(弱さの強さの続きで、)
街中だったり、電車の中だったり、
何気なく、目をやると、
フッと、心に入ってくる時がある、
昨日のこと、
新聞、一面下段の広告欄、
書籍広告が並んでいるのだが、
ピンと来たのが、こちら、
(書籍ではなくて、)その紹介フレーズ、
争わない生き方、
丁度、先日のプールのおばさんで、
イングリモングリしていて、
キリストの十字架(身代わりの死)を忘れ、
相も変わらず、
古き自分で対抗しようとする愚かさ、
にまたしても、気づかされ、
私が弱いときにこそ、私は強いからです。2cor12:10
に立ち返り、
しっかり励まされたわけだが、
この体験、励ましと言うのは、
一回、二回で終わるものではないのだろう、
自分の中に深化、根ざしていくまで、
何回も教えられる必要があるのかと、
それは、場所を選ばず、時を選ばず、
臨機応変、必要に応じて、
ある意味、遠慮会釈なくやってくる、
この争わない生き方の真意は、
争わないではない、
もはや争う必要がない、である、
原点に帰るという営みは、
今後も続くのだろうと思う、
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
ガラテヤ2:20