雨が降り出した深夜、
家の庭に出て、
再び、庭木(ハナミズキ)と会話する、
*ハナミズキの高さは4-5mで、葉が生い茂っている、
オレ、「お前、そんなとこにいて、暇じゃないのか?」
庭木、「暇ですって、とんでもない、
あなたの目は節穴ですか、」
オレ、「??」
庭木、「私の中では、24時間、
細胞が分裂/活動をしているんです、
休む暇などこれっぽちもないですよ、」
オレ、「フーン、」
庭木、「そうして、枝たちは、
上に向かって、神様を賛美しているのですよ、
見えませんか?」
オレ、「アー、そー言えば、枝が末広がりじゃなくて、
上広がりになっているのはそのせいか、ナルホド、」
ここで、会話を止める、
もう少し会話してもよかったが止める、
自分の中に、フト、
「命は命が求めるままに」
というフレーズが浮かんできた、
このせいか、
ハナミズキはオレとまるで正反対、
あるがままで、堂々としている、
そして、堂々とミッションをこなしている、
続いて、
過去の自分も一気に浮かんでくる、
せわしかった、
背伸びの連続の人生、
いつも、不満足、渇いていた、
西に大教会があると聞けば飛んで行き、
東にリバイバルが起こっていると聞けば、駆けつける、
体には、これがいいと聞けば、徹底的に試し、
いや、あれがいいと聞くと、猛進する、
あっちへ行き、こっちへ行き、
これを試し、あれを試し、
休む間がない、
結果、
今回の腰痛が、それをよく表している、
まるで、自分を省みない、
常に忙しくしている者の末路、
庭木は、ズット、
同じところに立ち続けている、
自分から見ると、ヒマ人の極地、
が、アニハカラン、
その内部では、細胞たちが、
ものすごい勢いで、分裂、成長を繰り返している、
(自分は、これに気づかなかった、
いや、気づけなかった、)
しかも、その場で、枝を広げて、
神様を賛美しているのだと、
昨日の聖句が、再度、思い浮かぶ、
「兄弟たちよ。そういうわけで、
神のあわれみによってあなたがたに勧める。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、
生きた、聖なる供え物としてささげなさい。
それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」
(ロマ12:1)
もう、あっちへ行き、こっちへ行き、
あれをして、これをしての生活は、
卒業せんとなー、
Doingの生活から、
Beingの生活に転換させなければーー、
地に根を張り、天に向かい、
神を賛美するハナミズキのように、
もう、あまり後がないし、
更新日時 2012年6月9日 1時31分54秒