昨日、プールの露天ジャグジーで、くつろいでいたら、
おばさんとおじさんの会話が聞こえてくる、
(共に、60台前後と見た、)
以下、要旨で、
おばさんA:先週、富士山行って来たのよ、
おじさんB:えーー、富士山!?
A:もうね、登山はやめようって思ってたところで、
最後に、富士山だけは登っておこうって、
B:でも、大変だろー、
A:それがね、ぜーんぜーん、
B:??
A:すごく、かんたんなのよ、
ネットで見たらね、初心者用のツアーがあるのよ、
それで行ってきたの、
B:イヤー、それでも、富士山だぞ、
A:ううーうん、
来てる人たち、20-30台が多かったけど、ほとんど初心者よ、
靴やウェアーの用具も全部貸してくれるのよ、
B:へー、靴もか、 でも、混みソーだね、
A:お友達がね、8月は混むからやめろって、
閉山する9月になってから行けって言うのよ、
それで、先週いったんだけど、やっぱり、すいていたわ、
閉山と言っても、野外トイレが使えなくなるだけで、
実質OKなのよ、マッ、5時間の辛抱ならなんとかなるわ、
B:で、頂上はどーやって行くの?
A:5合目まではバス、そこから8合目まで歩き、
そこで一泊して、午前2時起きで、頂上に行くの、
午前10時には小屋まで戻ってこれるわ、
B:やっぱ、いいのかね、
A:それは、やっぱり、富士山ですもの、
頂上での景色は最高よ、
ご来光を拝んで、
山中湖だっけ、雲霞に見えてとてもきれいだった、
あと、影富士(雲に写る)も幻想的だったわ、
富士山は登ったことがないが、
話を聞いているだけで、その魅力が浮かんでくる、
そのご来光もさぞかし、美しいのでは、
で、これを聞いて、
昨夜、床に入ったあと、
以前、神奈川新聞で見た、こちらを思い出す、
「パール富士」に歓声、山頂に沈む満月/秦野 (2012年9月1日)
パール富士とは、
(太陽がかかるダイアモンド富士に対して、)
満月が富士山頂上にかかる珍しい瞬間、
これもまた、幻想的で美しいのだが、
同時に、こちらの
MOUNT FUJI, by Catherine Brown
この箇所が浮かぶ、
I saw that there were two false gods - one on each side of the mountain - one had a moon upon it and the other a sun.
2つの偶像神が富士の両側に現れる、
ひとつは月を、ひとつは太陽を持っていた、
当初、CBが言うところの、
2つの偶像神の意味がよくわからなかったが、
これで、ピンと来た、
美しいご来光(太陽)と、
富士にかかる月、
いずれも、富士山と絡むと、
その神々しさに思わず拝みたくなる、
なんせ、富士自体が魅力を有して、
信仰の対象だったりしているくらい、
C.Brownの続きは、
They were graven images and I sensed that these were false gods that had caused the judgement of the Lord to come forth as fire from the very bowels of the earth. As the Lord rose up from the mountain these two false gods cracked and crumbled before my very eyes, disintegrating into nothing in His presence.
私は、彼らが、偶像(偽の神)であることを強く感じました、
そして、これこそが、山頂からの炎を持って下される主の裁きの原因だろうと、
主が、山から噴き上がると、私の目の前で、この2つの偶像(神)に、割れが入り、砕け散りました、
主の臨在の前に、存在しうるものは皆無でした、
まさに、神(創造主)は、
これを打とうとしているのではないか、
お前たちは、
私の作品(富士、太陽、月)ばかりを崇めて、
私に心を向けない、
これが、神の正直な気持ちでは?
となると、来るべき、噴火は、
山体崩壊を伴い、
富士の姿が消えてしまうほどのものになる??
また、そのタイミングは、
JPJから、
蒸気噴気3回の前兆のアトと示唆されているが、
CBのビジョンには、
両側に太陽と月、と言う表現がある、
はたして、そんなシーンがあり得るのかチェックすると、
(初日の出2011、上高下からのダイヤモンド富士から、)
昨年の初日の出直前のシーンで、
月が右に、
太陽が左に、
ここでは、月と太陽は少し離れてはいるが、
富士の両側にかかる日の出と月で、
確かに似たようなシーンとはなっている、
でも、両者(太陽と月)が、
富士の両側にかかるシーン 、
そんなのって、実際にあるんだろうか?