでいるうちはさなぎである、
羽ばたくには、
自力の泳ぎから脱しなければならない、
礼拝にメッセージを求めているうちは、
礼拝にならない、
礼拝とは、霊とまことによる、とある、
何よりも、自身の存在/在り方を問われている、
ような気がした、
そして、羽ばたくもの、礼拝するもの、
共に、自分から離れた時、それが成就する、
と理解が来た、
もはや、自分が、
羽ばたき、礼拝するのではない、
Merry Christmas!