先日、Healing(癒し)とはRemoval(除く)と言うことを書いたが、
これで、桜井さんの本を思い出す、
再度紐解く「努力しない生き方」で、
足し算的-何かをする人生ではなく、
引き算的-何かをしない人生、
引き算のリストが目次に延々と続くが、
最初だけピックアップ、
第1章
「努力しない」から、いい結果になる
努力しない-力が入ったら疑え、
持たない-持つほどに不自由になる、
第2章
「何もない」から、満たされる、
満たさない-「何もない状態」は豊かである、
才能を磨かない-「生きる」という才能があれば十分だ、
第3章
「求めない」から、上手くいく、
求めない-求めると願いはかなわない、
目標を前に置かない-目標は横に置くといい、
さらに、続々)弱さの強さ、争わない生き方、で、
ではドースルか、
自分の動作、努力、恣意的信仰をやめること、
それこそが、冒頭の、
争わない生き方、となる、
抵抗(何とかしよう)を放棄、
格闘(怒り)を放棄、
努力(得ようとする)を放棄、
恣意的感謝/信仰を放棄、
さすれば、おのずと、十字架の大事実は、
堰を切って、心になだれ込む、
ここから、音無しの構えが出てきて、
いわゆる、恣意的というものから、
一線を引くようにしている、
基本は、争わない、抵抗しない、
たったこれだけだが、
いろいろ、変化が来ていて面白い、
如何に、今まで、自分の恣意的なものが、
恣意的でないものの邪魔をしていたか、
表現しにくいが、
自分から、力みを取ると、
イヤ、何かをしようとするのをやめると、
自分の周囲にあった、
あるいは、かすかな微圧のかかった、
雰囲気と言うか、何かが、
ソーーッと自分に迫ってくるのを感じる、
JPJacksonのHealingでは、
癒し・回復のためには、何かを除く、
桜井さんの引き算的人生では、
生き方のヒントは、多くをなすにあらず、
それどころか、今あるものから引いていく、
信仰生活では、
恣意的にならない、恣意的なものを除く、
(本来、ただ受けるだけの世界である、)
こうして眺めてくると、
人の生活とは、何もしないところから、
(それどころか、余計なものを除いて、)
スタートするのが一番のように思えてくる、
必要なモノは、既に、
内外に準備・格納されており、
後は受けるだけ、出していくだけの世界だ、
NWOはそれがわかっているからこそ、
自力本願ヨロシク、
何かしなければ、と人の努力を焚きつけ、
そのスピード、競争、パフォーマンスを強調する、
さらに忙しさこそ人生だヨロシク、
瞑想、思索などとんでもないということで、
3Sを提供するのに余念がない、